三木城主・別所長治の自害によって羽柴(豊臣)秀吉が城兵たちの命を助けたとされてきた「三木合戦」は、実は長治の命ごいがかなわず、大量殺りくがあった可能性が高いとの見解を、大手前大学(西宮市)の小林基伸准教授(56)が発表した。三木市教委刊行の「三木城跡及び付城跡群総合調査報告書」で明らかにしたもので、長治の自害と秀吉による城兵の助命は地元で美談として伝えられてきただけに、新説は波紋を広げそうだ。(藤森恵一郎) 小林准教授によると、これまでの定説は史料「播州御征伐之事」などの記述に基づくもの。しかし、「播州‐」は秀吉の徳を顕彰・美化するため後代に書かれたとみられ、疑問が残る部分があるという。 小林准教授は、秀吉本人が書状で三木城の落城後、ことごとく首をはねたと述べていることと、織田方の武将宇喜多直家が秀吉の使者から「切腹した者以外を一所に追い寄せ、番を付け置いて悉(ことごと)く殺す」との報告を