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文章と安達裕哉に関するmohnoのブックマーク (2)

  • 「先輩、残業できないので生産性を上げる方法を教えて下さい。」

    「先輩、生産性を上げる方法を教えて下さい。」 Sは後輩のKから質問を受けた。 「なんで突然、生産性?」 Sは聞く。 「日は生産性が最低だと聞きまして」 「ほう」 「ちょうど会社も残業を削減しろと言ってるじゃないですか。残業が多いと評価が低くなるって。」 「だな。」 Kは当に困っているようだ。 「で、生産性が我が社最高との評判の高いS先輩に、教えを請いたいと思いました。」 「ふーむ。」 SはKのことを「素直だが、能力はちょっと低いやつ」と評価している。 真面目なのだが、機転が利かず、先読みができない。 おそらく他の社員たちも概ね、同じような意見だろう。 事実、彼は仕事は遅い。いつも夜遅くまで仕事をしているのを、皆が目撃している。 一昔前までであれば、「頑張っている」と評価されたかもしれない。 だが、今はもうそのような時代ではない。 おそらくこのまま行けば、彼の期末の評価は少なくとも中の下

    「先輩、残業できないので生産性を上げる方法を教えて下さい。」
    mohno
    mohno 2017/11/06
    前にも書いたが会話形式ってページ数を増やす常套手段ということを踏まえると、その生産性の高さは、ずいぶん質が低んだな、としか。
  • 会話のうまい人とそうでない人の決定的な差がどこにあるか、ようやくわかった

    公私共に、会話のうまい人を、たくさん見てきた。会話はコミュニケーションの基礎であり、また終着点でもある。上手であることに越したことはない。 ではどうすれば、会話が上手い人、あの人と話すのが楽しいね、と言われる人になり得るのだろうか。 一説によれば「聞き上手となるべき」という人がいる。ウンウン、と相手の話をよく聞き、相手に気持ちよく喋ってもらうことに注力せよ、という。 しかし最近、それはどうも違う、と感じることもある。聞き上手であることは特定のシーンにおいては重要なのだが、必ずしもそうではない。 例えば私は普段「聞き上手」の人をあまり求めていない。 なにか観察されているのでは、と勘ぐってしまうからなのだが、むしろ話上手、と言われる人の方が与しやすく、会話も続くのだ。 また、世の中に散らばる「会話のしかた」は、いかにもマニュアル的で個別のシーンで使い勝手が悪い。だから最近まで私は「会話に王道な

    会話のうまい人とそうでない人の決定的な差がどこにあるか、ようやくわかった
    mohno
    mohno 2016/12/23
    普通に書けばいい文章を会話形式にするのって、文章量を増やす常道だったりするんだよな。
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