社会言語学とコメントしたに関するhituzinosanpoのブックマーク (18)

  • ひらか゛なすいしょう問題についての概略

    将来書こうと思っているテーマだったのだが、何年後になるかわからないので、概略だけでも先に書いておこうと思う。 ほぼ以前Twitterでつぶやいたものを清書したのみである。 過去の漢字廃止論の経緯などには全く関心がないため、ここで言う「ひらがなすいしょう論」は「漢字廃止論」と必ずしも同一ではなく、 現在ネット上で広まっている漢字を廃止ないしは減少させてひらがなで日語を表記すべきという主張 ぐらいの意味と考えてもらいたい。たとえば今すぐ思い当たる範囲では、あべ・やすしさん等の。 結論から先に言うと、私はこの主張をしている人達の善意を疑うことはないが、絶対うまくいかないだろうから止めてほしいと思っている。 それは、仮に共産主義者が真剣に経済の平等と人々の幸福を願っていたとしても、現代において共産主義を支持するわけにはいかないのと同じことだ。 共産主義との類似性を言うのは単なるネガティブキャンペ

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    hituzinosanpo 2011/02/20
    「漢字という障害」(2006)、「識字のユニバーサルデザイン」(2010)、「日本語表記の再検討」(2010)の問題整理と主張にも コメント いただけたらと。
  • 表記と速度と身体性 - 地下生活者の手遊び

    書く書くと言いながら書いてにゃー宿題がたくさんあるのだけれど、その中のひとつに応答しますにゃ。下記エントリコメント欄で、「はんろん、というわけではなく、エントリをたてておこたえしたい。」と書きましたにゃ。 かんじを つかわないと ひょうげん できない こと lever_building(以下やねごん)の、ひらがな分かち書きに対する反応には僕も興味深いと思っておりましたにゃー。「読みにくい」という否定的反応が目立ちますよにゃ。 で このひらがな分かち書きとそれに対する反応を見ていて、僕が連想したのは詩の書き方と読み方なのですにゃ。 詩(ここでは散文詩をのぞく)というものの形式のひとつとして、改行と連というものがありますにゃ。改行や連というものがもつ効果はいろいろとあるんだけれど、一般的に 読む速度を落とす という効果があるのではにゃーだろうか。 もっと正確に言えば、詩というテキストの要求する

    表記と速度と身体性 - 地下生活者の手遊び
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    hituzinosanpo 2010/01/16
    英語すきなひとは、ジョン・デフランシス「表意文字の神話」『漢語:事実と幻想』を よんでください。一部ウェブで よめる。http://pinyin.info/readings/texts/ideographic_myth.html
  • 「言葉の正しさ」みたいな(よくわからん)ものについてもちょっとだけ - 誰がログ

    今までもちょこちょこ似たようなことを書いてきたと思いますが。 先のエントリでa-geminiさんから下記のようなコメントをいただいて良い機会だと思いましたので少しだけ。僕の少しだけは大体長いのですが… >個人的には「(絶対的に)正しい言葉」みたいな捉え方は気持ち悪いわけですが 以前、ライターの高橋秀実が「言語学者は言葉の乱れを面白がっているばかりでケシカラン!正しい日語を示すのが仕事だろ!」みたいなことを雑誌に書いてました。漠然と同じように考えている人もいるじゃないでしょうか。変わった現象を見つけて学者がよろこぶのは当たり前だと思うのですが 昆虫学者が新種のチョウを見つけてよろこぶようなもので。 「よろしかったでしょうか」についてちょっとだけ(むしろ情報求む) - 思索の海コメント欄より(改行だけ調整しました) で、コメント欄に書いた返事の繰り返しになりますが、言語学者に「正しい言葉(日

    「言葉の正しさ」みたいな(よくわからん)ものについてもちょっとだけ - 誰がログ
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    hituzinosanpo 2009/11/04
    コメント欄に反応してコメントかいたのに、そのコメントが きえてた…。がーん。/あれ。きえてない。よかった。
  • 今夜の焼きザカナ せっかくなので訳してみた

