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ブックマーク / call-of-history.com (35)

  • 「マーロウ・ウォーロード」と呼ばれるアングロ・サクソン人有力者の墓が発見 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    イングランド南東部バークシャーにあるテムズ川中流域の町マーロウの丘陵地で六世紀頃のアングロ・サクソン人有力者の墓が発見された。調査にあたったレディング大学がプレスリリースで発表し、The Gurdian他各紙で報じられている。 発見された墓には装飾された鞘と鉄製の剣、および青銅製のボウルやガラス製の容器、衣類の金具、槍の穂先など多くの副葬品とともに身長6フィート(約1.8メートル)の男性の遺骨が埋まっていた。Live Scienceによると、当時のイングランドの男性の平均的な身長が5.7フィート(約1.7メートル)であったといい、平均的な身長よりかなり高い。研究者はこの遺骨の人物を発見された地名にちなんで「マーロウ・ウォーロード(Marlow Warlord,注1)」と呼んでいる。 調査にあたったレディング大学のガボール・トーマス博士は「この男は、当時の他の男性に比べて背が高くがっしりして

    「マーロウ・ウォーロード」と呼ばれるアングロ・サクソン人有力者の墓が発見 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    gimonfu_usr 2020/11/02
    ( ワシは日本国皇室を敬愛するものだけど、英国王室のようにDNA検査結果も公表してしまう度胸がないのは、やはりある種の「ひよわな花」感があるな。) ( https://call-of-history.com/archives/20841 )
  • 九世紀頃のアングロ・サクソン少女の頭蓋骨、皮剥ぎ・鼻削ぎ刑が加えられていたことが判明 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    分析された八~九世紀頃のアングロ・サクソン人少女の頭蓋骨。 © Garrard Cole, Antiquity Publications Ltd., 2020 イングランド南部で1960年代に発見された八~九世紀頃のアングロ・サクソン系の人骨を調査していた考古学者たちが、アングロ・サクソン時代の法典類に記載されている皮剥ぎ・鼻削ぎ刑の古い例となる痕跡を発見した。CNNが報じている他、詳しくは、調査にあたったユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(University College London, UCL)考古学研究所(Institute of Archaeology)のギャラード・コール(Garrard Cole)氏らがジャーナル” Antiquity”で調査結果についてサマリーを公開している。 Garrard Cole, Peter W. Ditchfield, Katharina Du

    九世紀頃のアングロ・サクソン少女の頭蓋骨、皮剥ぎ・鼻削ぎ刑が加えられていたことが判明 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    gimonfu_usr 2020/11/01
    (平均寿命の短い九世紀のハィテイーンの婚姻を「児童婚」と非難するのはどうなんだろう。この少女が既婚者だったかは知らないけど。) (密通姦淫の罰として「唇を切り取る」私刑の話はなにかで読んだな。)
  • 『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説』桜井俊彰 著

    人が「イギリス」と呼ぶ「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国”United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland”」は、連合王国の名の通り、ブリテン諸島(British Isles)のイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの四つのネーションによって成立している。それぞれ独立した政府と議会を持ち、言語や文化的差異も少なくなく、スポーツの国際大会にも個別に代表チームを送る、四つで一つの連合国家として存立している。 分離独立の動きを活発化させるスコットランドや、過激な武力闘争による独立運動を経て独立したアイルランドおよび連合王国に残留した北アイルランドなどと違い、ウェールズは皇太子の称号プリンス・オブ・ウェールズとして知られるだけでどうにも影が薄い。英国旗として知られるユニオン・ジャックもイングランド、スコットラン

    『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説』桜井俊彰 著
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    gimonfu_usr 2020/07/06
      ( /ブリトン人 /スコット人 /ピクト人 ) ( /サクソン人〔西暦400年代・ゲルマン系〕 /ペイドン丘の戦い)
  • 「戦闘技術の歴史2 中世編(創元社)」マシュー・ベネット他 編著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    書は創元社から刊行されている「戦闘技術歴史」シリーズの第二巻目で、五世紀から十五世紀の中世ヨーロッパにおける様々な戦闘が一冊にまとめられている。同時代の戦いがどのようなものであったかを理解する上でぜひ読んでおきたい充実した内容の概説書である。 全体の構成としては歩兵(第一章)、騎兵(第二章)、指揮と統率(第三章)、攻城戦(第四章)、海戦(第五章)に章立てられ、それぞれのテーマに沿った様々な戦いが紹介される内容で、戦闘の展開や歴史の流れが中心で、武器や装備、技術的な解説は控えめといえる。 中世ヨーロッパの戦闘というと華やかな「騎士」がまず思い浮かぶが、実は騎士の時代は短く十二世紀頃から十四世紀初頭頃までが全盛期で以後中世末までに衰退していくことになる。一貫して眺めると、むしろ歩兵の有用さが光っていて、書でも最初に歩兵の活躍が描かれている。 「第一章 歩兵の役割」では東ローマ(ビザンツ)

