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戦争と人生に関するNahooのブックマーク (2)

  • 江藤淳の痛みというか - finalventの日記

    このところ、江藤淳の痛みのようなことをぼんやりと考える。彼も自決だった。そして、その自決は三島由紀夫と同質でもあったかもしれない。 江藤は32年生まれ。昭和7年だ。三島は1925年(大正14年)。私の父が26年生まれ。 父は大病で結果的に戦死を免れ、私がこの世にいる。彼の兄、つまり私の伯父はインパールで戦死した。つまり、殺された。父は私をその兄に似ていると見ていたふしがある。私は伯父の転生かもしれない(冗談ですよもちろん)。 三島も実質戦争を免れた。そのことを内心、忸怩たる思いがあっただろう。彼は団塊世代の上にあたり、GHQの所作も見てきたし、戦後日の欺瞞も見ていた。耐えられなかったというのはわからないでもないが、それより、自身の確立がGHQなるものとそれに結託する日的なるものに耐え難かったのだろう、というのはわからないでもない。天皇崇拝みたいなものは、偽悪的に言えば、そうした仮託の偽

    江藤淳の痛みというか - finalventの日記
  • 戦争の体験談を語るわ 完結 無題のドキュメント

    38 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage] :2010/05/22(土) 22:34:20.67 ID:YjM.1pYo それから1ヶ月か2ヶ月ちょっとは、山の中で生活していたんだ。 フォーチャにはもう戻れないから、結構離れた山中で静かにしていたんだ。 幸運な事にさ、一緒に脱出した人の中に、ミジュヴィナからついてきてくれた 青年の一人が居て、薬とかを時々歩いて5時間くらいかけた所にあるらしい集落に 取りに行ってくれていたんだ。 39 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage] :2010/05/22(土) 22:40:05.25 ID:YjM.1pYo ただ、料は毎回のように貰いに行くわけにはいかなかった。 なぜなら、それで俺達の存在がスルツキの人々に知られてしまう可能性があったんだ。 だから、この山中での生活は、べ物が少なくて辛かった。 べられそうなものは何でもべたんだ。葉

    Nahoo
    Nahoo 2010/06/11
    お願いだから釣りであってくれ
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