双葉社は「週刊大衆」、「漫画アクション」などの定期刊行物、コミック、書籍などを発行している総合出版社です。
訃報 平成30年7月3日未明、 週刊少年チャンピオンにて『鮫島、最後の十五日』を連載中の 佐藤タカヒロ先生が永眠されました。 享年41でした。 ここに生前の読者の皆様のご愛顧に深謝し謹んでお知らせ申し上げます。 編集部一同、先生の画業に敬意と感謝を表するとともに、先生の作品を読み、 心を震わせることができたことを幸せに思いながら、 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 またご遺族の皆様には心よりお悔やみ申し上げます。 なお、葬儀は近親者のみで執り行われますことを、 あわせてご報告させていただきます。 佐藤タカヒロ先生が週刊少年チャンピオンにて連載中の 『鮫島、最後の十五日』は週刊少年チャンピオン33号掲載分にて、 最終回とさせていただきます。 単行本に未掲載分の刊行等、今後に関しましては 決まり次第改めて週刊少年チャンピオン本誌、 並びに公式HPにて告知させていただきます。 株式会社秋田書店
黒岩よしひろ氏の死に思う 描き切れぬ漫画家の苦悩
アニメ『GS美神』でヒロイン美神令子の声を演じていただいた、鶴ひろみさんが急逝なさいました。数多くの人気作品でバリバリ活躍なさっていた方ですし、逝かれるにはまだ早すぎる年齢なので、ニュースが流れたときにはまさかという思いでした。 伝え聞く話では、高速道路で運転中の突然の発作だったにもかかわらず、ハザードをつけて停車させるところまでやってのけたそうです。小さい頃から自分の名前で仕事をしてきた生粋の役者さんらしい、責任感の強さだったように思います。 私は『ペリーヌ物語』のヒロインが大好きで、特にまだ初々しい鶴さんの声には萌え萌えでした。その後いろんな番組でお声を聴くようになり、声と芝居にどんどん力強さが加わっていく様子に「この人、素敵だなー」「いつか自分もギョーカイで働けるようになって、お会いできたりするかしら」と・・・まー熱狂的ではないけれど、フツーにキモい声優ファンですね(笑)。なので初め
僕のマンガ家デビューは1979年、第12回「週刊少年チャンピオン新人まんが賞」の佳作に入ったのがきっかけで、その年の暮れには最初の週刊連載が始まった。 そして小山田いくが同じ賞の佳作に入ったのは、同じ79年の第13回(同賞は1年に2度募集があり、僕が上期、彼が下期にあたる)。翌年から『すくらっぷ・ブック』の連載が始まった。 かように同賞はなかなか受賞作が出ないまま、佳作に入った応募者を次々にデビューさせていたので「秋田書店は賞金を払いたくないだけじゃないか」と陰でささやかれていた。真相はわからない。 それはともかく、同時期の同雑誌デビュー、歳もほぼ同じ(小山田氏のほうが一歳年上)とあっては、いやがおうにも意識せざるをえない存在ではあった。 しかしそれは、ライバル視、というのとはちょっと違っていた。 僕はギャグマンガを志向しており、小山田いくの描くマンガはキャラクターこそ2頭身から3頭身とギ
水木しげるが本日11月30日7時18分、多臓器不全のため東京都内の病院にて逝去した。93歳。11月11日に自宅で転倒し、頭部打撲による硬膜下血腫で緊急手術を受け一時回復していたが、11月30日未明に容体が悪化した。通夜・告別式は親族のみにて、後日お別れ会が執り行われる。 1922年生まれ、鳥取県境港市で育った水木は1958年に「ロケットマン」で貸本マンガ家としてデビュー。1964年にはガロ(青林堂)にて商業誌デビューを果たした。水木の代表作「ゲゲゲの鬼太郎」は5度にわたりTVアニメが制作され、2008年には貸本版の「墓場鬼太郎」もフジテレビ・ノイタミナ枠ほかにてアニメが放送された。そのほか代表作に「河童の三平」「悪魔くん」などがある。 1991年には紫綬褒章、2003年には旭日小綬章を受章し、2010年には文化功労者にも選ばれている。また同年2010年には、妻・武良布枝が水木との夫婦生活を
