さて,その「いじめといじめでないもの」を分ける「本人が悪いか悪くないか」はいったい誰がどうやって決めるのだろう。 刑罰や法的な制裁が「いじめ」といわれないのは「本人が悪いかどうか」を決める基準や手続き,それに対する制裁の内容や方法が厳格に定められおおむね合意されているからだ。 by 渡邊芳之 続きを読む
まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「学校はなんの目的で生徒のどのような権利をどこまで制限できるのか」をきちんと議論すべき。」 「いじめ自殺」が「殺人」とされないのも学校が「教育の目的で生徒の人権を制限する」ためになし崩し的に「外の法律の適用されない場」になっていることの結果。こういうことをなくすためにも「学校はなんの目的で生徒のどのような権利をどこまで制限できるのか」をきちんと議論すべき。 学校が「治外法権」になっているのは学校が機能するためには法律が保証するような生徒の人権をある程度制限しなければならないからだが,そのことが教師や生徒の不法行為も容認するように働いてしまっているのが問題なのだと思う。by 渡邊芳之 7391 pv 54 7 users 2
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