【読売新聞】 県立図書館長や県近代文学館長を務めた元NHKアナウンサー鈴木健二さんの 訃報 ( ふほう ) を受けて3日、県内からは文化振興をはじめとした県発展への貢献に感謝の声が上がった。 ■旧制弘前高出身 鈴木さんは旧制弘前高校
トラベルミステリーの第一人者で「十津川警部」シリーズで知られる作家の西村京太郎さんの死去を悼み、湯河原町は15日まで町立図書館1階に記帳所を設けている。 西村さんは病後のリハビリで…
令和6(2024)年能登半島地震及び同年4月17日に愛媛・高知で発生した地震について この度、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。 また、それぞれの地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げ、一日も早く平穏な日々に戻る事をご祈念申し上げます。 日本図書館協会及び図書館災害対策委員会も微力ではありますが、支援を模索し、対応してまいります。 被災情報並びにお困り事がありましたら、メールにてご一報いただければ幸いです。 saigai★jla.or.jp (★を半角@に換えてください。) 竹内 悊 元日本図書館協会理事長が2021年10月14日にご逝去されました(享年93歳)。 謹んでお悔やみ申し上げるとともにお知らせいたします。 竹内 悊元理事長は、1979年ピッツバーグ大学図書館情報大学院博士課程を修了され、中学、高等学校図書館と大学図書館で勤務された後、立正大学講師、専修大学講師、
Published 2021/03/13 10:00 (JST) Updated 2021/03/14 10:57 (JST) ジャーナリストの関千枝子さんが2月21日、出血性胃潰瘍で急死された。88歳で現役のジャーナリスト、ペンを持ったままの旅立ちである。 関さんといえば、『広島第二県女二年西組 原爆で死んだ級友たち』をはじめ、原爆被爆者としての著作や、被爆地でのフィールドワークが知られているが、それだけではない。新聞記者歴も長く、住民運動の担い手としても活動範囲は広かった。近くにいたつもりのわたしも知らないことが多いと思うが、知る限りで関さんの仕事を記して、送る言葉としたい。(女性史研究者・江刺昭子) ▽生きのびたことへの自責 1932年、大阪生まれ。東京で育ち、東京女学館初等科から中等科に進学。44年5月、港湾倉庫会社勤務の父の転勤で広島に移り、県立広島第二高等女学校に転校した。2年
移動図書館車で作業する館長時代の前川さん(右端)=1960年代、日野市で(いずれも日野市立図書館提供) 日野市立図書館の初代館長の前川恒雄さんが十日、八十九歳で亡くなった。今でこそ、図書館が市民に本を貸し出すのは当たり前だが、一九六〇~七〇年代に実践し、モデルをつくったのが前川さん。「市民が自由に本を借りて読めることが民主社会の基本で、それを支えるのが図書館」との信念を貫いたという。 (松村裕子) 当時の図書館は、市民が見て回れる書架はなく、希望者には書庫から本を出して閲覧してもらうのが一般的だった。日本図書館協会の職員だった前川さんは六五年、後に日野市長になる上司の有山〓(たかし)さんの誘いで市立図書館長に就任すると「何でも、いつでも、どこでも、誰でも」を目標に掲げた。
「市民の図書館」開拓 初代の日野市立図書館長として、1960~70年代に貸し出し中心の市民のための公共図書館づくりを先駆者として実践した前川恒雄さんが10日、89歳で亡くなった。 日本図書館協会職員だった前川さんは65年、市立図書館のなかった日野市の図書館長に就任、バスを改造した移動図書館「ひまわり号」で活動を始めた。当時は館内での閲覧がサービスの中心だったが、「利用者に最も望まれている貸し出しが公共図書館の基本的なサービスだ」と主張した。2週間に1度回ってくる移動図書館は人気を集めた。 73年に市中央図書館が開館。障害者へのサービス、地域資料の収集を進めた。市助役になった77年には「市政図書室」を開いた。
一関図書館開館5周年トークショーで開館当時の思い出や今後の施設の在り方を語る伊藤さん=2019年11月24日、一関図書館 書店勤務時代に「カリスマ店長」と称された一関市立一関図書館副館長の伊藤清彦(いとう・きよひこ)さんが17日午前2時、急性心臓死のため同市東山町の自宅で死去した。65歳だった。店長としての経験を生かし、貸出点数で県内トップの施設に導いた立役者の訃報に関係者らから悲しみや追悼の声が上がった。 盛岡市のさわや書店本店の店長時代に「天国の本屋」「がんばらない」など良書の発掘やPOP広告の活用などで売り上げを伸ばした。退職後、新一関図書館整備計画委員を務め、2012年4月から大東図書館長、13年4月から一関図書館副館長を務めた。 就任直後から翌年に現在地で開館が予定されていた新一関図書館の準備作業に携わった。自身の豊富な読書量に加え、書店員時代のノウハウを生かし、蔵書の選定や棚づ