    「戦闘技術の歴史2 中世編(創元社)」マシュー・ベネット他 編著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • ドイツ中世の代表的エロ文学作品、起源が二世紀も遡る歴史的大発見

    オーストリア科学アカデミー(英語”Austrian Academy of Sciences”,ドイツ語” Österreichische Akademie der Wissenschaften”)の調査でオーストリアのメルク修道院の図書館から、中世ドイツのエロティックな詩「ヴァギナ・モノローグ”vagina monologue”」として知られる” Der Rosendorn”(薔薇の棘)の十三世紀頃のものと見られる断片が見つかった。オーストリア科学アカデミーのリリース”EROTIC POEM FROM THE MIDDLE AGES“他、The Guardian紙などが報じている。 “Der Rosendorn”は処女の女性と擬人化された彼女の女性器との対話と冒険を描いたドイツ中世詩で、両者は男性が女性に求めるものは何かということについて議論し、女性は自身の外見の美しさだと主張するが、女性

    ドイツ中世の代表的エロ文学作品、起源が二世紀も遡る歴史的大発見
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    gimonfu_usr 2019/08/24
    ( "〔後世のラテン語書籍の装丁に再利用されていた〕22センチ×1.5センチの細長い羊皮紙を発見" "1300年頃〔に書かれた詩〕"  "メルク修道院" "性に関するこのような解放性" )( オーストリア )
  • グリム童話「白雪姫」のモデルと考えられる十八世紀の女性の墓石が発見

    「白雪姫」のモデルと考えられている十八世紀の女性マリア・ゾフィア・フォン・エルテルの失われていた墓石が発見された。ドイツ南部バンベルク教区博物館(英語” Bamberg Diocesan Museum” , ドイツ語”Diözesanmuseum Bamberg”)が発表した。 グリム兄弟が「グリム童話集」(1812年)に収録した「白雪姫」はモデルとなった実在の人物がいると考えられている。有力候補は二人おり、一人はドイツ歴史家エックハルト・ザンダーが1994年に提唱した16世紀ドイツ・ヘッセン地方の貴族女性マルガレータ・フォン・ヴァルデック(”Margaretha von Waldeck”1533年生~1554年没)、もう一人が十八世紀、バイエルン地方の貴族女性マリア・ゾフィア・マルガレータ・カタリナ・フォン・エルテル(” Maria Sophia Margaretha Catharin

    グリム童話「白雪姫」のモデルと考えられる十八世紀の女性の墓石が発見
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    gimonfu_usr 2019/08/24
    ("十八世紀の女性" "バイエルン地方" "バンベルクの修道院"  没年70歳前後らしい。)
  • アメリカ議会図書館、2000年前の最古級ガンダーラ語仏教写本をデジタル化し公開

    アメリカ議会図書館(“Library of Congress”)」は同図書館所蔵の初期仏教史に関する「ガンダーラ語仏教写」の最古級の写の一つ「ガンダーラ・スクロール” Gandhara scroll”」のデジタル化およびオンライン公開を行ったことを発表した。 「ガンダーラ・スクロール” Gandhara scroll”」はガンダーラ語カローシュティー文字で書かれた写で、Dīpaṅkara, Sarvābhibhū, Padmottara, Atyuccagāmin, Yaśottara, Śākyamuni, Tiṣya, Vipaśyin, Śikhin, Viśvabhū, Krakucchanda, Konākamuni, Kāśyapa, Śākyamuni, Maitreyaの十五仏の生涯を描く。 『釈迦が説法するもので、釈迦の前に現れ

    アメリカ議会図書館、2000年前の最古級ガンダーラ語仏教写本をデジタル化し公開
  • 2019年8月公開予定の外国歴史映画予告編5本まとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー

    真実に基づくテリー・フーリーの物語。1970年代の北アイルランドは紛争の真っ只中にあり、多くの犠牲者を生み出していた。1975年に北アイルランドをツアー中のアイルランドのバンド、マイアミ・ショーバンドがアルスター義勇軍によって虐殺された<マイアミ・ショーバンド虐殺事件>によって、北アイルランドにやって来るミュージシャンは激減し、北アイルランドの音楽産業は壊滅状態となっていた。そんな中、町を出ずに客のいないナイトクラブでDJを続けていたテリー・フーリーは、運命の女性ルースと出会い燃えるような恋に落ち、やがて結婚を決意する。そして生計を立てる為にベルファストにレコード店<GOOD VIBRATIONS>を開店させるのだった。

