【自分語り】1推しの卒業によせて . 私の1推し、ゆきりんこと柏木由紀ちゃんが、17年に渡り在籍したAKB48を卒業することになった。 この機会に、ゆきりん推し(48ファン)としての自分自身のことをすべては不可能であるものの振り返ろうと思う。 内容からして世代がわかることも仕方ないし、限りなくゼ…
昨夜、空手のあとに師匠とビールを飲みに行った。師匠があまり飲まないので今日はまた病気か、とひやかしたら、いや、明日は授業があるからあんまり飲めないのだ、という。本業はパン屋の職人なので、なんでまたそんなことをしているのだ、という話になった。なんでも、教会学校で子供たちに信仰を教えている、のだという。信じることをそもそも教えることは可能なのか、という話をしているうちに、彼は現代社会における信仰の役割の重要性について持論を展開し始めた。すなわち、現代社会は個人主義が深化しすぎて、モラルの低下やコミュニティ意識の希薄化が著しい、かくしてそこに信仰の重大な役割が浮上しているのだ、という。わかる?と確認するので、Sossebinderとしての宗教ね、と答えたらとても喜んでいた。Sossebinderとは直訳すれば「ソースの増粘剤」、ドイツ語で片栗粉のことである。そう、Sossebinderなのだ、こ
「裸の個人」、いかなる規範、文化からも自律した個人など存在しない。個人とは常に、共同体内的存在であり、帰属する共同体の文化、規範、認識の枠組みといったものに侵食されている存在である。このような「共同体なくして個人なし(「裸の個人」は存在しない)」という類のテーゼを「共同体主義テーゼ」と仮に呼んでおく。 この共同体主義テーゼが主張するように、実際、個人は自分の為す行為、判断が何を前提にしているかという事について、常に明晰であるわけではない。自分が為した判断が、一切の事柄を括弧に入れた上で、自律した「理性」のみにより導き出したものだ、と思ってはいても、それが、自らの属する共同体固有の慣習、文化、認識的枠組みに「誘導された」結果に過ぎない、ということは、いかにもありそうなことだ。 けれどもここで疑問が生じる。この自分が為した判断を「誘導した」当のものは一体なんであるのか?それは言挙げすることはで
あえて「実感のない理念」と呼ばれるものを振りかざしてみる。 意識されない差別性 1つの仮想的なストーリー。 自閉症などの社会性の障害がある人が、実親の死後、頼る相手も有効な支援もなく、生活を持ち崩してホームレスになり、病気になって担ぎ込まれる。治療を行って退院しても、そこに有効な支援があるわけでもないから、当然同じことを繰り返して何度でも病気になって担ぎこまれることになる。担ぎ込まれる病院の医師が、このホームレスの診療を行う。過酷な労働条件におかれている研修医が、その無駄さ加減に慨嘆したくなるのも分からないではない。しかし、次のように述べることは何を意味するのか。 なんだか、悲しくなってしまった。 私が一生懸命払っている税金は、彼のような人の医療費に消えていくのかもと考えた。 彼は、日陰の人生を歩んできたかわいそうな人と言えなくもないけれど、でもね、 一生懸命働いている自分が出している税金
戦友の退職 世界旅行に出ることを決意したフランス人女性の同僚は、今日が最後の勤務日でした。彼女は多くの同僚に励まされ、祝福されて会社を後にしました。僕は感謝の気持ちを込めて、向日葵をアレンジした大きな花束を彼女に渡しました。彼女は泣いていました。 これは、5年前に僕が当時勤務していた日本企業を辞めたときの様子とは全く異なります。終身雇用があたりまえの保守的な企業に勤務していたので、そこを去ることにした僕は完全に裏切り者でした。最後の勤務日に、誰かから小さな花束をもらうこともありませんでした。 私の勤務先は日本の「革新」的な大企業で、終身雇用+年功序列+春闘・秋闘のストライキは例年行事という古い会社。ようするに労働組合の主張がよく通り、労働者に非常に優しい会社なのです。戦中の建物を今でも使っていたり、闘争の時期になると廊下に赤い布が張られるといったレトロな雰囲気が好きで、私は入社しました。