2月17日午前2時、急性心臓死のため死去した。65歳。同20日午前11時から岩手・一関市の千厩斎苑で火葬を行い、葬儀は翌21日午後1時から岩手・一関市東山町長坂字東本町164の安養寺(TEL0191-47-3446)で執り行われる。喪主は長男の綾人さん。 伊藤清彦氏は1991年から2008年までの約17年間、さわや書店に勤め、11年には『盛岡さわや書店奮戦記』(論創社)を上梓した。
八ケ岳山麓(さんろく)の空に鈍色(にびいろ)の雲が広がった今月8日のたそがれ時。山荘の屋根をたたく雨が、高橋卓志(たくし)和尚(69)と参列者が唱える般若心経と、染み入るようなセッションを奏でた。 本棚の前に置かれたひつぎの中で、千葉の自宅から搬送された司書の鈴木均(ひとし)さん(享年46)が安らかな顔で永久の眠りについている。「均は思い通りに生き抜いた」。和尚の言葉には、「そうだ、そうだ!」と合いの手が入る。14人の身内が思い出を笑顔とぬくもりの涙で紡ぐ通夜だった。 「(鈴木家の)山荘で本に囲まれて旅立ちたい」。メラノーマ(悪性黒色腫)が脳転移して末期と宣告された均さんが和尚に持ちかけたのは1月8日。長野県松本市にある臨済宗「神宮寺」の住職を務める和尚は、48歳で早世した均さんの父親とは同窓の友で均さんの成長を幼い頃から見守ってきた。
塩谷町出身の作曲家船村徹(ふなむらとおる)さん(16日死去)の訃報が伝えられてから一夜明けた18日、日光市今市の「日本のこころのうたミュージアム 船村徹記念館」には前日に続き大勢のファンが訪れ、追悼コーナーを設けた図書館では郷土の作曲家をしのぶ姿が見られた。 同記念館の記帳所には、前日夕方からの2日間で200人以上が訪れた。訃報を知って群馬、茨城など県外から来館した人もおり、人気の高さを改めてうかがわせた。 記帳は3月末まで受け付ける(午前9時~午後8時半)。休館日の今月21、28日は臨時営業する。 同市今市図書館は、船村さんに関連する本やCDなどを集めた追悼展示を始めた。 昨秋の文化勲章受章を記念した関連資料紹介コーナーを開設中の県立図書館ではこの日、何人もの来館者が資料を見たり、借りたりしていた。同館は今後も展示を続ける予定。
去る11月8日に気谷陽子先生が亡くなられた。享年64歳。僕は彼女の生前の最後の3年半ほどを仕事を通じて知っているだけで、このような話をネットで告知するようなかたちとなることには少々ためらいはあるのだが、彼女の講義を受けた人も多くいるはずであり、追悼の意味でここに記しておきたい。 気谷先生は長らく筑波大学図書館に勤務し、その間に図書館情報学の博士号も得ている。実務経験と研究業績を兼ね備えた図書館の専門家だった。定年退職の前後から南関東のいくつかの大学で非常勤講師をはじめ、獨協大学、専修大学、聖学院大学など司書資格課程を置く大学で教鞭をとった。もっとも目立った仕事は、放送大学での講義「情報メディアの活用」の講師だろう。同タイトルの教科書では山本順一先生との共編著者として名を連ねている。放送大学での講義は今年7月末にも放映されており、それを見た知人は「おそらく撮影時期はずっと以前だろうが」と断っ
京都市出身で、「ミスター・ラグビー」と呼ばれた神戸製鋼ゼネラルマネジャーの平尾誠二氏が20日に53歳の若さで急逝したことを悼み、京都市図書館は21日、中央図書館(同市中京区)など4図書館で、平尾氏の著書や関連資料を展示・貸し出しするコーナーを設置した。 ほかに展示・貸し出しを行うのは、右京中央図書館(右京区)▽伏見中央図書館(伏見区)▽醍醐中央図書館(同)。 このうち中央図書館では、所蔵する平尾氏の著書「勝者のシステム」や平尾氏の伏見工高時代の監督、山口良治氏との共著「気づかせて動かす」などの書籍のほか、平尾氏が選手として活躍した神戸製鋼や日本代表などに関連する図録、年鑑、新聞記事なども展示・貸し出しを行っている。 平尾氏は伏見工高、同志社大出身で、日本ラグビー史上に残るスター選手として活躍し、日本代表の主将、監督も務めた。こうした平尾氏の功績や、平尾氏が愛したラグビーを市民に広く知っても
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