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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman (8)

  • 精神医学の終焉 ポスト・ヒューマン、発現。 - はっはっはっは

    はじめに この記事では、ネット上で行なわれている精神医学をテーマとしたコミュニケーションを観察することで、精神医学が機能不全に陥っていると言う現状を指摘する。直ぐにお気づきになるだろうが、この挑戦の意味するところは、<脱魔術化された科学>の脱魔術化だ。 基的な考察の出発点は、人間の精神状態に言及するはずの精神医学の学術的なコミュニケーションは、人間の精神状態を<置き去り>にしたまま突き進んでいく、というパラドクシカルな観点である。こうした精神医学は、次第に「形式と表面の戯れ」となり、ネット上を戯れる素人たちの<玩具>として成り下がる。ネット上で注目されている精神医学は、もはや学問の英知を指し示すものではない。 すると、知的好奇心はこう問いかけてくる。精神医学の後に何が来る?道徳か?倫理か?政治か?近代的理念か?しかし、それを説明するのがこの記事の役目なのだから、詳細については文中で説明

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    tikani_nemuru_M 2009/02/24
    応答したい論点がいくつかある
  • 東大入試で圧倒的に一人勝ちするための「合格答案」作成戦術 - はっはっはっは

    大学受験生にネットをしている暇がないというのは、果たして当だろうか?実は全く違う。東大に現役で合格している連中というのは、自分の実力で合格したと言い張りたいものだから、東大入試で圧倒的に一人勝ちできる方法がネットに眠っているとしても、秘密にしておきたいものなのだ。 この記事では、去年脳内で東大に現役合格した筆者が、この秘密を暴露したいと思う。東大に現役で合格した連中が抱いている「秘められた7つの確信」を、みんなの前で暴いていこう。東大入試で圧倒的に一人勝ちできる方法のルーツは、事実、ネット上で培われている。ネットこそが、東大現役合格の鍵なのだ!1.「の受け売りかよwぎゃはははw」で問題を一掃しろ(・ิω・ิ )b いきなりだが、超必殺技だ。国語(文科)の問題は、書籍の一部を引用して構成されたものが多い。つまり、東大の入試問題を作っている奴らは、みんなを読んで問題を作っているんだ。 こ

    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/02/06
    ケンブリッジやハーバード、MITの入試も、日本語で答案を書けばうっかりとマルにしてくれそうだ。諸君、これはチャンスだ
  • 非政治の政治性と政治の非政治性はセットで考えた方が面白いにゃー - はっはっはっは

    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2009/02/03
    政治と非政治は相補的でありつつ相互に侵食するので、いろいろとオモチロイよにゃ。まあ僕のあれは酔っ払いの韜晦ということで。
  • 勉強ができない「あたまがわるい人」でさえ圧倒的に一人勝ちできそうな方法 - はっはっは

    id:RPMさんの才能に刺激を受けて、「頭の良し悪し」や「勉強ができる・できない」に関係なく適用・応用できる方法を、自分なりにピックアップしてみた。1.ひたすら馬鹿の一つ覚えのように「ブーメラン」を指摘し続けろ(・ิω・ิ )b 「馬鹿というお前こそが馬鹿だ!」と主張するのは、馬鹿でもできる。「ブーメラン」が便利なのは、自分で大したことを考えなくても済ませることができるからだ。ただ相手が言ったことを<鸚鵡返し>し続けていれば、いずれ相手も折れるだろう。 このネット用語の猿知恵は、数論や意味論で言われる「自己言及的パラドクス」に似ている。だが自己言及的パラドクスの形式は、それ自体も自己言及的なパラドクスに陥る。たとえば、共時的に相手の自己言及的パラドクスを指摘して優越感に浸っている馬鹿でも、通時的には不可避的に自己言及的パラドクスに直面してしまう。だから、「自己言及的パラドクスを指摘するお前

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    tikani_nemuru_M 2008/12/30
    うん、確かにこれらの方法で「ひとり」勝ちできますにゃ。世界の中心で勝利を叫ぶ、というか。
  • 【はじめに】ネットで人生が破壊されるただの「読者」と、ネットを有効活用できる「記述者」の違い - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師

