バードカフェ社長の、仕事に対する態度が出たかのような舐めきった残飯おせちが話題になっている。 500家庭のお正月をぶち壊したとか、作る過程で衛生管理まったくなってないとか、社長自身が現場で詰め込みやってるのに何か思わなかったのかとか、クール配送じゃないとか、そもそも腐ってるんじゃないかとか、その分かりやす過ぎる駄目駄目さ加減に、まさにネットフルボッコ体制が敷かれた感じがある。もちろんネットだけじゃなく、テレビも取り上げたし消費者庁も公取も保健所も動いているという超重厚シフト。選手層の厚みがすごい。なんか早稲田陸上部並。 しかし、こんな騒動(その前は海老蔵とか)が起こるたびに毎回感じること。正直な話、どこに着地させる気なんだ?どうすれば満足するんだ?と。テレビにつけ、ネットにつけ。 今回の話は、 民事的には、購入者に返金して、五体投地でお詫びして、 衛生行政的には、保健所の立ち入り検査に従い
ゲームやアニメなどで「現実と虚構の区別がつかなくなっている」というコメ ントがなされることがある。しかし、ゲームをやっている当の本人達は「とん でもない。現実と虚構の区別はちゃんとついている」と言う。「現実と虚構の 区別がつかない」という言葉を、まるで「現実世界での人殺しとゲーム内での 人殺しの区別がつかない」と言っているように受け取ってしまうと、この問題 を間違って解釈してしまう。 面白いことに、この問題の中身を知ると、「とんでもない。現実と虚構の区別 はちゃんとついている」と言うことそのものが、現実と虚構の区別がついてい ない証拠であることが分かる。 「現実」と「虚構」の構造本当の意味で現実と虚構の区別がついている人と、そうでない人の、現実と虚 構の関係を図にしてみよう。この問題は、図を書いてみると一目瞭然である。 図1: 現実と虚構の区別がついている状態 図2: 現実と虚構の区別がつ
基本ポジティブな視点で、テクノロジーのこと、マーケティングのこと、その他いろいろ勝手にレポートしていきます。 Harvardスクエアにある本屋で平積みの原書「Grown Up Digital:How the NetGeneration is Changing Your World」を目にして以来、読んでみたいと思っていた一冊。この度、栗原さんが翻訳版を出されたとのことで、先日の日本帰国に合わせてアマゾンで注文しておき、本日やっと読み終えました。とても面白かったので感想を書いてみたいと思います。 まず、タプスコット氏による「ネット世代」に該当する私として、大変勇気をもらいました。 「シロクマ日報」の小林さんがレビューを書かれているように、若干、若者を持ち上げすぎな感はもちろんありますが、閉塞感が漂う現在の社会において、「君たちに期待している。君たちならできる。君たちは今後の希望だ。」と言われ
日本映画は風景を描く 世界を代表する三つの国の映画産業――アメリカ映画とフランス映画、そして日本映画の違いって何だろうか? そういう問題提起がある。 観点はさまざまにあるから単純化しすぎるのは危険かもしれないが、こういうひとつの切り口がある。「アメリカ映画は物語を描き、フランス映画は人間関係を描き、日本映画は風景を描く」。ハリウッド映画は完璧なプロットの世界で、物語という構造を徹底的に鍛え抜いて作り上げ、導入部からラストシーンまで破綻なく一本道を走り抜けられるように構成されている。 フランス映画の中心的なテーマは、関係性だ。夫婦、父と子、男と愛人、友人。そこに生まれる愛惜と憎悪をともに描くことによって、人間社会の重層性を浮かび上がらせる。 日本映画は、風景を描く。自然の風景という意味ではない。目の前に起きているさまざまな社会問題や人間関係の葛藤、他人の苦しみ、さらには自分の痛み。われわれに
テレビ東京が社運を賭けてプッシュしていた「世界卓球」は、あんまり盛り上がらなかった。残念。個人的には、面白く観戦していたのだが。 放送を見ていて思い出したことがある。私には、卓球部員だった過去があった。そう。中学生になってすぐ、私は、卓球部に入部したのだ。 体育館の壁に立てかけられている卓球台を見て、ガキだった私は 「おお、卓球部に入れば毎日ピンポンで遊べるぞ」 と考えた。 その愚かな目論見は、入部したその日に瓦解する。 新入部員は、一日中素振りばかりやらされることになっていたからだ。 私は、2日ほどで退部した。ほかの幾人かの惰弱な仲間たちとともに。「ちぇっ」とか言いながら。 いまにして思うのは、あの、無意味に思えた素振り練習にもきちんとした役割があったということだ。 フォームを固める? まあ、そういう効果はある。全身を使ってラケットを振る感覚を覚えることは、ある意味、実際にピンポン球を打
TwitterのReTweetが面白い。ReTweetとは誰かのポストを自分のアカウントで再配信すること。「RT」と略すことも多い。興味深いポストを自分のフォロワーに読んでもらいたいというシンプルな思いがRTのベースにあるが、その可能性は意外に広そうだ。 Twitterはフォローするユーザー数が50人を超えるあたりから、印象が変わってくる。タイムライン上のポストが増大し、すべての発言をチェックするのは難しくなる。ポストを読むのではなく、流れを眺めるという感覚に近くなるだろう。 タイムラインの流れの中で、RTされたポストは目に留まる。何が書かれているのか確認し、URLが含まれていれば、大抵はクリックする。「ある人が興味を持ったポストが再投稿されている」ということが、情報の価値を保証しているように思える。RTはTwitterの膨大なポストの中で、流れにリズムを与えてくれる。 RTからトレンドを
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
鬼籍のマイミク 2008年4月30日 ITカルチャー コメント: トラックバック (2) (これまでの yomoyomoの「情報共有の未来」はこちら) 以前、「mixiお迎え」というタイトルのショートショートを書きかけたことがあります。 話は、それを見たら死ぬと言われる「mixiお迎え」の噂を語り手が耳にするところから始まります。何でも、ある人が変死する前に「お迎えが来た」と mixi 日記に書き残したことがその言葉の由来らしい。 しかし、それだけでは「お迎え」が何か分かりませんし、mixi との関連も分かりませんので、語り手も新手の都市伝説だろうと鼻で笑います。そもそも語り手自身 mixi のユーザではあるものの、以前のように毎日 mixi に日記を書くようなことはなくなっていました。 それでもその話を聞いた晩、気になって久しぶりに mixi にログインし、かつての習慣から何気なく「足あ
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