40年間にわたり太陽黒点のスケッチを続けた故・小山ひさ子さんの観測は、アマチュアにはよく知られたものであったが、太陽の活動周期や長期変動に関する研究にも大きな貢献を果たしていることで再評価されている。 【2017年10月10日 AGU】 小山ひさ子さんは1916年東京生まれ。1930年代、当時の日本女性としては珍しく、東京の高等女学校を卒業した。若いころから天文学に熱心で、20代で天体観測を始めた。 1944年の春に父親から屈折望遠鏡を贈られた小山さんが、黒点をスケッチして東亜天文学会の研究者に送ったところ、同会の山本一清さんから励ましの返事が届いた。以降、山本さんの指導のもとで黒点観測を定期的に行うようになった小山さんは、旧・東京科学博物館(現・国立科学博物館)で太陽観測を開始し、太陽の重要な特徴や観測条件などを書き記していった。小山さんは1946年の後半に博物館の観測職員となり、194
自らの不明を恥じる、という表現が適切だと思うが、kottke.org 経由で知った TED-Ed の YouTube チャンネルで先月公開された動画を見て驚いた。 この動画で「The woman who stared at the sun(太陽を見つめた女性)」と紹介されている小山ひさ子のことをまったく知らなかったからだ。 でも、それはワタシだけではないのかもしれない。だいたい Wikipedia 英語版には Hisako Koyama というページができているが、日本語版がない! それにこの TED-Ed 動画自体、本文執筆時点で7か国語の字幕がついているが、その中に日本語はない。なんてこったい。 彼女の著書を探したが、Amazon には一冊しか登録がなく、しかも書影が明らかに別の本だったりする。ヒドい話だ。 太陽黒点観測報告―1947‐1984 作者:小山 ヒサ子河出書房新社Amazo
最高に感動する 『ヒストリエ』はアレキサンドロス大王の英雄(?)奇譚を描いた傑作であり、主人公を大王に書記官として仕えたエウメネスにしているのがツボ。 エウメネスは、その前半生は謎につつまれており、いかなる事情かで「祖国を追われた者」であり、カルディアを去りマケドニアに身を寄せ、フィリッポス2世&アレキサンドロス大王に書記官として仕えた。『ヒストリエ』では、その謎の包まれた前半生を見事に創作して描く。これがメッタクソ面白いのだ。 エウメネスは出自も謎なので、いくらでも想像の余地があるのですけど、『ヒストリエ』ではエウメネスをスキタイ(イラン系遊牧民族)出身にしたり、それ故に身分を奴隷に落としたり、それが伏線となって回収されていく中で、マケドニアの書記官として頭角を現していくのが最近のストーリー展開である。 岩明均先生がデビュー前から構想していただけあって、紛れもなく大傑作で続きが読みたいと
今夏に迫った東京五輪・パラリンピック。その組織委員会の会長辞任劇は国内だけでなく世界からも注目されました。低迷する開催機運のさらなる逆風にもなっています。この騒動にスポーツアパレルを扱うドームで社長を務める安田秀一氏は大会組織委の問題から、日本社会に残る無意味な風習にまで考察を広げています。◇ ◇ ◇東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が辞任しました。森氏の女性蔑視発言につ
今日は下記の本を読んで学んだ「戦後の歴代首相がやってきたこと」をまとめておきたいと思います。 昭和史戦後篇 (平凡社ライブラリー) | 半藤 一利 |本 | 通販 | Amazon → 昭和史 戦後篇 1945-1989 キンドル版 → 昭和史 戦後篇 1945-1989 楽天ブックス この本を読んでわかったのは、「日本は今でも戦後処理をしてるんだな」ってことです。 戦後の歴代内閣の取り組みをまとめると、↓ <戦後内閣が達成したこと> 1)吉田茂 1946-1947, 1948-1954 アメリカを中心とする戦勝国と講和条約を締結して米軍による占領時代を終わらせ、日本を独立させ、同時に日米安保条約を結び、日本は経済復興を優先すると決定。 ↓ ・片山哲、芦田均 (社会党政権、 9ヶ月と 7ヶ月) ↓ 2)鳩山一郎 1954-1956 ソビエトと国交を回復 ↓ ・2ヶ月だけ石橋湛山 ↓ 3)岸