    これから記述する三つの連載記事は、分裂勘違い君劇場id:fromdusktildawn氏の『 ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書を読もう - 分裂勘違い君劇場』に対するリアクション・ペーパーである。私は、この『 ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書を読もう - 分裂勘違い君劇場』のテーゼに抵触することなしに、別の観点に接続させてみたい。私が持ち出す新たな観点は、ハイパーテクストにおける「読者」と「記述者」の差異である。「ともあれ、ネットに時間を使いすぎていると思われる方は、この際、ネットの時間を減らし、良書を読む時間を増やしてみてはいかがでしょうか。おそらくその方が、ネットの記事も今までの何倍も深く楽しく読めるようになり、世界が全く変わって見えることと思います。人生も、はる

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    tikani_nemuru_M 2008/11/28
    多階層において記述と閲覧を参照させ循環させるのは確かにとても楽しいし可能性もある。でもさー、まだまだ紙媒体のほうが読みやすい。まとまった材料を仕入れるにはまだまだ紙だけど、確かに紙に書く気はせんね
  • エリートと大衆の「伝言ゲーム」で成立する疑似科学批判とニセ科学批判 - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師

    はじめに 「機能的エリートたちの知と、政治家たちの権力との対話だって?そんな対話を求めるのは、何も知らずに今日の知の力を過小評価するものであろう。(中略)経済の分野でも情報の分野でも、政治はもう絶頂期にはない。手をつなぐ相手が欲しいのは政治であって、学問ではないのだ」[1]。 これは、フランクフルター第四世代を主導するノルベルト・ボルツの発言だが、単なる挑発ではない。その背景にあるのは、システム理論的な洞察である。それによれば、政治的コミュニケーションと学術的コミュニケーションとの間には、避けられない差異がある。それは、コミュニケーションを形式化させているメディアが異なるためだ。政治は、権力をメディアとすることで形式化している。一方で学術は、真理をメディアとすることで形式化している。厳密さを犠牲にして単純化させて言えば、政治は反証を好まないのに対して、学術は反証を好むということだ。これは、

    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2008/11/27
    共時的な通約不可能性について/メタファーの議論は佐藤信夫「レトリック認識」の議論に通じる
  • 科学は「真の道」を断念して、合っているもので満足しなければならないのにゃー - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師

    我輩は巷で流行っていた疑似科学批判論争とは全く別様の観点から出発して、『無知な弱者は疑似科学に騙され、科学にも騙される。散々振り回された挙句に最終的には無知のまま形式と表面を戯れる。 - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師』を書き上げたのだけど、id:tikani_nemuru_Mさんの観察からいよいよ巷の論争と我輩の観点との接続可能性が芽生えだしたのにゃー。 この記事では、まず我輩とid:tikani_nemuru_Mさんの接点を軽く概観した上で、我輩側からid:tikani_nemuru_Mさんの観点をラジカルに補強する主張を投げ掛けてみたいにゃー。我輩とid:tikani_nemuru_Mさんの接点を軽く概観するにゃー 前回我輩が記述した『「疑似科学批判論争」は空腹と共に終わるんだにゃー - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師』に対してトラックバックされたid:tikani_nemuru

    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2008/11/26
    またトラバがきてない。困ったもんだ。さて、今朝僕があげた記事がこの記事のある部分には応答しているとは思う。/常なる仮説構築ってのは、まさに「合っているもので満足」ということだよね。穏当な見解と思う。
  • 無知な弱者は疑似科学に騙され、科学にも騙される。散々振り回された挙句に最終的には無知のまま形式と表面を戯れる。 - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師

    はじめに:KoshianX氏の問題提起 『似非科学対策としての「なんちゃって理解」を実現できないか - 狐の王国』の問題提起は非常に示唆に富むものだった。盲点の無い観察は無い。したがって、何が複雑なのかもわからないほどに複雑な情報や知を前にしては、「なんちゃって」理解することと「嘘を吐いて」理解させることが効果的に重要な選択となる。そのために必要となるのが、メタファーだ。『知のデザインとしてのメタファー - ポスト・ヒューマンの魔術師』で説明したように、メタファーは類似的な対象を同一視することを可能にする。メタファーを自覚の有無を問わずに利用することで、我々は理解や読解の負担を免除させているのだ。id:KoshianX氏は、このメタファーの機能による「なんちゃって」理解が、疑似科学対策に結び付かないのかと考えているのである。 この記事で説明する私の返答 これに対する私の返答は、次のように過

    tikani_nemuru_M
    tikani_nemuru_M 2008/11/17
    「科学に騙される」というのが、仮説にすぎないものを勝手に盲信して勝手に裏切られるということだとしたら、それは科学が騙しているわけではない。社会機能的には科学が騙しているということになるが。
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