    2019年8月公開予定の外国歴史映画予告編5本まとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー
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    gimonfu_usr 2019/07/31
    (『トム・オブ・フィンランド』フィンランド映画はカウリスマキ以来かもしれん。不勉強すぎる。) / その他のも面白そうすぎる。〔そして日本語下手クソすぎ 〕
  • 運営資金支援のお願い~「Call of History ー歴史の呼び声ー」実績とこれから

    「Call of History ー歴史の呼び声ー」は2018年6月20日、個人ブログ「Kousyoublog」の歴史関連記事を一部移行して始めたブログ形式の歴史情報サイトです。

    運営資金支援のお願い~「Call of History ー歴史の呼び声ー」実績とこれから
  • ユーグ・カペー(フランス王、在位987~996)

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    gimonfu_usr 2019/07/03
      ( フランス )
  • イラク北部でダムの水が引き約3400年前のミタンニ帝国の宮殿遺跡が発見

    2019年6月27日発表のテュービンゲン大学プレスリリースによると、2018年秋、イラク北東部クルディスタン地域にある、ティグリス川東岸のモスル・ダム(1980年建設)の貯水池の水が引いたところ、青銅器時代の宮殿が発見された。考古学的に非常に重要な発見として海外でもCNN、BBC他各ニュースで報じられている。 動画:テュービンゲン大学/ Eサイエンスセンター制作 クルド人実業家の資金援助を受けてドイツ・テュービンゲン大学とクルディスタン考古学機構(Kurdistan Archaeology Organization (KAO))の合同チームが調査を行い、同宮殿(ケムネ宮殿”Kemune Palace”)が紀元前15世紀から14世紀にかけてメソポタミア北部とシリアの大部分を支配していたミタンニ(ミッタニ)帝国の時代にさかのぼることができることが判明した。 クルド人考古学者ハサン・アフメド・カ

    イラク北部でダムの水が引き約3400年前のミタンニ帝国の宮殿遺跡が発見
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    gimonfu_usr 2019/06/30
    ("紀元前15世紀から14世紀にかけてメソポタミア北部とシリアの大部分を支配していた" )("イラク南部の旱魃にともなうモスル・ダムの大幅な水位の低下によって、ついに姿を現し、調査が可能となった" )
  • イングランド王妃エマ・オブ・ノルマンディーの遺骨が発見

    エマ・オブ・ノルマンディ(980頃~1052)はノルマンディー公リシャール1世の娘で、1002年、デーン人の侵攻に対抗してノルマンディー公の協力を得たいイングランド王エゼルレッド2世(在位979~1013,1014~16)の求めに応じて妃として迎えられます。結婚後、後のイングランド王エドワード証聖王(在位1042~66)を産み、1017年、イングランド王となったデーン人の王クヌート(在位1016~35)の求めに応じて再婚、デーン朝北海帝国(イングランド、デンマーク、ノルウェーの同君連合、1016~42)最後の王ハーデクヌーズ(在位1040~42)を産みました。 後にイングランドに侵攻してノルマン朝を創始するノルマンディー公ギヨーム2世(征服王ウィリアム1世、在位1066~87)の叔母にあたり、この縁戚関係がウィリアムによるイングランド王位請求理由のひとつでもありました。アングロ・サクソン王

    イングランド王妃エマ・オブ・ノルマンディーの遺骨が発見
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    gimonfu_usr 2019/06/08
    ( イギリス )( /ウィンチェスター大聖堂〔国教会〕)
  • 「人種主義の歴史」ジョージ・M・フレドリクソン 著

    「人種主義(Racism:レイシズム)」は歴史上どのような過程を経て登場してきたのか?西洋における人種主義の歴史と全体像を丁寧に描いた一冊。 「人種主義」は現代においては「外国人嫌悪(Xenophobia:ゼノフォビア、クセフォビア)」とともに表面化してくることが多いが、歴史的には、古代から様々な民族集団・共同体で見られる「外国人嫌悪」や「自民族(自文化)中心主義(Ethnocentrism:エスノセントリズム)」と「人種主義」の登場とは直接の関係は見られない。 フレドリクソンは、「人種主義」の起源を十五世紀のスペインに求めている。宗教的寛容と多文化共存が両立した中世スペイン社会はペストの流行に基づく社会不安や市場経済の進展による既存秩序の動揺、イスラーム勢力との対外戦争、統一国家の建設を背景とした国威発揚など様々な要因からユダヤ教徒を「血の浄化」という血統主義に基づく差別・排除を行う「宗

