一連の地震で甚大な被害を受けた熊本城が4万枚の写真などを基に最新のCG技術を使ってコンピューター上で復元され、22日から東京・上野の東京国立博物館で一般に公開されます。 地震によって角の石垣だけが残った「飯田丸五階櫓」や天守閣に取り付けられたしゃちほこなどのかつての姿を見ながら、まるでその場にいるように熊本城を巡る体験ができます。 江戸時代の姿を再現している部分もあり、天守閣の周りに多くのやぐらが建ち並ぶ雄大な城の様子を上空から見たり、城の中のふすま絵を見ながら大広間を巡ったりするといった体験もできます。 製作にあたった凸版印刷の岸上剛士さんは、「熊本城の力強い姿を多くの皆さんに体験してもらいながら、城の復興を応援する気持ちが高まってくれればうれしいです」と話していました。 このCGは22日から来月10日まで、東京・上野の東京国立博物館で見ることができ、鑑賞料の500円はすべて熊本城の復興
谷崎昭治さんの可能性がある少年の写真を手に説明する深堀好敏さん(右)と、谷崎昭治さんの妹西川美代子さん=長崎市の長崎原爆資料館で2016年6月13日午前10時25分、今手麻衣撮影 長崎原爆投下翌日に爆心地付近で黒焦げになった状態で写真に撮影された少年が、旧制県立瓊浦(けいほ)中1年だった谷崎昭治さん(当時13歳)の可能性があることが13日、分かった。谷崎さんの妹で長崎市の西川美代子さん(78)と長崎平和推進協会写真資料調査部会長の深堀好敏さん(87)らが市内で記者会見し、明らかにした。西川さんらが名乗り出たため、法医学者らが少年の写真を鑑定していた。 写真は、旧陸軍報道部の山端庸介氏(1917〜66年)が撮影。焼死した少年があおむけに倒れている。長崎原爆資料館に展示されているが、少年の身元は分かっていない。
谷崎昭治さん(左端)と西川美代子さん(右端)が写る、鑑定に使用された家族写真 写真を見る 長崎原爆資料館に展示されている写真「黒焦げとなった少年」=13日午前、長崎市の長崎原爆資料館 写真を見る 記者会見する(左から)谷崎昭治さんの妹、山口ケイさん、西川美代子さん、深堀好敏会長=13日午前、長崎市内 写真を見る 長崎原爆の写真調査を続ける長崎平和推進協会写真資料調査部会は13日、長崎原爆の投下翌日に爆心地近くで撮影された「黒焦げとなった少年」に写っている人物が、長崎市岡町の当時中学生の13歳、谷崎昭治さんの可能性があると発表した。昨夏、写真を見た谷崎さんの妹2人が「兄ではないか」と名乗り出たため、同会が専門家らに依頼し鑑定した。被爆から71年、原爆の悲惨さを世界に伝えてきた写真の少年が誰なのか、解明に近づいた。 写真は1945年8月10日、写真家の故山端庸介さんが撮影。故伊藤一長前長崎市
IIIF International Image Interoperability Framework 国際的な画像相互運用の枠組み 断片的な紹介ばかりで恐縮だが、IIIFのメリットが見えにくい、先の見通しが見えにくい、という話をいただくことが多いので、もう少しわかりやすくなるようにまとめ直してみたい。 IIIFは、その名の通り、Web上での画像のやりとりの仕方を効率化するための手法であり、それ以上でもそれ以下でもない。これがそのままデジタルアーカイブの基幹部分として使えるという風に考えてはいけない。基幹的なデジタルアーカイブを前提として、その画像やその他のデータをやりとりしやすくするための仕組みなのである。その観点からみれば、これまでにはなかった部分を埋める規格であると言える。 では、画像のやりとりの仕方がどのように効率化されるのか。大きなポイントは2点だが、その結果、様々な面での効率化
2016年5月30日、国立民族学博物館が、身装画像データベース<近代日本の身装文化>を公開しました。 明治維新以降、第二次世界大戦終結までを対象に、その文化変容の様子をデータベース化したもので、当時の新聞小説挿絵、写真、図書中の図版、ポスターなどから構成されています。 Twitter(@MINPAKUofficial,2016/5/30) https://twitter.com/MINPAKUofficial/status/737137735878615040 身装画像データベース<近代日本の身装文化>(国立民族学博物館) http://htq.minpaku.ac.jp/databases/mcd/shinsou.html
