以前から、総理補佐官として官邸勤務をしていた当時の事を、備忘録を兼ねて書き記しておきたいと思っておりました。これまで全ての事故調で証言し、多くの取材でも聞かれたことは全てを正直にお話してきましたが、聞かれていない事、記事にならなかったものも多数あります。
東日本大震災で、南三陸町志津川高校から見た津波の様子をデジカメで撮影いたしました。最後の方で、畑を逃げている人たちは全員助かっています。 追記 9.11テロの際には、報道の流す映像によってPTSDの症状が出た方がいたようです。このようなショッキングな映像を見続けることは心の健康にプラスにはなりません。ご注意ください。 私自身この津波で家を流され、飼っていた猫も失いました。あまりこの動画を見たいとは思いませんので、散々迷った挙句アップロードいたしました。 これを見ることが被災者の気持ちを理解することにつながるとは思いませんが、何が起きてどんな感じだったのかを誰かに知ってもらいたいと思って公開してしまいました。 英訳していただいたので追記します。 This video taken with my digital camera shows the huge tsunami, after th
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東日本大震災津波その日、岩手県警察のヘリコプターから撮影した地震の様子です。気仙川を津波が遡上していく様子がわかります。
私は海から1km圏内に住んでいて、自宅で津波に遭いました。 地震当時は地元のイオンで遊んでいて、 家に帰って来た瞬間津波が押し寄せました。 動画自体は短めですが、この後も水位は上がり続けて、 次の日になっても水は引きませんでした。 1日でも早く元の石巻に戻ってほしいです。 そして早く普通の生活がしたいです。
マレーシアの写真家キュー・ウィー・ロン氏(27)が7月10日、福島第1原発事故の避難指示解除準備区域などを撮影した画像をFacebookに投稿し、議論を呼んでいる。ロン氏は撮影場所を「福島の立ち入り禁止区域」などと紹介。CNNやガーディアンなども取り上げ、19日午前10時現在で、投稿は7万回以上シェアされている。
東日本大震災の経験を踏まえて、今年の夏から静岡県の駿河海岸で、全国で初めて、今ある堤防を大津波がきても壊れにくい「粘り強い構造」に補強する工事が始まります。津波防災にとって最も重要なことは素早い避難ですが、粘り強い堤防は、東日本大震災で堤防が簡単に壊れたことから考え出された新型の堤防で、住民の避難を助ける堤防だといいます。今晩は新型堤防が目指す津波防災について考えます。 今日の話しのポイントです。1つは、東日本大震災で堤防はどのように壊れ、大津波でも壊れにくい「粘り強い堤防」とはどのようなものなのか、2つ目は、その堤防は津波を防ぐだけでなく住民の避難を助けることを目指します。そして3つ目は、堤防などの施設で守るハード対策には限界があることを住民に説明するとともに、避難を助ける新たなハード対策の提言をすることが、国土交通省や土木関係者の役割ではないかということです。 《ポイント① 粘り強い堤
基本的には、誰がどう見ても自治体の対処能力を超えた大災害で被害額の積算を待たねば判断できないような事態ではなかったからですね。瓦礫処理から道路復旧、仮設住宅、支援物資確保と輸送などの対応で自治体が各自の予算と相談しながらやっていては広域的に対応できませんので早く激甚災害に指定したのは当然です。 菅政権は震災発生の翌日2011年3月12日に激甚災害指定の閣議決定を行い、13日には政令として公布したわけですが、安倍擁護ネトウヨはこれに対してデマをばら撒いています。 その中に「デュー・プロセス(適正手続)を無視した」というものがあります。 ちょwwwデュー・プロセスを無視したことを称賛するサヨクwwwww民主主義ってなんだ!wwwwwwwwwwww mori-yoshiroのコメント 2016/04/25 02:27 http://b.hatena.ne.jp/entry/285894945/c
驚きの内容。勝見貴弘氏による詳細な解説連ツイをまとめました。米国連邦議会図書館資料から読み解く(注:完全翻訳ではありません)3.11時の政府の対応の足跡。当時の菅直人政権がどのような措置をとりながら災害対策に奔走していたか、またそれらの活動が(復興庁HPはじめ日本政府が現在も公表中の資料の中にあるにもかかわらず)なぜ我々のもとに正しく伝わってこなかったのか、色々と見えてくるものがあると思います。 ※当まとめの続編「【コラム】国難級の災害に接して迅速に激甚災害指定することの意義 #熊本地震 #激甚災害 #被災地支援」にきましても是非ご覧下さい(こちらは勝見氏ご本人のまとめになります)。 togetter.com/li/964202 続きを読む
石巻医療圏の救援拠点となった石巻赤十字病院。 3月11日 14時46分 震災発生直後から即座に患者の受入体制を準備。 全国の赤十字病院をはじめ、DMAT、公立、民間、NPOの医療チームも駆けつけ不眠不休の救護活動が行われました。 ■平成23年9月30日発売「石巻赤十字病院の100日間(小学館)」 http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784093882071 ■平成24年2月20日発売「東日本大震災 石巻災害医療の全記録(講談社)」 http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=257758
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