いしのなかにいる 小生、正教会の人ではありません。カテクメーネー*1、啓蒙者、西では求道者といったかな。信者ではない。もっとも歴史的には洗礼志願者は葬儀などでは信者に準ずる扱いを受けることもあるそうですが、準ずるということは、すなわち、信者ではないです。 誤解を呼ぶようなら、あんまりいろいろと書き散らさないほうがいいのかなあ。ちょっと悩む。 *1:κατηχουμηνη、現代語だとカティクミニ、のはずなんだがシナイ山の修道士さんは「カテクメーニー」といっていた、ように聞こえた。外国語って難しいよね。 こういう大衆のルサンチマンを刺激して吊り上げ、元々ネット以前から知り合いだった連中とそれを肴に酒飲む はてなも超人の割合が減ってきたなぁ - Automatons Hacking Guide それのどこが楽しいのか、よくわからないんだけど、ええっと、ていうか、それとてもつらい哀しい話にしか聞こ
スーツという宗教 私は本については、書く努力の5倍、売る努力をするということを決めています。 私のような部外者の目には、この発言はきわめてスーツ的に映る。だがその理由はあまり自明ではない。この発言のスーツ性がどのように発生しているのか、そのメカニズムを説明してみたい。 スーツの行動パターン:自分の話の相手が、自分とグルになると決めてかかる スーツ的世界観においては、「パートナー」「ステークホルダー」といった概念が重要だ。つまるところ、経済的利害の共有を中心にした人間関係である。こういう関係をまとめて「グル」と呼ぶことにする。 スーツは常に、自分とグルになる人間を増やそうと務める。グルになる見込みのない人間とは、そもそも話さない。対話の可能性がないので、存在を忘れ去る。こうして生まれるのがスーツなお言葉、「私は本については、書く努力の5倍、売る努力をするということを決めています。」だ。 「書
笙野頼子『だいにっほん、おんたこめいわく史』(講談社) 笙野頼子『だいにっほん、おんたこめいわく史』(講談社)を読んだ。 最近、とある早大生と話したとき、笙野頼子で卒論かなにかを書くのだと聞いた。どう切るのかと尋ねると、女性文学やフェミニズムの方面だという。そんなものだろう、と思いつつ、強い違和感を覚えた。笙野頼子をフェミニズムで切っても、笙野のいう「イカフェミニズム」や「学者フェミニスト」を解説する以上のなにができるのか。 それ以来、笙野論の切り口をずっと考えていた。本書を読んで、答のひとつが見えた。公共性だ。 例えばお尻マニアの雑誌は一万部売れるという、しかしそれはただの欲望である。自己都合で売れる一万部が、そのまま思想支援の一万人にはならないだろう。無論、お尻の思想というものがあってそのために死ぬ人はいるかもしれない。だがそのような人が切実にお尻を擁護する理論構築をしたとしても、そこ
シリーズ:自由と強制と(無)責任の政治学 | 23:26 | (前編からの続きです。) サルトルは、アルジェリア革命の闘士フランツ・ファノンによる『地に呪われたる者』への序文で、フランス本国人の植民地支配に対する責任について語っている。当時のアルジェリアは、フランスの植民地だった。アルジェリアでの、「コロン」と呼ばれるヨーロッパ人入植者の暴虐非道ぶりは、フランス本国でも既に知られていた。サルトルは、フランス人読者に告げた。 ……「だが、おれたちは<本国>[=フランス]にいるんだ、[アルジェリアでの]行き過ぎを非難しているんだ」。そのとおりだ。君たちはコロンではない。だが似たり寄ったりだ。彼らは君の先駆者[パイオニア]なのだ。君たちはコロンを海外に送り出し、コロンは君たちを金持にした。もっとも君たちは彼らに予め警告していた。「あんまり血を流すと、お前らを否認せざるをえなくなるぞ」。これと同様
『メメント』のあるシーンにおいて、主人公のレナード(ガイ・ピアーズ)は、自らの記憶障害についてモーテルのフロント係に説明する。 レナード:私には障害(コンディション)があるんだ。 フロント係:障害? レナード:記憶がないんだよ。 フロント係:記憶喪失か? レナード:いや、違う。短期記憶がないんだ。自分が誰なのかということはわかっているし、自分のことなら何でも知っている。だがケガを負って以来、新たには何も記憶することができないんだ。何もかもが消え果ててしまう。長く話しすぎると、話がどう始まったのか忘れてしまう。私たち[=ピアーズとフロント係]が前に会ったことがあるかどうかもわからないし、次に会ってもこの会話は覚えていないだろう。だから私がヘンに見えたり無礼だったりしたら、それはたぶん……。 [レナードはフロント係が珍虫を見るように彼を凝視していることに気づく。] レナード:前にも君にこの話を
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