    ■翻訳というのは、難しいものです。ニュアンスをつぶさずに文脈の異なる他言語に移植するのが難しいというだけではなくて、どうしても二言語の間の権力関係とかを意識してしまうのですね。私が今、これを訳すことが、何を意味してしまうのだろうか、と。 ■というわけで。 ドキュメンタリー映画『靖国』(ヤスクニは軍事施設だ)。 - hituziのブログじゃがー とてもとても、迷ったのです。元の記事が書かれてからの日数は、そのままチキン深海魚の逡巡の長さを表しています。とりわけ、記事を書いた方も「ペキン語」(その方の用語法に合わせました。いわゆる「普通話」、中国の標準語のことです)がわかるのに、あえて訳さずに原文をそのまま載せている状況においては。 何がかというと、引用されているチワス・アリ(高金素梅)さんの演説です。「私たちは、日人ではありません。私たちはタイヤル人です。日人ではありえないんです」(演説

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    hituzinosanpo 2009/02/03
    トラックバックありがとうございました。結果的に訳させてしまって、すみません。
  • 近代日本語に弔いを(5)−母国語と母語− - 白鳥のめがね

    国家と言語っていったらまず田中克彦でしょ。でしょ? 田中克彦(社会言語学) 「言葉は単なる人間の道具ではない。」 それを万感の思いで語るのは、社会言語学者、田中克彦だ。70歳を過ぎた現在も、世界各地の様々な民族をフィールドワークし、その言葉を研究する言語学の巨人である。 田中は言う。「言語とは、民族・国家の成り立ちと深く関連する『生き物』、人間は言語によって世界を知覚している」。 http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20071204.html 田中克彦 - Wikipedia 人がまず身につけるのは「母語」であって「母国語」ではない、といったあたりの話を田中克彦から教わったものです。母語というからには、赤ちゃんが育てられる場所の数だけ、別のことばがあると言ってもいい*1。 田中克彦の言語観について、まず手軽に読めるとしては、岩波新書のこの。 こと

  • 固有名詞の読みがなについての私の現状 - 胡散臭さがなんかいい

    「よみにくい」というまえに。 - hituziのブログじゃがー こちらの記事を読み、現在思っていることをそのまま書いてみたい。 漢字かなまじり文によって、日社会で生活しているひとびとを「支配」することはできる。しかし、漢字かなまじり文による平等や民主主義というものは、実現できそうにない。なぜなら、「日語が第一言語、めがみえる、みみがきこえる、こどものころから字をならった、学習障害や知的障害がない、などといった条件がそろわないかぎり、漢字弱者は構造的につくられる」からである(あべ2004b:54[漢字という権威])。それでもなお「多数の同意にもとづいて」漢字かなまじり文を維持するのならば、どのようにして平等で民主的な文字社会をきづいていくのかを、その「多数」が検討しなくてはならない。 これに対して、どういう方法を採ってもそれは結局万能といえるものではないという反論は、おそらく成り立たない

    固有名詞の読みがなについての私の現状 - 胡散臭さがなんかいい
  • 漢字と表意文字 - 無産大衆

    漢字とか好きだし、ひらがなとカタカナだけで生きていくのは正直しんどいなあとも思うけど、ただ、昔から思ってることで、言語自体がバリアブルって話と絡むのか分からんけど、表意文字と表音文字の複合言語って実はものすごくヤバい代物なんじゃないのかしらとか。まあ、電波な話に聞こえるかもしれませんが、表意文字ってすごく「知」のヒエラルヒーを強化するところがあるような気もするし、それでいて表音文字も文法の根幹にしっかり据えられているから、ますます観念と現実の関係が分かりづらいし、おまけに故意にあいまいにされるきらいがあるようなないような感じがするのね。漢字知らないと難しい読めないけど、漢字のせいで余計難しくなってるとかいうのもあるし。てか、日語における漢字って何なんだろうね。当て字ってことで終わらないのが問題かしら。いっそ、すべてローマ字で済ませればいいのかしら。 そこでエスペラントです*1。 でも、

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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  • 有用な情報にアクセスする権利がほしい - 違反ヒントはありません