リアル仕事で多忙が続いておりまして更新が滞っております。1週間ぐらい前からちょっと考えていることがあったんだが、なんかいまいちうまく考えがまとまらない。でも悩んでいても形にならないので、生煮えのままアップしちゃおう。 考えの出発点になってるのは、以下のブログのエントリたち。 民主党がとるべき道とは何か(インタビュー)(MIYADAI.com) 公明党が右旋回(切込隊長BLOG) なぜコイズミ・オブ・ジョイトイなのか?(まなざしの快楽) 猿虎M字開脚!コイズミ・オブ・ジョイトイ?(猿虎日記) 反対の反対は賛成?反対?(SOUL for SALE) 何も関わらないという事は果たして樽の中にいることなのか?(ニセモノの良心) 宮台センセイのエントリは、あまりの人気ぶりにご本人もたいそう気をよくしたのか、9/3にサルベージされてブログのトップに引っ張り上げられている。はてなぶくまでも「岡田君はこれ
梅雨明けの日程を三週間以上前にして、早くも日本列島に真夏の季節が襲来した。今年も暑い。政府のクールビズキャンペーンが始まってから一ヶ月が経ったが、電車の乗客や街を歩くサラリーマンを見ると、政府が囃し立てたようには普及は進捗していないように見える。外回りで事務所と得意先を移動している男たちは、皆、シャツの襟にネクタイを締め、そして上着を身に着けて、片手の携帯電話を玩具のように弄くっている。その姿は例年と変わることなく、クールビズのプロモーションなど何もなかったかのようである。最近、今回のクールビズは現代版「慶安御触書」ではないかと思えて仕方がない。慶安御触書というのは、中学校や高校の歴史教科書にも出てくるから誰でも知っていると思うが、徳川幕府が1649年(慶安2年)に発令した当時の農民の生活を統制するための法令であり、生活の細部にわたって禁止事項や奨励事項を小うるさく書き示している。酒・茶・
1. Weblog Item 536 うちの祖父の言っていたことの一つ。 「女が勉強して碌なことはない。」 女性研究者が増えると相対的に出生率が下がる(^^; という冗談はさて措き、女性中心の世界の歴史 というのは、男性中心の世界の歴史と同じだと思います。 というより歴史は本質的に男女に関係しない。 史実として記述されるのが男性の方が多いことは有り得るのですが、それらの史実から真実を見付けるのが歴史。 真実に男女は無い。 前段、じつは女性の学歴と出生力にさしたる関係がないことを示すデータがあります。 後段、私がいいたいのは抽象度の高い話ではなくて、もっと個別具体的な話です。例えば女子中高生のウェブサイトでトップページの累計ページビューが300万を超えたケースが過去にいくつかありますが、それを彼女らはちっとも記録に残そうとしない。まずサイトの管理人があっさりと閉鎖・消滅の道を選ぶことに驚かさ
下書きした順番から言えば、1つ前の記事よりこっちの方が古いんだけど、最終ラップで追い抜かれてしまったのが今回のエントリ。内容は、先週ニューメキシコ州アルバカーキに仕事で行った時の愚痴話。とゆーか、あのあたりって砂漠のくせに高地なのねー。高山病で頭がガンガン痛くなるし、ちょっと歩くだけで息切れしてしまいました。夜は口がパリパリに乾いて30分毎くらいに起きてしまうし… そのように健康状態が悪かった時に起きたのが今回の事件。 今回のお仕事は、New Mexico Coalition Against Domestic Violence (要するに、ニューメキシコ州の反DV産業の業界団体ですな)の総会でワークショップをやるコトだったんですが、無事にワークショップを終えていつものようにブースを貰って自作の冊子やらバッジを売ってたら、NMCADVの事務局長さんがやってきて、バッジの内容がけしからんから店