    「人種主義の歴史」ジョージ・M・フレドリクソン 著
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    gimonfu_usr 2019/05/23
    ("異種婚の禁止が無いだけで、大日本帝国の植民地統治体制は「準明示的人種主義体制」" )( ③の"人種隔離が合法化されること" てあったかな。④の日本統治下参政権は朝鮮半島についてはhttps://tinyurl.com/y3hgw8r2 )
  • 「メキシコ麻薬戦争: アメリカ大陸を引き裂く『犯罪者』たちの叛乱」

    メキシコの麻薬組織のニュースは日でも盛んに報じられるようになった。大半は政治家や地元警察の幹部が殺されたとか、死体をバラバラに切り刻まれたとか生首が晒されたといった残酷極まるもので、相次ぐ目を覆いたくなるニュースに、メキシコで今何が起きているのかと驚かされる。 書は、近年激化の一途をたどるメキシコの麻薬組織抗争と政府の衝突について、著者が現地で当事者たちから丁寧な取材を行い、その全体像を明らかにした一冊である。第一部(第二章~第七章)では麻薬組織台頭の歴史が、第二部(第八章~第十二章)では麻薬取引の様子から生活、文化、信仰、殺し屋たちなどマフィアの実像が、第三部(第十三章~第十六章)では、現在の拡大するメキシコの麻薬組織の影響力、政府と組織、組織間の対立の構図、グローバル化するネットワーク、そして今後の展望について、400ページ以上、充実のボリュームで描かれている。 書の第一部約15

    「メキシコ麻薬戦争: アメリカ大陸を引き裂く『犯罪者』たちの叛乱」
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    gimonfu_usr 2019/05/23
    ("ほとんど流通していない国では論外だが、メキシコやアメリカのように日常的に入手できる状況だと、むしろ合法化することで規制と管理の網をかけ、マリファナの生産・取引の現場から非合法組織を排除" )
  • 「エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇」

    HIVは無害でエイズの原因ではなく、治療に用いる抗レトロウィルス薬こそがエイズの原因で、政府、製薬会社、科学者がその有害な薬を売るためにエイズという伝染病を作りだした――そんな、科学的根拠が全くなく、完全に否定されているはずの説が世界中に広がりつつある。その、疑似科学と陰謀論とが融合した「HIV/エイズ否認主義」はなぜ広まっているのか、その発生要因と影響の分析、主要論者の紹介、そして彼らの説に対する科学の側からの反論をまとめた一冊である。 HIV/エイズ否認主義HIV/エイズ否認主義の主張の主な特徴は書によると以下の通りだ。(P17) ・自分たちだけが「HIVは無害なウィルスで病気の原因とはなりえず、抗HIV薬は毒物で、エイズを引きおこすDNAのターミネーターに他ならない」という真実を知っていると考えている。 ・「巨大製薬産業と医学界が国立衛生研究所と生物医科学全般を堕落させてきた。」と

    「エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇」
  • 『図説 十字軍 (ふくろうの本/世界の歴史) 』櫻井康人 著

    豊富な図版と手堅くわかりやすいコンパクトにまとまった記述に定評のある河出書房新社の「ふくろうの」シリーズから2019年に出た「図説 十字軍」である。 十字軍というと、獅子心王リチャード1世とサラディンが名勝負を繰り広げた第三回十字軍やコンスタンティノープルで破壊の限りを尽くした悪名高い第四回十字軍など西アジアでの対イスラーム十字軍のイメージが強く、学校教育でも『西欧キリスト教勢力がイスラームの支配下に入ったイェルサレムを奪還するためにおこした軍事遠征。(中略)正式には計7回の遠征が行われたが、第1回十字軍の成功以後はその大義を失った』(全国歴史教育研究協議会編『世界史用語集』(山川出版社,2014年,98頁))と教えられているが、十字軍研究では十字軍は対イスラームに限らず、また時間的にももっと長期に取るようになっている。 著者は書の『プロローグ「十字軍」とは何であったのか?』で上記の世