    漢字だいすきな サヨクなんて いらないのですよ。社会的障害である漢字を たいせつに おもうっていうのは、車イスで 利用できない公共機関をたいせつに感じるのと おんなじことですからね。「おれは 漢字が すきなんだ」で議論を おわらせようという ひとがいますが、アクセス権の問題ですよ。いかに共存するのかっていう問題ですよ。 ひらがな あなーきずむに よーこそ。 - hituziのブログじゃがー 確かに引用元の筆者の言うとおり、情報にアクセスできるか否かは、過去においても、また容易に多々な情報にアクセスできる現代においてはことさら重要な問題である。 英語独学関連のエントリがホッテントリ化するというのは、英語圏から発せられる情報へのアクセス権をはてブユーザーが欲しているからに他ならない。情報にアクセスする権利は、現代においては誰もが当然のごとく持ちあわせる権利、いわゆる自然権でなければならない、と

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/11/29
    トラックバック、ありがとうございます。これまでの議論と、「識字のユニバーサルデザインにむけて」を あわせて ごらんください。わたしの見解は、くわしく かいてあります。とくに「文字情報サービス」について。
  • 母語を取り戻そうという渇望 - Danas je lep dan.

    以前,国際先住民サミットで「アイヌ語の公用語化」という提案がなされた時,ぼくは以下のエントリを書いた。 先住民族サミット「アイヌ語を公用語に」提言 - nasturtium これに関して,例えば,「実質的に滅んだ言語を公用語にしても子供の負担が増えるだけだ」といった見解が聞かれる事がある*1。「そんな事に何の意味があるのか」と。 けれどそれは,結局「日語なんて日だけでしか通じないじゃないか。英語を公用語にしようぜ」と,程度は違うものの同質な論理なんじゃないかと思う。 「滅びた」「滅びつつある」と思われた言語が復興した例は幾つかある。イスラエルのヘブライ語,連合王国のウェールズ(カムリー)語などが有名だ。後者の場合,偏見や差別で話者が減っていたが,保存運動が功を奏した。 アイヌ語は,確かに消滅しかかった言語かもしれない。しかし一般に思われている以上に話者,もしくは話者と成り得る人はいるし

  • 「学校という空間」をこそ もんだいに しよう - やねごんの にっき

    大分県の 教員採用試験で いんちきが あったのではないか、というニュースが さいきん 報じられているようです。 なんと まあ、なげかわしいことだ! 不正は ゆるせん! 競争は 公正に おこなわれなければならん! 個人の 努力と能力こそが むくわれるべきなのであって、コネで 採用が きまるなんて とんでもない! などということを わたくしが いうわけが ございません。試験なんか やるから、「不正」を やるひとが でてくるのです。だから、いっそのこと 教員採用試験なんて やめちゃったら いいのではないか、というようなことを かんがえます。なりたい ひとが 教師になる。ひとが あまるようだったら くじびきで えらぶ。教育に たずさわるのに、とくべつな「適性」だとか「能力」だとかが もとめられるという 社会の ありようは、おかしい。まあ、その はなしは こんど また かきます。 さて、このたびの

    「学校という空間」をこそ もんだいに しよう - やねごんの にっき
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/08/03
    なんという力作。300回くらい よみなおしたい。わたしの論文が引用されています。しかも、じぶんでも ちからを いれて かいたところを。ありがたいことです。かんげき。
  • 「日本語を わかちがきする会」 - SoSaiSo

    分かち書きいやぁ、まさか blogに 書いたら id:hituzinosanpoさんが すぐに 作るとは 思っていなかったので 驚きましたwさっそく 入らせていただきました。日語を わかちがきする会 とりあえず ユーザーが 今までどおりに 文章を 入力し、後付けで 分かち書きされるようなものを 作ってみようかなと 考えています。やはり 分かち書きされたものを どんどん 見てもらって 少しでも 慣れてもらうのが 大切なのではないのでしょうか。といいつつ、まだ 分かち書きの ルールが よく 分かっていないので、「日語を 分かち書きする会」のページに 挙げられている 参考ページを 読むところから 始めたいです。まあ ルールとかより 読みやすさが なにより大切ですけどね。

  • 日本語特殊論の特殊性3-タカマサのきまぐれ時評

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    hituzinosanpo 2008/07/06
    わかちがきへの誤解について。
  • 日本語分かち書き推進委員会 - SoSaiSo

