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昨日、片山さつき氏の人権天賦説放棄発言についての記事を書いたが、この記事に対する反応で、「権利行使に義務が伴うことは自然」という反論をする人がtwitterなどを見るとちらほらいたようである。 この、「権利行使には義務が伴う」というフレーズほど、誤解されているものは無いと僕は思う。今日は、その指摘をしておこう。 よくある間違いなのだが、この「権利行使には義務が伴う」というのは、「義務を果たすことによって、初めて権利が付与される」という意味ではない。権利行使を義務の対価と考えるのは、(近代の自由主義的な考え方の下では)正しくない。例えば、かつては日本にも一定額以上納税をしないと選挙権が無かったという暗い時代があったわけだが、「権利を義務の対価」と考えると、このような考え方を肯定することになりかねない。 「権利行使には義務が伴う」というのは、もっと単純な話である。例えば、僕には選挙権がある。投
人材の移動の激しいスタートアップ業界にいながらも殆どの従業員が辞めないことが話題となっている、ソーシャルコーディングサービスGithubのCEO、Tom Preston Werner氏が「イノベーションを起こすためのGithubの哲学」について先日のOpenCoSFというイベントで語った。 「イノベーションとは新しく何かをはじめることだ、たとえ他の人がそれをクレイジーだと思っていても」サンフランシスコはイノベーションを起こすには最高の場所だ。何か新しいことをすることはリスクだ。何が起こるかわからない。イノベーティブになるには勇気がいる。 他の人が「こんなもんクレイジーだ!」って言ったとしてもこれをやるぞという強い意思が必要だ。実際にスタートアップはとても高い確率で失敗する。でもサンフランシスコの文化ではたとえ失敗したとしてもまったく問題ないんだ。 実際にたくさんの起業家が失敗しているし、新
日本が世界で勝つかを考えていたら・・・ 先日、とある雑誌の対談をしたのですが、そこで「アメリカ的な文化というものは、そのまま『グローバル』というものにつながっているけど、そのグローバルな時代に、日本が勝つにはどうしたらいいか?」みたいな話題がありました。 そこで僕は「それぞれの国が持っている文脈(コンテキスト)を活用したものでないと、世界では到底ユニークにはなれない」という風な発言をしてたのですが、「いやいや、そもそも日本が今まで勝ってきたものの共通点は何だっけ?」と思ったのです。 いろいろ考えたのですが、アメリカは「ハッカー文化」であるが、日本は「オタク文化」であり、オタク文化とは「手段を目的化することで、ユニークなものができる」という仮説にたどり着きました。 というわけで、そのことについてブログを書いてみます。 アメリカ文化とはどういうものか では、まず対比として、アメリカ文化について
普段僕が仕事でコードを書くことはほとんどありません。 コードを書くことでチームや組織に貢献したい、という思いは常にあります。 同時に、僕はそうすることで自分の価値を一番出せるんだろうか、という思いもあって、やっぱりこっちが強いので、一年ほど前に僕は基本的にマネジメントに徹することにしました。 それでもたまにコードを書きたくなったりしますが、自分が中途半端に参加すると、結局他の人の動きを止めてしまったりすることになるので、やらない方がよっぽど良いです。 「いや、採用とか組織作りとかやめて、本気でやったら俺の方が絶対に書ける!」みたいなのもなくて、集中してやってもたいした結果にならないでしょう。逆に、そうなっちゃうようだったら自分よりも優秀な人を採用できてない、自分の仕事をできてないってことです。 なので、最新の技術への理解や、素晴らしいコードを書くことに関して、僕は確実に、簡単に、僕の周りの
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