人生に関するsatoshiqueのブックマーク (339)

  • 是枝裕和監督と坂元裕二の特別講義をフルボリュームでレポート。『怪物』が生まれた経緯から脚本の構造、解釈までを語り尽くす|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS

    映画TOP 映画ニュース・読みもの 怪物 是枝裕和監督と坂元裕二の特別講義をフルボリュームでレポート。『怪物』が生まれた経緯から脚の構造、解釈までを語り尽くす イベント 2023/6/25 21:00 是枝裕和監督と坂元裕二の特別講義をフルボリュームでレポート。『怪物』が生まれた経緯から脚の構造、解釈までを語り尽くす 6月10日に早稲田大学で開講された「マスターズ・オブ・シネマ」に、第76回カンヌ国際映画祭で脚賞と「クィア・パルム賞」に輝いた『怪物』(公開中)の是枝裕和監督と脚家の坂元裕二が登壇。講義に出席した約350名の学生を前に、作が生まれた経緯から撮影時のエピソード、ラストシーンの解釈に至るまで、2時間近くにわたって語り尽くした。そのトークの模様をフルボリュームでお届けしていこう。 早稲田大学の人気授業「マスターズ・オブ・シネマ」に『怪物』の是枝裕和監督&坂元裕二が登壇 是

    是枝裕和監督と坂元裕二の特別講義をフルボリュームでレポート。『怪物』が生まれた経緯から脚本の構造、解釈までを語り尽くす|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
    satoshique
    satoshique 2023/07/03
    すごく読み応えあった。人は立場によって、見方によって、時と場合によって、いつでも加害者にも被害者にも怪物にもなり得る。
  • イニエスタ 退団セレモニーのことばと会見の概要 | NHK

    そして、初優勝を狙える位置で戦っているチームに向けては、「すばらしいシーズンになってほしい。ファンの皆さんにはここまでやってきてもらったとおり、チームを支えてもらいたい。皆さんの支えが目標を達成する力になる。自分も離れたところではあるが力を送りたい」とエールを送りました。 最後に集まったファンに向けて、「きょうはお別れを言いにきたが、『さよなら』ということばは好きではない。『また会いましょう』と言っておく。また日に戻ってくるし、ここは自分たちにとって故郷のようなところだ」と述べたあと、日語で「ありがとうございました。みなさん」と伝えてスピーチを締めくくりました。 イニエスタ選手は退団セレモニーのあと、会見でも報道陣の取材にも応じました。 この中では日での生活について、「異国で違う文化の中で、来た初日からここに残るつもりでやってきた。通過点として来たわけではなくて、常に新たなことに挑戦

    イニエスタ 退団セレモニーのことばと会見の概要 | NHK
    satoshique
    satoshique 2023/07/03
    AdiósではなくHasta luegoだと言ってたね
  • 追悼・坂本龍一。NHKを辞めた堀潤に託した「大切な言葉」 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

    NHK職員時代、原発事故の現場を独自で取材し、局内では逆風が吹いていた。そんな時に声をかけてくれたのは、世界的な音楽家であり、アクティビストでもあった坂龍一さんだった。 堀潤さんからForbes JAPANに寄せられた追悼の手紙。二人の交流の回想からは、晩年の坂さんの世の中への向き合い方が垣間見えてくる。 坂龍一さんへ 信藤三雄さんが亡くなり、大江健三郎さんが亡くなり、坂龍一さんまで亡くなってしまい、当にどうしてゆけば良いのか途方に暮れそうになる日々を過ごしています。 世界は分断の真っ只中にあり、急きたてられるようにして軍事力強化の話が進んでいく。安全保障政策には軍事力だけではなく外交、経済、民間交流など様々なチャンネルの充実が含まれていますが、いま日国が掲げる安全保障戦略は「同盟国」と突如あたり前のように登場した文言「同志国」との関係強化が中心で、敵対する国家同士の緊張にアク

    追悼・坂本龍一。NHKを辞めた堀潤に託した「大切な言葉」 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
  • 雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」/私が「冷笑系」だった頃〜「リトルひろゆき」たちとの楽しくも不毛で、だけど必要だった日々/イミダス