    『図説 十字軍 (ふくろうの本/世界の歴史) 』櫻井康人 著
  • ポスト・ローマ期(5~6世紀)のブリテン諸島の歴史

    ブリテン諸島史「五世紀のアングロ・サクソン人のブリテン島移動」 著作権:my work [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)] ポスト・ローマ期とは以下のように定義される。 『「ポスト・ローマ」とは、皇帝権がのちにヨーロッパとなる地域から消滅した5世紀末から、8世紀末年のシャルルマーニュの戴冠と、812年アーヘン和約によって「西の帝権」がコンスタンチノープルのローマ皇帝によって承認されるまでの時期を想定している。』(近藤33頁) ブリテン諸島史においては、広義には410年のローマ皇帝ホノリウスによるブリタニア属州放棄から、アングロ・サクソン諸族の侵攻と七王国時代を経て九世紀半ば~十世紀初めのウェセックス王国による統一王権の形成までの約500年の時期を指すが、ここでは狭義のポスト・ローマ期、すなわちローマ

    ポスト・ローマ期(5~6世紀)のブリテン諸島の歴史
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    gimonfu_usr 2019/05/04
    ( /ブリテン諸島 )
  • 「幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで」橋本 一夫 著

    昭和十五年(1940)の国際オリンピック大会は様々な政治的思惑が絡んで東京に決定したが、開催直前になって返上を余儀なくされた。招致活動の開始から返上に至る過程を丁寧に描いた一冊。 1940年オリンピック返上の理由として「日中戦争の影響」と一言で片付けられることが多いが、書を読むと、むしろ、日側の準備不足と責任能力の欠如こそが大きな要因であったことがわかる。そのドタバタっぷりは、某アニメの台詞ではないが「なんですか、これ」って言いたくなるレベルだ。 オリンピックには普遍主義と国家主義という二つの顔がある。人種・民族・国家を越えて選手一人一人が参加することに象徴される平等と差別排除の追求、主体となる選手の身体性と結びついて増幅される国家の威信と同胞意識。オリンピックの登場以来、この二つは常に表裏一体であった。1940年の東京オリンピックへ至る過程もこの双面から自由ではない。 そもそもの始ま

    「幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで」橋本 一夫 著
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    gimonfu_usr 2019/04/26
    (鈴木明氏の『1936年ベルリン至急電』によれば招致予算八千五百万円、決定後のスタジアム建設費用予算一千円だったらしい。日中戦争拡大阻止の方策が関係各国の政局の変化で崩れてくあたりにも触れられている。)
  • セミラミス伝説の誕生と変容の歴史~メソポタミアから中世ヨーロッパへ

    セミラミス(” Semiramis ”)は伝説上のアッシリアの女王。ヘロドトスが「歴史」でバビロンの堤防を築いた女王としてその名を挙げて以降、古代ギリシアで様々な著者によってエピソードが創作され、伝説上の人物となった。 アッシリアの王妃サムラマトとその時代モデルと考えられているのは紀元前800年ごろ、アッシリアに実在した王妃サムラマト(” Shammuramat ” or ” Sammuramat ”、シャムラマット、サンムラマートなどとも表記される)。サムラマトはアッシリア王シャムシ・アダド5世(在位:前823~811)の王妃で、同王の死後、子のアダド・ニラリ3世(在位:前810~783)の摂政となった。(注1) アッシリア帝国の主要都市カルフ(現在のニムルド)のナブー神を祀った神殿エズィダにあるカルフの代官ベール・タルツィ・イルマが奉納した神像に『神ナブーに(中略)、アッシリア王アダド

    セミラミス伝説の誕生と変容の歴史~メソポタミアから中世ヨーロッパへ
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    gimonfu_usr 2019/04/12
    ( なんか聞いたことあると思ったらオペラだ。)
  • 「ネイティブ・アメリカン―先住民社会の現在」鎌田 遵 著

    まず呼称について、「インディアン」とは周知の通り1492年にコロンブスが「新」大陸を「発見」したときにカリブ海のサンサルバドル島をインドと勘違いして呼び始めた呼称で、以後新大陸の先住民をインディオ、インディアンなどと呼ぶようになった。これについては、侵略者からの勘違いに基づく呼称で、かつ歴史的に侮蔑的な意味合いを持つことも少なくなかった言葉を使うのが妥当かどうかという議論があり、1960年代以降、「ネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)」への言い換えが提唱されたが、「ネイティブ・アメリカン」だと、例えばアラスカの先住民(イヌイット)やハワイの先住民なども含むことになり、狭義の、アメリカ建国以降白人社会拡大の過程で直接攻撃に晒され、強制移住や同化政策による虐殺、抑圧、差別を受けた集団を直接指すには曖昧といえた。 逆にインディアンという自己認識を持つ先住民も少なくなく、また、「ネイティブ・ア

    「ネイティブ・アメリカン―先住民社会の現在」鎌田 遵 著
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    gimonfu_usr 2018/08/23
    ( 米国 )