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自衛隊と社会に関するyuichi0613のブックマーク (3)

  • 暴力装置 - おおやにき

    いやいや何を言っているんだ自衛隊は国家の暴力装置に決まってるだろう(参照:「仙谷氏「自衛隊は暴力装置」 参院予算委で発言、撤回」(asahi.com))。国家が(ほぼ)独占的に保有する暴力こそがその強制力の保証だというのは政治学にせよ法哲学にせよ基中の基であり、その中心をなすのが「外向きの暴力」としての軍隊と「内向きの暴力」としての警察である。で、日では主として歴史的経緯によりこの両者が相当明確に区別され、かつ現実的にもあまり仲が良かったり悪かったりという話があるわけだが(戦前ならゴーストップ事件が典型ね)、フランスやイタリアにある国家憲兵隊制度や、発展途上国に多い警察軍制度に示されているように暴力としての質に違いがあるわけではなく向きを変えれば同じものであると、そう整理されることになる。 その上で、まあ法哲学的にはゆえに国家は質的に悪であるとする立場と、しかしこの暴力抜きには社

  • 「暴力装置」イコール問題発言の構図 - on the ground

    仙谷氏「自衛隊は暴力装置」 抗議受け謝罪、首相も陳謝 http://www.47news.jp/CN/201011/CN2010111801000326.html ツイッターでは政治家が政治学/社会学における初歩の初歩も知らないのか、として批判者を問題視する反応が(私のタイムラインでは)多かったように思いますが、今回の事案で重要なのはヴェーバーやレーニンがどうということではなく、現代の日において市民がいかに訓致化されているかということです。 市井の一般の人々がヴェーバーなど読むはずもなく、その多くが暴力なる機能語に規範的意味を過剰に読み取ってしまうのは自然であり、その反映としての側面を持つマスメディアや政治家が仙谷発言を批判的に捉えること自体は大した話ではありません。日ほど相対的高度に民主化された国家において、軍事組織を「暴力装置」と表現することがこれ程の反発を呼び起こすのは、むしろ当

    「暴力装置」イコール問題発言の構図 - on the ground
  • 自衛隊は「暴力装置」である : 池田信夫 blog

    2010年11月19日00:08 カテゴリ法/政治 自衛隊は「暴力装置」である 仙谷官房長官の「自衛隊は暴力装置」という国会での発言が問題になり、撤回して陳謝したが、撤回する必要はない。自衛隊はれっきとした軍隊であり、軍隊とは暴力装置に他ならない。これに抗議している自民党は、自衛隊を災害救助隊だとでも思っているのか。正確にいうと、暴力装置は国家である。マックス・ウェーバーは、主権国家を「合法的な暴力の独占」と定義した。これは『国家と革命』におけるレーニンの定義で、最初に提唱したのはトロツキーだとされる。 レーニンは、国家を物理的な暴力(Gewalt)と心理的な権威(Macht)によって成り立つブルジョア階級の統治機構と考え、そのコアにあるのが軍事力だと考えた。この規定が正しかったことは、彼の革命が成功したことによって確かめられた。その後のロシアが悲惨な運命をたどったのも、レーニンの掌握した

    自衛隊は「暴力装置」である : 池田信夫 blog
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