    「論破王」でおなじみのひろゆき氏が人気だ。 言わずと知れた掲示板サイト「2ちゃんねる」(現在の「5ちゃんねる」)創設者。ユーチューバーとして活躍するだけでなく多くのメディアにも登場し、書店には彼のが並ぶ。そんなひろゆき氏が新基地建設に反対する沖縄県・辺野古で座り込む人々をTwitterで揶揄すれば28万の「いいね」がつき、いくつもの裁判の賠償金を踏み倒しているというのに社会的な地位は揺るがない。しかもベネッセホールディングスが発表した昨年(2022年)の「小学生の流行語ランキング」1位は「それってあなたの感想ですよね」。ひろゆき氏の言動を真似る子どもは「ひろゆキッズ」と呼ばれるなど、幼い世代にまで支持されている。 そんなひろゆき氏は1976年生まれの46歳。同世代のロスジェネで、私の方がひとつ年上だ。 「ひろゆき氏について、どう思いますか?」 辺野古ツイート以降、そんなことをよく聞かれる

    雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」/私が「冷笑系」だった頃〜「リトルひろゆき」たちとの楽しくも不毛で、だけど必要だった日々/イミダス
  • 子供を残すことは人間の本能だって言う人が不思議

    【理解できる】 ・子供が好きだから/欲しいから子供をつくる ・親孝行したいから子供をつくる ・世間体を気にして子供をつくる ・自分の老後が不安だから子供をつくる ・その他子供が欲しい理由があるから子供をつくる →これはわかる。好きなこと、望むこと、大事にしたいことは人それぞれだよね。 【理解できない】 ・子孫を残すことは種としての能、あるべき姿、果たすべき義務だから子供をつくる →当にそう思ってるの……??? 子供が要らないという意見に対して後者のような反論がついているのを見ると、当の当にそう考えてるの?と不思議になる。 自分の人生なのに、当に子孫繁栄のことを考えて子供をつくるかどうかの選択をするの? 来は前者のような考えが裏にあって子供を持つ判断をしているけど自己理解が足りずに後者のような言い方をしている、という場合は普通に理解できるからこの話の論点ではない 例えばだけど、「

    子供を残すことは人間の本能だって言う人が不思議
    satoshique
    satoshique 2023/06/08
    子供を持つことは幸せのひとつの形ではあるけど、絶対的なものではない。ヒトは言葉を使うことで文明を築き繁栄してきたし、オタク文化なんて最たるもの。
  • 子供産まなくてよかったです、マジで

    海外の観光産業では、日人観光客は「クレームをつけずに黙っていなくなるから怖い」と言われていると聞いたことがある。 なぜクレームをつけないのか。 改善するとは思えない、改善したとしてももう来ないから関係ない、文句を言って相手に響かなかったら(態度が悪かったり、逆に言い返されたりしたら)結局自分が疲れる… 色々な理由があるかもしれないけれどクレームはつけない。クレームはつけないけれど、ざわざわと口コミは広がる。結果行かなくなる。 非婚化も少子化もこれなんだろうなと思う。 結婚しても産んでもロクなことがない。口コミが広がっている。 わざわざ好き好んで悪い口コミを見なくても肌感覚でわかるし。皆生活するのに必死でそれどころではない。 政治家の言う少子化対策は結局バラマキで泥縄政策で、根的な「産めばなんとかなる」「産みたくなっちゃう」という明るい空気の醸成には至らない。 むしろ実質増税案が出て「子

    子供産まなくてよかったです、マジで
    satoshique
    satoshique 2023/06/05
    増田もトラバもブコメも、それぞれに絶望が表現されていてNO FUTURE。思えば日本の人口は国の規模からすると増えすぎだったんだよな。
  • ピエール瀧が語った坂本龍一の思い出。そして明かされた逸話- 『戦場のメリークリスマス 4K修復版』トークショーレポート - シネフィル - 映画とカルチャーWebマガジン

