「性表現に接しない自由」や「公共空間で不快な表現に接しない自由」が話題のようですが、平成30年司法試験論文式試験(憲法)では、「不快」感を覚える「卑猥な」図書等に触れない利益の保護が重要な立法目的といえるかなどが出題されました… https://t.co/9l02NniRis
「県民、密告は義務です」「帰宅したい?罰金な」~日本列島から自由が消えた日 ”私権制限に慎重な戦後日本”の緊急事態~ 総員自粛せよ! 西暦2020年、世界は立憲独裁の炎に包まれた。陽気なホームパーティを阻止する為に警官隊が突入し、マスクを着用しない人間は異端審問の後に反則金切符という十字架を背負う。あらゆる権利自由は消え去り、世界はマッポーめいたアトモスフィアに支配されている。我が国においては、普段は「私がモテないのはどう考えても憲法が悪い」と言わんばかりの某与党も、「改憲だけはせんといてくださいよ(CV沢城みゆき)」な某野党も、こうした立憲独裁の春に口をポカンとしながら、仲良くドン引きしている事もあり、そこまでには至っていない。それでも呪符のように飲食店に張られている「臨時休業中」の張り紙達は、これまで私達が本来享受する事が出来たはずの権利と自由が失われてしまった事を如実に教えてくれる。
胸が性的かどうかを思春期以降に知って欲しいっていう性教育をしたいと思う自由も欲しいよー。 自由ってなんだ?? 割と本質的な問いだと思うので真面目に答えると、アイザイア・バーリンという哲学者が「消極的自由」と「積極的自由」という概念を提唱している。 詳しくはWikipediaでも読んでほしいけど、要するに 何かを妨げられない自由(この本を出版して罪に問われるのはおかしい。政府は著者を取り締まるな)何かを実現できる自由(自由に本を出版するためには紙とインクと公教育の充実が必要なので、政府は出版産業のために補助金を出せ)の違いね(cf. anond:20191017201230)。 現代の自由主義では、色々と議論はあるけれど、おおむね消極的自由の方がより重要な自由とされている。 これは増田もそうだろう。「俺が六本木ヒルズに住む自由を実現するために家賃を補助しろ」と言われたら、おかしい、と思うよね
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