「初撃は何があっても避けろ」我々取材陣を前に、一人の武術家は語った。 彼の名は横山雅始氏。氏が提唱する『総合実戦護身術“功朗法”(こうろうほう)』は海外の警察組織でも指導され、世界中から横山氏のもとに格闘家たちが教えを請いに集まっている。 槍の演武を披露する横山雅始氏。 さらに武術家たちの間だけでなく、武術監修の側面から映画やアニメといった界隈からも横山氏の知見を求めて相談がくるという。 「古武術の9割が、平和な江戸時代の発祥」と語る横山氏が、失われてしまった戦国時代の戦う技術を探求するためにとった手段は「戦国時代さながらの“ガチの合戦”を再現する」というものだった。 写真:ガチ甲冑合戦 – 日本甲冑合戦之会 横山氏の呼びかけで開催された『ガチ甲冑合戦』。参加者は、実際の戦国時代の侍さながらに鎧に身を包んで模擬の刀や槍を振り回して“ガチ”で合戦を楽しむこの取り組みは、これまでに大小含め25
Point ■レトロゲームには容量不足や技術的制約を解決するため、現代の我々から見ても解析できない謎の技術が使われていることがある ■今回、ATARI2600から82年に発売されたゲーム『Entombed』に、全くロジックが不明の迷路自動生成プログラムのコードが発見された ■迷路の壁を完全ランダムに配置すればクリア不能になってしまうが、このプログラムがなぜ通行可能なパターンで迷路を生成しているかは、まったくの謎だという ほんの数十年前、コンピュータ関連の技術が飛躍的に向上しました。 特にデータ容量の向上はめざましく、現代の若い人たちにとって容量の単位は「ギガ」が標準になっています。 しかし初代のスーパーマリオの全ゲーム容量は40KB、初代ドラゴンクエストの全容量は64KBでした。 これはこの記事のトップに貼られている画像の容量よりも遥かに小さい容量です。 レトロゲームの開発は、そんな小さな
三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山の中でもひときわ形の整った円錐形の山です。古来、大物主大神が鎮(しず)まる神の山として信仰され、『古事記』や『日本書紀』には、御諸山(みもろやま)、 美和山、三諸岳(みもろだけ)と記されています。高さ467メートル、周囲16キロメートル、面積350ヘクタールのお山は松・杉・檜などの大樹に覆われて、一木一草に至るまで神宿るものとして尊ばれています。 特に杉は『万葉集』をはじめ、多くの歌集に詠われ「三輪の神杉」として神聖視され、後世に三輪山の杉葉で造られた杉玉が酒造りのシンボルとして酒屋の軒先に飾られるようになりました。また、山中には神霊(しんれい)が鎮(しず)まる岩が点在し、磐座(いわくら)と呼ばれて信仰の対象となっています。神社の古い縁起書には頂上の磐座(いわくら)に大物主大神(おおものぬしのおおかみ)、中腹の磐座(いわくら)には大己貴神(おおなむちのかみ)
群馬県の榛名山東南麗から、1500年前の古代社会が発掘されているのをご存じでしょうか?築造時のままの姿の前方後円墳がある「保渡田古墳群」や、豪族の館、渡来人との関係も窺える金銅製の貴少な飾り履も出土しています。文字記録の無い古墳時代、ここは物から当時の姿が分かる歴史マニア必見の貴重な場所。“日本の埴輪は保渡田古墳なくしては語れない”ともいわれている保渡田古墳群と周辺に残る古代の息吹をご紹介します。 「保渡田古墳群」周辺は、古墳が作られた当時の社会がそのまま見られる稀有な場所です。その理由は榛名山にあります。1500年前に大噴火し、火山灰の下に、榛名山の東南に栄えていた古代社会をそのままパッキングしてしまったのです。本記事では、発掘された遺跡や「かみつけの里博物館」で展示されている出土物をご紹介し、記録に残っていない古墳時代へとご案内しましょう。 日本には古墳が数多くありますが、作られた当時
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く