    現在公開中の『戦場のメリークリスマス4K 修復版』坂龍一さん追悼ロードショーにつきまして、5/31(水)にゲストを迎えたトークイベントを行いました。以下、レポートをお送りいたします。 映画 『戦場のメリークリスマス4K 修復版』トークショー 日時:5月31日(水) 登壇者:ピエール瀧(電気グルーヴ)/吉村栄一(ライター/編集者)このたび、電気グルーヴのピエール瀧さんと、ライターで編集者の吉村栄一さんをゲストに迎えたトークショーを開催。作を改めて鑑賞して感じた、演技や音楽についての話のほか、坂龍一さんとの思い出などを語っていただきました。 2021年4月16日~2023年3月31日をもって、弊社アンプラグドの配給上映権が終了を迎えた『戦場のメリークリスマス4K 修復版』だが、2023年3月28日に作のメインキャストであり、音楽を担当された坂龍一さんが71歳でこの世を去ったことで、全

    ピエール瀧が語った坂本龍一の思い出。そして明かされた逸話- 『戦場のメリークリスマス 4K修復版』トークショーレポート - シネフィル - 映画とカルチャーWebマガジン
  • 坂本龍一 追悼連載vol.7:その音楽家人生と「ピアノ」という楽器について。『1996』を通じて考える | CINRA

    初めて坂龍一という音楽家を意識したのは1992年のバルセロナオリンピックだったから、私は散開以前のYellow Magic Orchestra(YMO)をリアルタイムではほとんど知らない。ピアノを習っていたものの、ハノンやツェルニーといった練習曲にうんざりしていた15歳の私にとって、坂は「外の世界」へと窓を開いてくれる存在だった。 坂龍一(さかもと りゅういち) / Photo by zakkubalan ©2022 Kab Inc. 1952年東京生まれ。1978年に『千のナイフ』でソロデビュー。同年、Yellow Magic Orchestra(YMO)を結成。散開後も多方面で活躍。2014年7月、中咽頭がんの罹患を発表したが、2015年、山田洋次監督作品『母と暮せば』とアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽制作で復帰を果した。2017年春には8

    坂本龍一 追悼連載vol.7:その音楽家人生と「ピアノ」という楽器について。『1996』を通じて考える | CINRA
  • 猿之助さん「死んで生まれ変わろうと家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ」

    18日、東京・目黒区で、歌舞伎俳優の市川猿之助さんが意識がもうろうとした状態で見つかり、両親は死亡しましたが、猿之助さんが「死んで生まれ変わろうと家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ」という趣旨の話をしていたことが分かりました。 18日、目黒区の自宅で歌舞伎俳優の市川猿之助さんが意識がもうろうとした状態で見つかり、別の部屋で見つかった両親は死亡しました。 猿之助さんは病院に搬送され、一時は入院していましたが、歩ける状態まで回復し、19日に退院しています。 司法解剖の結果、両親の死因は向精神薬を服用したことによる中毒死とみられることが分かっていますが、その後の捜査関係者への取材で、猿之助さんが「死んで生まれ変わろうと家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ」という趣旨の話をしていたことが分かりました。 自宅からは猿之助さんの遺書とみられるものも見つかっていて、警視庁は当時の状況を詳しく調べるとと

    猿之助さん「死んで生まれ変わろうと家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ」
    satoshique
    satoshique 2023/05/20
    市川亀治郎の時代は好きだった
  • 追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代 | CINRA

    2023年4月2日、坂龍一がこの世を去ったことを知ってから、言葉にならない喪失感を抱え続けている。ただ呆然とするほかないなか「Ars longa, vita brevis. 芸術は長く、人生は短し」という人が好んだ一節に触れ、残された自分にできることがあるかもしれないと思った。氏が長きにわたり発表してきた膨大な音楽作品を振り返り、書き残すことで、またわたしたちは新たに音楽家・坂龍一に出会いなおすことができるかもしれない。そんなことを考えた。 さまざまな書き手の方に「坂さんの音楽について書いてくれませんか」とメールを送った。非常に多岐にわたる活動を展開し続けたからこそ、どこから、何から書くべきかは難しいのではないかと考え、「あなたが選ぶ、坂龍一の『永遠の一枚』」というお題とともに。届いた原稿はさまざまだった。個人の記憶とともにひとつの作品について書いた人、ひとつの作品からさまざまな

    追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代 | CINRA
  • 坂本龍一が自らの葬儀で流すために制作していたプレイリスト

    昨年6月から少しずつ曲を足して作られた、33曲で構成されているこのプレイリスト。盟友アルヴァ・ノトの電子音楽でスタートし、エンニオ・モリコーネ、エリック・サティ、クロード・ドビュッシー、ニーノ・ロータ、モーリス・ラヴェル、ビル・エヴァンス、武満徹、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、デヴィッド・シルヴィアンなど坂に影響を与えたさまざまな作曲家たちの楽曲を経て、ローレル・ヘイローが2020年に発表した楽曲で締めくくられている。 坂は3月28日に71歳で亡くなっており、日5月15日は四十九日にあたる。

    坂本龍一が自らの葬儀で流すために制作していたプレイリスト
  • テレビ見ません 映画見ません アニメ見ません YouTube見ません Tiktok見ませ..