20年前まだ私がまじめな認知科学の徒であったころ「知るということ 認識学序説」という本をかなりの時間をかけてよんだ。「みにくいアヒルの子の定理」などコンピューターとのアナロジーが基本にある認知心理学と通底する議論を高度な言葉と数式で展開されていた。その10分の1も理解することができなかったが、強く印象に残る本であった。 知るということ―認識学序説 (認知科学選書) 作者: 渡辺慧出版社/メーカー: 東京大学出版会発売日: 1986/06メディア: ハードカバー クリック: 3回この商品を含むブログ (5件) を見る 多分、5、6年ほど前、アマゾンを使い始めたころに渡辺先生の「時」という貴重な本を発見して手に入れた。当時、仕事でいっぱいいっぱいになっていた私は、この本を数ページめくっただけで積読するばかりであった。 時 作者: 渡辺慧出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 1974/01メ
2007年10月08日 小沢一郎はなにがしたいのか。(後編) カテゴリ:カテゴリ未分類 さて、「小沢一郎はなにがしたいのか。」 後編です。 まず、前編で書いた 小沢民主党の国会戦略の (2)に注目してみたいのだけど、 小沢民主党が 参院選のマニフェストで提示して この臨時国会で立法化を目指す政策は 自民党の政策とは まったく違う哲学に 基づいたものであることがわかる。 まず、この臨時国会最大の争点とされる 「テロ特措法」 に関してだけれども、 小沢民主党は、 ただ、この法律を廃止させて 政府が「国際公約」(?=苦笑)を 守れなければいいと いうわけではない。 (何度も言うわけですが、 僕こそ、かつてテロ特措法が 厳しい世論の批判を浴びていた時代に これをどこよりも高く評価し、 現在でもこの延長を 支持していることを 強調しておきます。 ただ、それとは別に 公平にみて、小沢民主党は ただ、政
反省した。吉本隆明はもう耄碌してしまってほとんど終了かな、人間身体の限界だからしかたないでしょ、とも思っていたのだが、ぜんぜん違う。まあ読む人にもよるのだろうけど、この対談集に出てくる80歳過ぎた吉本の迫力は、私がむさぼるように吉本を読んでいた二十年前を思い出させた。この対談書はとにかく驚きだった。 実際には、彼は自筆だと「極東ブログ: [書評]家族のゆくえ(吉本隆明)」(参照)のような優れた部分と限界も見える。これはざっくばらんに言ってもいいかと思うが、吉本隆明の対談書はほとんどがゴミだ。対談者の思い入れや編集者の思い入れが奇妙に自己露出的だったり倒錯的に自己禁欲的だったり、あるいは過剰に解説的だったりする。それでいてフーコーやボードリヤールとかだとまるで対談が成立しない。自筆の書籍になると、文章が彼も下手くそなんだろうと思うけど、普通に読んでいては何を言っているのか皆目わからない。と、
私が勝手に応援している、信頼できる政治家である石田敏高氏のブログが「炎上」していたのだそうな。http://ishidatoshitaka.cocolog-nifty.com/blog/ http://ishidatoshitaka.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/28well_ive_and__afa8.html 2chで石田敏高叩きの、知的にたいへん貧しいスレッドが立っていたことには私も一応気づいていた。http://money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1185533405/ 「炎上」のきっかけは、丸川珠代の選挙時のキャッチコピーを適切に石田敏高が揶揄してくださったからだ。http://ishidatoshitaka.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/27_1f9c.html その経緯について
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
おしゃべりSchwaetzerの飲んだくれな毎日「右翼を笑えない左翼」〜なぜ日本の左翼は信用されないかそりゃ権力は暴力装置だからこれに対して慎重に批判的になるのは当然のことだ。しかしだからといって、ためにする反権力は間違っている。包丁は危険だから使うなという感覚とあまり変わらない。その反権力の旗印が、人間性や人権やそういった普遍的なものに対する擁護であり、つまり誰も反対できないようなレトリックを使う。「子供たちを再び戦地に送るな」式の旗印が一番単純で分かりやすい。日本国民はおそらくこの辺を敏感に察知して、反権力が権力を握ろうとする左には政権を取らせなかったんじゃないの。同じウソと身内びいきなら、悪人面した権力者の方がまだまし。結局、左が政権を取れなくて当然だった。別の言い方をすれば、権力との喧嘩にどうしたって勝てっこないわけだ日本の不幸は、おそらく、あの戦争の話題が左右の政治的論争にしか利
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く