    分かち書きわかちがきは、発明されたものだ。を 読んで 感じた こと。自然言語処理 してる 人なら みんな 分かち書きされねぇかなぁって 思ってるんじゃないでしょうか?タイトル みたいな 委員会が あったら 入りたいですよ。確かに 私も チャット などでは 軽く 分かち書き します。分かち書き といっても改行でその意を表すんですけど。例えば、「そっか、わかった」を「そっか【改行】わかった【改行】」という感じで。これは やはり 分かち書きした 方が より 読みやすい 文に なるって 無意識的に 感じてるからに 他ならないでしょう。 今ここまで分かち書きチックに日語を書いていたんですけど、やはりどこで分かち書きするかすごく悩みました。人によってどうしても分け方って変わってきてしまうと思います。例えば人によっては、「自然言語処理」をそのまま一つの名詞として扱う人と、「自然 言語 処理」や「自然言

    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/07/06
    "自然言語処理 してる 人なら みんな 分かち書きされねぇかなぁって 思ってるんじゃないでしょうか? タイトル みたいな 委員会が あったら 入りたいですよ。" つくりました。http://www.geocities.jp/hituzinosanpo/wakatigaki/
  • 2005-12-03

    ヒロさん日記『かんじに「こだわる」のはホドホドにしませんか?』にて、 現代日における「識字」のイデオロギーと漢字不可欠論の要旨*1が紹介されていた。 参考までに一部を引用する。 おおくの「にほんじん」は、「にほんごは かんじ ぬきでは かけない」と おもいこんでいる。だから、このような かんじを つかわない ぶんしょうを バカに する ひとが おおい。 また、かんじを まぜた ほうが はやく よめる という かんがえにも かがくてき・こんきょが ない。それは、なれから くる ものに すぎない。 こういった げんじつを ふまえて、これからは、かんじを なるべく つかわない ように こころがけ なくては ならない。そして、かんじが にがてな ひとには、「かんじを つかわない じゆう」を みとめる べきだ。もし、かんじを つかわない ぶんしょうは「よむきが おきない」といって、かながきの ぶん

    2005-12-03
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/06/29
    3年まえのことですが、ありがとうございました。コメントかきました。
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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/06/29
    この記事も、ありがたかったですよ。
  • タカマサのきまぐれ時評2 批判の対象は、「人間のありかた」であり、そこには自己批判もふくまれる。(hituziのブログ)

    ■前便へのトラックバック記事へのトラックバック記事。■前便記事への直接関連する部分だけ転載。 批判の対象は、「人間のありかた」であり、そこには自己批判もふくまれる。 さて、タカマサのきまぐれ時評からトラックバックをいただいた。言語学者の「さが」=「言語帝国主義とは なにか。たなか『ことばと国家』を批判する。」(hituziのブログ) 戦略的に、議論をもりあげようと、わざとスキをかかえこんでいるのだとおもうが、それにしても、ワキがあますぎるとおもうのだ。 そのとおりだと おもう。そして、ワキは あまいほうが よいと おもっている。すくなくとも、コミュニケーション機能をもつブログなどでは、とくにだ。 そのほうが、批判をもらえるからだ。ほんとうに そうだろうかと、疑問に感じるだろうからだ。 …… ------------------------------------------------ ■

    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/04/01
    あらためてコメントをいただいた。
  • タカマサのきまぐれ時評2 言語学者の「さが」=「言語帝国主義とは なにか。たなか『ことばと国家』を批判する。」(hituziのブログ)

    ■hituzi氏の最近の問題提起「言語帝国主義とは なにか。たなか『ことばと国家』を批判する。」をよんだコメントをかきつらねていく。 ■この提起の特異な点は、通常の「言語帝国主義」の定義である、「ある地域で特定の外国語が、その政治・経済・文化の力により圧倒的な影響力をもつこと」といった方向性での議論自体を「言語至上主義」だと、批判しているところだ。そういった問題のたてかた自体が「人間はすべて、なんらかの「言語」という制度のなかで いきていると、信じて うたがわない」発想にねざしており、「言語帝国主義は、けしからん」という批判的視座自体が「言語が だいすきでたまらない ひとたちによる、帝国の言語の批判で……「言語という体制」「言語という制度」をといなおすことはせず、 「言語の ぬるま湯」に つかって、権力を批判する」たちばだというのだ。■hituzi氏など、知的障碍者の施設につとめるスタッフ

    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/03/30
    すばらしいコメント。みなさん、よんでみてください。
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