    テレビ見ません 映画見ません アニメ見ません YouTube見ません Tiktok見ません サブスク見ません インスタ見ません Twitter見ません 読みません マンガ読みません ゲームしません 音楽聞きません 彼女いません 嫁いません 友達いません すまん、俺って異端か?

    テレビ見ません 映画見ません アニメ見ません YouTube見ません Tiktok見ませ..
    satoshique
    satoshique 2023/05/04
    でも空気は吸っているんでしょ。それでいいじゃない。生存しようや
  • 坂本龍一とデヴィッド・ボウイの交流を辿る 互いに言葉をかけ合い続けた2人の特別なリスペクト

    龍一とデヴィッド・ボウイの出会いは1978年12月にまで遡る。 当時2回目の来日公演ツアー中のボウイを、ソロとしてもYellow Magic Orchestra(以下、YMO)としてもデビューしたばかりの坂龍一がインタビューするという雑誌の企画においてだった。 互いの音楽や日文化についてなど、話題は多岐に及んだが、ボウイのほうから三島由紀夫の話を持ち出しているのはおもしろい。言うまでもなく、坂の父は三島由紀夫を手掛けた高名な文芸編集者だった。もちろん、ボウイの知るところではなかったが。 坂龍一(2017年『ヴェネツィア国際映画祭』) ふたりの再度の出会いの場所は4年後、南の島だった。 ニュージーランド・クック諸島のラロトンガ島。映画『戦場のメリークリスマス』で俳優として共演したのだった。今ではニュージーランド有数のリゾートアイランドとなっている同島だが、当時は大きなホテルは島

    坂本龍一とデヴィッド・ボウイの交流を辿る 互いに言葉をかけ合い続けた2人の特別なリスペクト
  • 岸田繁(くるり)のルーツをたどる | アーティストの音楽履歴書 第46回

    アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は岸田繁のルーツを探る。1996年にくるりを結成し、同バンドで活躍する一方で、ソロ名義では映画音楽のほか、管弦楽作品や電子音楽作品なども手がける岸田。そんな彼の音楽遍歴とは? 取材・文 / 大谷隆之 「なんか心が気持ちいいなあ」音楽は自分だけが知ってる喜びだった実家の近くに、チンチン電車が走ってたんです。真夏の暑い日に、職員さんが車庫の軌道敷に水を撒いていて。おじいちゃんか誰かに連れられて、それを見ていたのを覚えています。京都の市電が廃止されたのが昭和53年9月なので、僕が2歳半くらいの頃かな。たぶんそれが、僕の中で一番古い記憶ですね。 父親がクラシック音楽好きで、休日はよく家でLPレコードを聴いていました。ベートーヴェンとかチャイコフスキーとか、わりと王道のやつです。

    岸田繁(くるり)のルーツをたどる | アーティストの音楽履歴書 第46回
    satoshique
    satoshique 2023/04/30
    細野さんあたりは入ってこないんだなー
  • 土屋昌巳が「一番伝えたかった」“教授”じゃない坂本龍一の姿 「立場が逆転した日」の記憶

    ロックバンド・一風堂のボーカルで、1982年に『すみれ September Love』を大ヒットさせた土屋昌巳(70)が、ENCOUNTに亡き坂龍一さん(享年71)への思いと自身の「今」を語った。かつて同じバンドで活動した坂さんとの思い出は数多く、その生きざまに影響を受けてきたことを明かした。 ロックバンド・一風堂のボーカルで、1982年に『すみれ September Love』を大ヒットさせた土屋昌巳(70)が、ENCOUNTに亡き坂龍一さん(享年71)への思いと自身の「今」を語った。かつて同じバンドで活動した坂さんとの思い出は数多く、その生きざまに影響を受けてきたことを明かした。(取材・文=福嶋剛) 坂さんが亡くなって約1か月。土屋はしみじみと言った。 「『教授(坂さん)の思い出を語ってほしい』と言われた時、僕が一番みなさんに伝えたかったことがあります。それは、YMO時代や

