朝日新聞デジタル @asahicom 小学生の柔道全国大会廃止 「行き過ぎた勝利至上主義が散見される」 asahi.com/articles/ASQ3K… 指導者が減量を強いることや、指導者や保護者が審判に罵声を浴びせることもあったといいます。 全柔連幹部は「大人が、子どもの将来ではなく、眼前の勝敗に拘泥する傾向があった」と話します。 pic.twitter.com/Woz7sAmD51 2022-03-18 07:30:07
オリンピックを終えた選手の皆さんお疲れ様でした。結果が良かった方も思わしくなかった方もいると思いますが、どの選手もここまで努力してきたことは素晴らしいことだと思います。 このようなタイミングでお話しするのは憚られますが、オリンピックに出たりメダルを取っても幸せになるとは限りません。東京五輪の残像という本があります。1964年に東京五輪に出場した選手を追跡取材しているものです。オリンピックの光があまりにも強いために、呪縛から逃れられず苦しむ様子が描かれています。オリンピックに出る方法、勝つ方法はたくさん語られていますが、出てしまった後どのように生きていくかは実はあまり語られていません。 まず第一に大きな大会の後や目標を達成してしまった後に、燃え尽き症候群と言われる症状が出ることがあります。アスリートは極度の重圧にさらされているために一般の方よりも精神的なダメージを受けやすい状況にいます。人間
現役時代にはあまり気がつかなかったが、引退してからミックスゾーンにメディア側として立って、あらためて感じたのは日本選手のインタビューの特異さだ。成績が悪かった時のアメリカ選手が、自分なりの敗戦理由と次の目標を語るのに比べ、涙を流しながら「期待に応えられずに申し訳なかった」と謝罪し続ける選手を見ていて胸が苦しかった。 日本の選手のインタビューは似通っていると言われるが、私はその一端に、この謝罪の要求というのがあるのではないかと思う。負けた原因を分析したら言い訳と批判され、純粋な感覚を表現すれば負けたのにヘラヘラしていると言われる。選手にとっては競技をすることが一番大事だから、変なことで社会から反感を買いたくない。結局、一番問題が起きにくい謝罪一辺倒の受け答えになっていく。 選手に謝罪を要求することの弊害が2つある、と私は考えている。1つは、五輪という舞台で選手が一体どう感じたのかという、その
爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan サッカーの韓国選手が試合後に政治的なパフォーマンスをしたとして、問題になっている。"独島は我々の領土"と書いた紙のボードを、試合後にかざしていた。これは五輪憲章の中の、五輪で政治的な宣伝活動をしないという部分に引っかかっている可能性がある。 2012-08-12 11:51:03 爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan 古くは1968年のメキシコ五輪の男子200mでトニースミス選手とジョンカルロス選手がブラックパワーを象徴する黒い手袋をはめて登場し、暗に黒人差別に抵抗した。IOCは彼らに�即日除名処分を命じて、選手村から強制退去をする事になった。 2012-08-12 11:55:48 爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan 昔は、IOCも固い事言うなよ、それで黒人差別解放
爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan なぜ今回陸上競技が厳しい結果に終わっているのかを少し考えてみたい。参加国数も多く、参加人数も多い陸上だから競争は確かに厳しいのだけれど、それは他の種目もあまり変わらない。なぜ他の競技は強くなって、陸上はそうなっていないのか。 2012-08-09 11:50:29 爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan 感じるのは、海外を拠点にした選手が極端に少なくなっている事。試合を見ていても、レース後友人と話すような選手が一人もおらず走ってそのまま変える。世界に人脈も居場所も無いから、日本から世界に出てきているという感覚なのではないか。自分も世界の一人として意識している選手が少ないように思う 2012-08-09 11:53:30
プロフィール 為末 大 (ためすえ だい) 2001年エドモントン大会、2005年ヘルシンキ大会と、男子400 mHで2度の銅メダル獲得。五輪を通じても日本人初の短距離・ハードル種目メダリストで、トラック種目で2個のメダル獲得も日本人では初めて。2004年にプロ選手となり、特にヘルシンキ大会以後は各メディアに積極的に登場。陸上界を代表する選手として、世間に向けてアピールをしている。 為末 大オフィシャルサイト「侍ハードラー」 http://sports.nifty.com/tamesue/index.htm Wikipedia 為末 大 ウサイン・セント・レオ・ボルト 世界最速のスプリンター。2009年世界選手権ベルリン大会では男子100m、同200m、同4×100mリレーで2008年北京五輪に続く3冠を達成。100m、200mでは自身の持つ世界記録を大幅に塗り替え、世界を驚かせた。スター
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