25歳で将来への不安!?――男性の「中年危機」が若年化し、「青年危機」に 男性が「中年危機」に陥る年齢は、これまでどんなに若くても40代とみられていたが、新たに発表された調査結果によると、自分への自信のなさや将来への不安といった「中年危機」特有の精神状態は25歳の男性にも見られることが明らかになり、危機を迎える時期が早まっていることが指摘された。 そうか……。 「若者の不安感はクレージーなほど」と、斉藤環のそのタイトルもずばり『「負けた」教の信者たち』にありましたが、NEET先進国*1イギリスでは、やはりこの若者の抱く異常な不安感への社会的な注目も、日本より早かったようです。 そう、 まさに「若さ!若さって何だ!?」という命題こそが今、瓦解しつつあるということです。 一部の人であればこの問いには反射神経でもって答えられるのでしょうが、それはもちろん本気の答えではなく、シニカルさを含んだもの
さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書) 作者: 山田真哉出版社/メーカー: 光文社発売日: 2005/02/16メディア: 新書購入: 10人 クリック: 331回この商品を含むブログ (1042件) を見る 話題のベストセラーなので、昼休みにさくっと読む。 昼休みにさくっと読めるくらい読みやすい。 会計(学)のことはまったく知らないが、これはいい本だわな。 私のようなくそシロウトでも会計に興味わいたもの。 編集者からは「日本には会計入門書といえども専門知識がないと読めないような本ばかりです。そのむずかしい入門書と一般の人とのあいだを埋めるような本を作ってほしいのです――」という依頼があったそうで。 これ、社会調査の入門書にもかなりあてはまるよなあ。 この『さおだけ屋』のような、数学に強くなくても、数字についてのセンスさえあればわかるような社会調査の入
トップページ > ドラフト3版 質問の意味がよくわからないという方は、用語解説(作成中。別窓で開きます)を参照してください。 未回答があると結果が判定できないので、ご注意ください。 Q1-1. 子どもは三歳までは母親の手で育てるべき Q1-2. 夫婦は同姓であるべき Q1-3. 既婚女性は働くとしても、家族に迷惑をかけない範囲で働くべき Q1-4. 改憲して自衛隊を防衛戦力として正式に位置づけるべき Q1-5. 移民の受け入れには積極的になるべきだ Q1-6. 行政職の公務員に採用していいのは日本国籍を持つものだけだ Q1-7. 食料自給率は上げるべきである Q1-8. 夫婦仲が修復できないまでに悪化しても、婚姻関係を継続すべきだ Q1-9. 既婚者は配偶者以外の者と肉体関係を持ってもよい Q1-10. 結婚可能年齢以前の者も、性交して良い Q1-11. 子どもの人権を重視する風潮が、子ど
「負け組」への恐怖感が「負け組」をつくると言おうか、いや、より定義的に、「概念」が「現実」をつくる、とでも言おうか。 「恐怖」を煽られた人間がそれをなんとか回避しようと試行錯誤した挙句、返って「恐怖」にからめ取られ身動きが取れなくなる。 それが、今の社会問題の大きな原因ではないのだろうか。ひきこもりにせよ、NEETにせよ、失業にせよ、フリーターにせよ、パートにせよ、派遣にせよ、契約にせよ、ミスマッチにせよ、非婚晩婚にせよ、少子化にせよ、自殺にせよ。 すべて先立つ恐怖感がその根底に流れている。 これに対し、声の大きい人間というのは、頻繁に「男とは*1本来、競争を好む生き物なのだから、恐怖感・危機感を煽ったほうが健全な社会が作られるはずだ」と好んで口にする。 が、 そういう人間はほとんどの場合、社会問題に対して批判的な考察を加える能力に欠陥を抱えていることが多い。 それは、彼らが自らの生きる環
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