「城壁に登れば、外から攻めてきた日本軍の銃弾か、城壁内で迎え撃つ中国側の銃弾か、どちらかの弾丸にあたって、私は一番さきに死ぬだろう。それが自分にもっともふさわしい身の処しかただと本能的に思ったのである」たった14歳のそれもまぎれもない日本で人であるはずの少女がここまでの苦悩を持っていた… 山口淑子を美化しようとしているわけではありません。けれど、当時厳密な戸籍制度のなかった中国にとって、憎き日本人でありながら中国人のフリをずっと続けて来た“李香蘭”の戸籍謄本など、握り潰そうとすればいくらでも出来た。実際、担当係官は戸籍の意味が解らず、中華電影の社長であった川喜多長政が日本に留学経験のある中国人に必死に頼んで説明してもらい、やっとなんとか証拠物件として受理してくれた程度です。その程度の証拠能力だったし、裁判所の外は裏切り者“李香蘭”の死刑を待ち望んでいる人々で溢れかえっていました。 けれど法