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ThoughtsとSocietyに関するsynonymousのブックマーク (4)

  • 片栗粉の増粘機能 - kom’s log

    昨夜、空手のあとに師匠とビールを飲みに行った。師匠があまり飲まないので今日はまた病気か、とひやかしたら、いや、明日は授業があるからあんまり飲めないのだ、という。業はパン屋の職人なので、なんでまたそんなことをしているのだ、という話になった。なんでも、教会学校で子供たちに信仰を教えている、のだという。信じることをそもそも教えることは可能なのか、という話をしているうちに、彼は現代社会における信仰の役割の重要性について持論を展開し始めた。すなわち、現代社会は個人主義が深化しすぎて、モラルの低下やコミュニティ意識の希薄化が著しい、かくしてそこに信仰の重大な役割が浮上しているのだ、という。わかる?と確認するので、Sossebinderとしての宗教ね、と答えたらとても喜んでいた。Sossebinderとは直訳すれば「ソースの増粘剤」、ドイツ語で片栗粉のことである。そう、Sossebinderなのだ、こ

    片栗粉の増粘機能 - kom’s log
    synonymous
    synonymous 2006/12/08
    ある構想。宗教ならば国境は越えうるが、しかし。
  • 「裸の個人」のまとう衣 (Dead Letter Blog)

    「裸の個人」、いかなる規範、文化からも自律した個人など存在しない。個人とは常に、共同体内的存在であり、帰属する共同体の文化、規範、認識の枠組みといったものに侵されている存在である。このような「共同体なくして個人なし(「裸の個人」は存在しない)」という類のテーゼを「共同体主義テーゼ」と仮に呼んでおく。 この共同体主義テーゼが主張するように、実際、個人は自分の為す行為、判断が何を前提にしているかという事について、常に明晰であるわけではない。自分が為した判断が、一切の事柄を括弧に入れた上で、自律した「理性」のみにより導き出したものだ、と思ってはいても、それが、自らの属する共同体固有の慣習、文化、認識的枠組みに「誘導された」結果に過ぎない、ということは、いかにもありそうなことだ。 けれどもここで疑問が生じる。この自分が為した判断を「誘導した」当のものは一体なんであるのか?それは言挙げすることはで

    synonymous
    synonymous 2005/09/12
    「裸の個人」のまとう衣としての共同体主義テーゼ
  • どうしようもなく差別者であることと向き合うこと - モジモジ君のブログ。みたいな。

    あえて「実感のない理念」と呼ばれるものを振りかざしてみる。 意識されない差別性 1つの仮想的なストーリー。 自閉症などの社会性の障害がある人が、実親の死後、頼る相手も有効な支援もなく、生活を持ち崩してホームレスになり、病気になって担ぎ込まれる。治療を行って退院しても、そこに有効な支援があるわけでもないから、当然同じことを繰り返して何度でも病気になって担ぎこまれることになる。担ぎ込まれる病院の医師が、このホームレスの診療を行う。過酷な労働条件におかれている研修医が、その無駄さ加減に慨嘆したくなるのも分からないではない。しかし、次のように述べることは何を意味するのか。 なんだか、悲しくなってしまった。 私が一生懸命払っている税金は、彼のような人の医療費に消えていくのかもと考えた。 彼は、日陰の人生を歩んできたかわいそうな人と言えなくもないけれど、でもね、 一生懸命働いている自分が出している税金

    どうしようもなく差別者であることと向き合うこと - モジモジ君のブログ。みたいな。
    synonymous
    synonymous 2005/09/09
    『この世界には差別者と元差別者と被差別者しかいない』
  • 誰が人を「負け組」へ扇動するのか。 - umeten's blog

    「負け組」への恐怖感が「負け組」をつくると言おうか、いや、より定義的に、「概念」が「現実」をつくる、とでも言おうか。 「恐怖」を煽られた人間がそれをなんとか回避しようと試行錯誤した挙句、返って「恐怖」にからめ取られ身動きが取れなくなる。 それが、今の社会問題の大きな原因ではないのだろうか。ひきこもりにせよ、NEETにせよ、失業にせよ、フリーターにせよ、パートにせよ、派遣にせよ、契約にせよ、ミスマッチにせよ、非婚晩婚にせよ、少子化にせよ、自殺にせよ。 すべて先立つ恐怖感がその根底に流れている。 これに対し、声の大きい人間というのは、頻繁に「男とは*1来、競争を好む生き物なのだから、恐怖感・危機感を煽ったほうが健全な社会が作られるはずだ」と好んで口にする。 が、 そういう人間はほとんどの場合、社会問題に対して批判的な考察を加える能力に欠陥を抱えていることが多い。 それは、彼らが自らの生きる環

    誰が人を「負け組」へ扇動するのか。 - umeten's blog
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