スターを消すより、まずあれをどうにかすべきでしょ 多数のユーザーが普通のタグをつけている中、一人が罵詈雑言みたいなタグを上限ぎりぎりまで付けることによって、「おすすめタグ」とかがそれで埋め尽くされる 非常に見苦しいというほかない
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
前に赤木智弘さんと対談した時、「今の日本社会では、仕事の有無が経済力だけでなく社会ステイタスや生き甲斐など他の要素にリンクしている」と言われていたのを思い出して、絵にしてみた。 土台に仕事があり、その仕事のおかげで経済力が得られる。反対にいえば、仕事を失うと経済力を失う。次に、仕事と経済力があるから「社会的に一人前」と認知され、社会的地位が認められて初めて結婚できる。すると最後に、自分には生きる意義がある、人生は楽しいと思える。つまり、仕事をベースとし、人生の有意義感を頂点とするピラミッド構造が存在する。 もし本当にこういう構造だとすれば、仕事が得られないと他のなにも手に入らなくなり、「人生が詰んでいる」「生きている意味がない」みたいになる。正社員の解雇を簡単には許さないという(最高裁様がお示しの)社会規範も「仕事はすべての土台なのだから、そんな簡単に奪ってはならない」ってことかもしれない
川崎市の高津区役所で590人分の子供手当てしてたアジア系の人いた http://2nnlove.dtiblog.com/blog-entry-1634.html 『外国人への憎悪を煽る者たち』それはこのエントリに、デマやリテラシーなどとタグやコメントをつけてキリッとしている、はてサやリテラシ厨や民主信者、お前らの事だ! あ?なに訳わからない寝事抜かしてんだってか? 特別に知能は低い癖にプライドだけは高いバカなお前らにも分かるように噛み砕いて説明してやるわ。 先ず、この590人という荒唐無稽な数字の"デマ"の拡がる背景を考察する。 【日本の議論】永住外国人が急増する背景とその実態 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100404/trd1004040702001-n1.htm ここにあるように、既に税金対策のために戸籍を偽って扶養者を増やす手口は常套手段と
2021年10月(9) 2020年08月(1) 2020年06月(1) 2020年05月(9) 2020年04月(4) 2020年03月(3) 2019年12月(1) 2018年08月(1) 2018年04月(1) 2018年01月(1) 2017年11月(1) 2017年10月(11) 2017年09月(19) 2017年08月(17) 2017年07月(19) 2017年06月(21) 2017年05月(26) 2017年04月(23) 2017年03月(25) 2017年02月(20) ちょっと古い話だがこんなニュースを見た。 張り切る輿石幹事長代行 小沢氏擁護に東奔西走 激励メールも披露 その記事の中で、「、自民支持者がネット等で名前を変えたり複数の端末を使い、さも多くの国民が非難しているようにしたりします」と自民党の工作員が世論を扇動していると、自身のホームページに寄せられた小沢
平成の初め頃、熊本市内のやばい系のタクシーと私のお客さんの車が、事故を起こした。状況は、お客さんのほうが不利だった。 32,3歳の私は、相手が難しいタクシー会社だがここでびびっては負けと、張り切りすぎて、交渉に臨んだ。元やくざと思える交渉係と話し合いになっだか、言葉の行き違いから、私はかっとなり、怒鳴りあいになった。 気まずい沈黙の後、しばらくすると、元やくざと思えるその交渉係は、にやっと笑って、こう言った。 「坂本君といったかな。交渉はねえ、かっとなったほうが負けなんだよ。まず相手の言い分をじっくり聞く。そして、相手が言ってはならない言葉を言ったとき、その言葉尻を捕らえ一気に畳み込んでいくのだよ。」 「君は、まあしかし、一生懸命だね。そこは認めるよ。」 結局、交渉は妥当なところで落ち着き、損保会社としても満足の行く結果となった。 この経験は、後々、ものすごく生きてくることになった。 それ
会員 前田経一 医療の良心を守る市民の会のシンポジウムを、先日聞きに行きました。 参加させて頂いてこんなことを言うのも失礼な話ですが、内容に若干違和感を感じました。 医療者であれ法律家であれジャーナリストであれ、皆さん「事実・エビデンス・証拠」が大事と主張されていました。(油井さんだけは「患者視点のコメント」が大事だと、少し違うことを仰ってましたが。) でも、本当に「事実・エビデンス・証拠」が大事なのでしょうか? 「事実・エビデンス・証拠」に基づいて行動すれば、上手く物事が進んで、皆が幸せになれるのでしょうか? 私にはそう思えません。 私が重要だと考えるのは、個々の「患者の物語(ストーリー)」です。 例えば、エビデンスに基づいた高度医療を大病院で受けるよりも、地域医療にて個々の患者に沿ったホスピタリティを受けたほうが幸せなのではないでしょうか? 客観事実報道よりも、個人の主観的な物語が分か
「鍵はちゃんとかけていたんだし、別に君は悪くない。でも世の中には盗むどうしようもない奴も居るんだ。防犯ブザーを付けてみたらどう?」 「何なのよ!防犯ブザー付けてなかったから盗まれたとでも言いたいわけ?」 「いや、そんなんじゃじゃないけど…気をつけるに越したことは…」 「なんでそんな事泥棒のためにしなきゃいけないのよ!この車泥棒予備軍!」 「え?何で予備軍?」 「『どうしようもない奴がいる』っていうのは、そういう欲望を肯定しているに違いないわ。つまりあんたも泥棒の仲間ってこと!」 「いやそんなんじゃないけど、とりあえず落ち着いて…」 「冷静じゃないって言いたいの?私はいつも冷静です!」 「うん、わかった、もう何も言わないから…」 「何なの?泥棒が居ない社会を目指すのに協力すべきなんじゃないの?逃げるのはやっぱり予備軍だからね」 「だからもうわかったよ。勝手にしなよ。さようなら。」
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く