「ゲゲゲの鬼太郎」などの作品で知られる漫画家の水木しげる(みずき・しげる、本名武良茂=むら・しげる)さんが、30日午前7時18分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。93歳だった。 1922年生まれ。鳥取県境港市出身。43年、召集され現パプアニューギニアのラバウルへ。米軍の空襲で左腕を失う。46年、復員。紙芝居作家を経て58年「ロケットマン」で漫画家デビューした。 幼い頃から妖怪に興味を持ち、「河童(かっぱ)の三平」「墓場鬼太郎」など、一貫して妖怪を描き続けた。代表作「鬼太郎」は、68年から2009年にかけ6作もテレビアニメシリーズが作られた。戦争体験に基づいた「総員玉砕せよ!」「コミック昭和史」「水木しげるのラバウル戦記」など、戦争を告発する作品でも名作を残した。 93年、境港市に鬼太郎や妖怪のブロンズ像を並べた「水木しげるロード」ができ、人気の観光スポットになっている。水木さんと
藤原は1999年に「CALLING -コーリング-」でデビュー。その後「わたしの狼さん。」「dear」などを発表し、2009年より月刊ガンガンJOKER(スクウェア・エニックス)にて連載していた「妖狐×僕SS」はTVアニメ化も果たした。なおガンガンJOKERにて連載中の「かつて魔法少女と悪は敵対していた。」は、3月20日に発売された4月号掲載分にて最終回となる。単行本未収録分の刊行など、今後の情報は決定次第、誌面および公式サイトにて告知される予定だ。
佐渡川先生の訃報を聞いた時、正直誤報だと思いました。 どんな情報を見ても聞いても、事実として受け入れる事が 出来ませんでした。 断固として信じる気はありませんでした。 ですが、通夜、告別式、火葬を見届けて、 これが事実だと確信できました。 辛いですが、受け止めねばなりません。 自分は無敵看板娘の後期から無敵看板娘Nの終わりまでの一年半、 佐渡川先生のアシスタントとしてお世話になりました。 また、アシスタントを終えて、イカ娘の連載が始まった後も、 差し入れにダンボール一杯の缶コーヒーを持って実家に遊びに来て頂いたり、 初めてのサイン会を見に来て頂いたり、 アニメ放送時に電話を頂いたりと、自分を気にかけて下さいました。 仕事場にずっとイカ娘のポスターを貼って下さっていたともお聞きしました。 とても優しい先生でした。 佐渡川先生への想いは、ここでは語り尽くせません。 佐渡川先生が残してくれたメッ
朝日新聞デジタル:漫画家・佐渡川準さん自殺か 代表作「無敵看板娘」 - おくやみ 佐渡川準先生 訃報 | 秋田書店 ちょっと、このニュースに心がざわついております。 「お悔やみ申し上げます」というセリフはあまりに形骸化した言葉に見えて、使いたくないです。 佐渡川先生はわたしがタダのチャンピオン読者だった時からチャンピオン作家として活躍しており、やや低迷期に思えた時期に、「無敵看板娘」アニメ化で確かにチャンピオンを支えて持ち直した作家さんの一人だと思います。 チャンピ読者だった自分が、幸運にも「悪徒」でチャンピオン連載することが出来た時も、「PUNISHER」が新連載同期でした。 作家歴が純粋にチャンピオンからであり「無敵看板娘」で実績もある佐渡川先生を、様々な出版社を渡り歩いて来た新参者である自分は、勝手にライバル視もしてましたね。 その勝負の行方は皆さんご存知のとおり。 私が他社へ移った
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