    土屋昌巳が「一番伝えたかった」“教授”じゃない坂本龍一の姿 「立場が逆転した日」の記憶
  • 「坂本龍一さんは弟のような存在…」激動の高校時代を共に過ごした塩崎元衆議院議員が語る“世界のサカモト”

    satoshique
    satoshique 2023/04/25
    まぁこういうのが教養っていうのだろう。最後の古き良き自民党。
  • フリッパーズ・ギターとコーネリアスとあのころ|大久保祐子

    2023年3月26日、慶應義塾大学三田キャンパスにて『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』(集英社新書)の刊行記念シンポジウムが開催されました。登壇者は私のほかに、著者の片岡大右氏、IfYouAreHere委員会を組織し検証サイトを立ち上げたkobeni氏、『炎上社会を考える 自粛警察からキャンセルカルチャーまで』(中公新書ラクレ)の著者で社会学者の伊藤昌亮氏、以上の4名です。オンライン配信も行われ、おかげさまで盛況のうちに終えることができました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。 以下の文章は、当日会場でわたしが発表した報告です。片岡氏の了承を得たうえで、こちらのnoteにも掲載しておきます。 2021年夏の小山田さんの一連の辞任騒動件に関しては、インターネットやいじめ問題など、様々な出来事が複雑に絡み合って引き起こした悲劇だという話は片岡さんのでも詳しく書かれてい

    フリッパーズ・ギターとコーネリアスとあのころ|大久保祐子
  • 細野晴臣「坂本くんは数年かけて準備をし永眠しました」 ツイッターで坂本龍一さんへの思い明かす

    ミュージシャン、細野晴臣(75)のスタッフ公式アカウントが17日、更新。音楽グループ、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の盟友で3月28日に死去した音楽家、坂龍一さん(享年71)へのメッセージが掲載された。 「坂くんは数年かけて準備をし永眠しました。御人も御家族も後悔なく、静かに旅立ったと聞きました。それを知ってから、僕も安らげています。細野晴臣」と記された。 細野は同日未明に放送されたinterfm「Daisy Holiday!」(日曜深夜1・0)で坂さんを初めて肉声で追悼。1月に死去したメンバーの高橋幸宏さん(享年70)にも触れ、「悲しい知らせが続いて心の整理ができていませんが、明るい未来に進んでいくしかない。同時に、高橋幸宏、坂龍一への追悼は一生続くと思います」としのんでいた。

    細野晴臣「坂本くんは数年かけて準備をし永眠しました」 ツイッターで坂本龍一さんへの思い明かす
  • 【追悼:坂本龍一】アブと呼ばれた荻窪ロフト時代から原点となる「千のナイフ」まで

    ヒッピーのような長髪、坂龍一との出会い 坂龍一の功績についてはすでにさまざまな形で語られているし、それに関して付け加えたいことも無い。それに、これからも彼が残してきた作品に触れることができるのだから彼の音との対話は続けられる…。そう思うしかないな、というのが正直な気持ちだ。 坂龍一は、確かに類まれな才能の持ち主だと思う。しかしそれと同時に、彼のような音楽家が登場したことも、日の70年代以降の音楽シーンの “空気” を象徴していたのではないかとも感じられるのだ。 坂龍一を知ったのは1974、5年のこと。当時、僕はオープンしたばかりの荻窪ロフトでブッキングを手伝っていたので、かなりの頻度でロフトに通っていた。そこで客として来ていた坂龍一と会っているのだ。 ヒッピーのような長髪でいつもラフな黒っぽい服に身を包んでいた彼は、ライブ後のミュージシャンと音楽の話をしたり、一緒に飲んだりして

    【追悼:坂本龍一】アブと呼ばれた荻窪ロフト時代から原点となる「千のナイフ」まで
  • カタリベ一覧 | Re:minder - リマインダー | 80年代音楽エンタメコミュニティ

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