オリバー・L・オースティン Jr.(1903-1988)はハーバード大学で鳥類学の博士 号を修得し、その後アメリカ海軍に従軍した。従軍中も南太平洋で2,000以上の 鳥類やコウモリを採取、2つの新種のコウモリを発見するなどした。 1946年の4月から1949年の12月まで米国天然資源局(the Natural Resources Section)の野生生物部署の代表に就任、占領下の日本で狩猟法の改善や動物保護 区の設定など野生動物の保護に尽力した。また山階芳麿などの研究者とも交流し た。日本に滞在中の約4年間で駐留中のアメリカ人の生活や東京や地方の生活に 関する1,000枚以上のカラースライドを残した。 このコレクションは氏の息子のトニー・オースティン氏が所有していたものを フロリダ州立大のアニカ・カルヴァー准教授が中心となり戦後70周年を記念して デジタル化したものである。
娘、マチ子が4歳になった。 妻と前々から話し合っていたことは、「マチ子にカメラを持たせてみたい」ということ。僕も妻も写真を撮るのが好きで、お互い撮り合うばかりでなく、娘が生まれたときからそれぞれのカメラを向けてきた。一時期はキメ顔ばかりだったマチ子もあまり気負わなくなり、いい顔を見せてくれるようになったと思う。 娘が妻のカメラで撮って、はじめてピントがあったやつ 子供にカメラを持たせる意味 持たせようかと考えた理由には、 子供が「自分のカメラ」を欲しがるようになった 子供の撮る写真を見てみたい 将来的には撮り合いたい というような、子供側と親側の両方の事情がある。 近年のコンパクトデジタルカメラは撮って出しのものでもいい画面づくりをするし、最悪でも「ブレていない」「ピントが合っている」の2条件を満たせば充分に見られる写真が出来てくる。まずはそのあたりから始めて、おいおい学んでもらえればいい
真岡鉄道が怒った!栃木県を走るローカル鉄道「真岡鉄道」が、フェイスブックに鉄道写真を撮るアマチュアカメラマン、いわゆる「撮り鉄」たちに踏み荒らされた菜の花の写真とそのマナーの悪さを戒める投稿をアップして話題を呼んでいる。ネットでもしばしば一部の撮り鉄のマナーの悪さは指摘される。なぜ彼らはそんなに行儀が悪いのか。カメラ誌に記事も書いているフリー・ライターの神田憲行氏が取材した。 * * * くだんの投稿は11日朝に行われた。踏み荒らされた菜の花の写真3枚とともに、 《どう感じますか?/踏みつけられた菜の花。/何を撮影したいのですか?/たかが菜の花?/綺麗に咲いている菜の花を踏みにじって何も感じないのでしょうか?/地元の方たちが手をかけて咲かせていることをわからないのでしょうか?》 と疑問を投げかけ、最後に 《この投稿を見て、もしも該当するような事をされてしまった方がいらっしゃいましたら今後は
事例作成日 2016年01月13日 登録日時 2016/03/22 09:37 更新日時 2016/03/22 09:37 お役に立ちそうな資料は以下のとおりです。 ➀『新聞報道と顔写真』小林弘忠著 中央公論社 1998 <070.17GG/3> (21070552) 「残酷現場はいつから載らなくなったか」(p173~180) 新聞における遺体写真の掲載状況の変化について、記載があります。 ②『人権と報道を考える(法学セミナー増刊総合特集シリ−ズ39)』日本評論社 1988 <070.1W/178> (12295515) 「⑨誘拐支店長監禁事件写真報道・藤沢バラバラ事件 配慮と品位に欠けた残酷報道」 (p71-72)に 「遺体写真も含めた残酷な写真の掲載に関して、新聞各社は具体的な報道基準は決めていない。しかし遺体写真については、明文化されていない掲載基準はある。外国の戦争報道で戦争の悲惨
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