恋愛も科目にして熱を入れて勉強するというのはどうだろう。 人生で必要不可欠なのに、大人になっていきなり手遅れなの初見殺し過ぎるだろ。
物議をかもした「星野君の二塁打」 小学校の道徳教科書で、もっとも議論の対象となったのが6年生の教科書に掲載されている「星野君の二塁打」という教材である。 原作は児童文学者の吉田甲子太郎(1894-1957)。もとは1947年に雑誌『少年』に掲載された作品である。1950年代から小学校の国語の教科書に掲載され、また1970年代からは、「道徳の時間」(正式教科となる前)の副読本の教材としてもしばしば使われてきた経緯がある。今回、2社の道徳教科書に採用された。 【星野君の二塁打】 (打てる、きっと打てるぞ!) 星野君は、強くバットをにぎり直した。 (かんとくの指示は、バントだけれど、今は打てそうな気がするんだ。どうしよう……。) ピッチャーが第一球を投げ込んできた。星野君は反射的に、思いきりバットをふった。 バットの真ん中に当たったボールは、ぐうんとのびて、セカンドとショートの間をあざやかにぬい
入試を実施する私立中学校などのうちおよそ半数が、合否の判定に各教科の評価が記された通知表などを活用していることが、文部科学省の調べでわかりました。小学校では、来年4月から道徳が教科となり、その評価が通知表などに記されますが、文部科学省は、それが入試に使われることがないよう対応を検討することにしています。 その結果、50.7%に当たる478校が、入試の合否の判定に通知表などを使っていることがわかりました。 小学校では、来年4月から道徳が教科に格上げされ、その評価は、ほかの教科と同じく通知表に記載されることになります。 しかし、文部科学省は、その評価については、ほかの教科と違って他者とは比較せず、個々の児童の道徳性の成長を数値でなく記述する形で行うことにしています。 そのため入試にも活用しないよう定めていますが、通知表などに評価が記載されると入試の判定に使われるおそれがあるとして、今後、私立中
「子どものため」って大人はよく言うけれど、本当だろうか。有無を言わさずに子どもを方向づけ、小学校でも道徳を教科にして大人が評価するようになる。それってほんとに子どものため? 私が一番多感だった子ども時代は戦時中でした。長崎の実家はキャバレーのようなカフェや銭湯をやっていて、昼間とは違う大人たちの姿を見て育ったので、かわいげのない、変わった子どもでした。 普段は立派な身なりの人が意外とだらしのない体で、ヨイトマケのおばさんが立派な体だったり、官職にある人がお忍びで来て、ホステスにいたずらしてヘラヘラしたり。そんな大人たちが「ねばならない」と押しつけていた軍国教育は、長崎にも原爆投下を招いた末の終戦で全てひっくり返り、美徳とされてきた価値観は悪徳になりました。 私は、そんな大人たちをみて…
先日、小1の娘が「嫌な授業がある」と浮かない顔していたので算数か体育か?と思って聞くと「道徳」だった。何故かというと「先生が思っている正解を言わないとそんなことを聞いてませんって言われるから」だって。これが今の道徳教育の現実。
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