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社会と読み物に関するNahooのブックマーク (5)

  • 【5年前の記憶の全て】 /寺田学 -TerataManabu- オフィシャルウェブサイト

    以前から、総理補佐官として官邸勤務をしていた当時の事を、備忘録を兼ねて書き記しておきたいと思っておりました。これまで全ての事故調で証言し、多くの取材でも聞かれたことは全てを正直にお話してきましたが、聞かれていない事、記事にならなかったものも多数あります。

    【5年前の記憶の全て】 /寺田学 -TerataManabu- オフィシャルウェブサイト
  • もちが禁止されてから10年が経った

    もう今では、を販売することも、自宅で作ることも所持も許されない。違反した人には、懲役3年以内の刑に処される。 禁止された理由は簡単。過去に多くの人がで喉を詰まらせ、が人を殺してきたからだ。 俺自身もまさかが規制されるとは思ってなかったが、様々な運動や事件が(規制派にとっては)うまくハマってしまい、が規制されることになった。 きっかけは、ある自治体が住民に対して、野外でのつきを禁止したことだった。 これは、表向きは集団中毒を防ぐため、とのことだったが、明らかにによる死亡事故の責任を負いたくない自治体の責任逃れだと批判が集まった。 この時の世論は、�「つきは日の伝統。できないのは残念だ」という思いがほとんどであった。 このニュースが全国ニュースで流れ、はてぶで炎上し始め、つき禁止はおかしい、伝統を守れ、という意見が流れ、抗議集会が各地で開かれることになった。 趣旨として

    もちが禁止されてから10年が経った
  • インド人だけど質問ある?

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/24(金) 20:42:44.40 ID:9iGusl5g0 13 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/24(金) 20:48:07.83 ID:U3yW525t0 >>1 kahan se aae ho? UP? Bahut khushi hai ki VIP mein hindustani se milne 20 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/24(金) 20:58:43.91 ID:U3yW525t0 おい、>>1が帰ってこないならガチインド人の俺がこのスレもらうぞ。 ハーフで日に帰化したから厳密には違うけど。 父:インド人 母:日人 俺:大学生22歳男 母語:日語(ヒンディー語は準母語) 23 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします

    Nahoo
    Nahoo 2010/09/26
    インドの政治文化雰囲気そのほか、非常に博識で頭のいい人なようでわかりやすい
  • 兄が死んだ | Tokyo O life

    兄が急逝した。今日、これから親族だけの密葬をする。 二日前、会社で仕事をしているところに、「お義兄さんが倒れた」と僕の奥さんから電話がはいった。僕の家は実家から徒歩1分の距離にある。 兄が倒れたと聞いても、正直、このときは「またか」と思った。兄は前にも救急車騒ぎを起こしたことがある。 父と喧嘩して、睡眠薬を大量に飲んだと思い込んだ母親が救急車を呼んだが、結局、適量飲んだだけで何の問題もなかった。兄は歩いて帰ってきた。 しばらくすると、2回目の電話があった。「脳出血」だという。 それはまずい、と思っていると今度は病院につきそった母から電話で「今すぐこれないか」という。 慌てて会社を早退して、病院へ向かうが、思ったより動転していて逆方向の電車に乗ってしまった。慌てて渋谷で降りて五反田経由で旗の台の昭和医大に行った。 救急救命センターの入り口で母と合流した。「あとで、もう一度お医者さんから説明が

    Nahoo
    Nahoo 2010/06/19
    ニートでなくとも引きこもりにはなるし、才能と実力をもっていても段階と適性を見誤れば失敗する。夢がかなわなかった以上、お兄さんは不幸だと思っていただろうが、客観的にはいい人生
  • 戦争の体験談を語るわ 完結 無題のドキュメント

    38 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage] :2010/05/22(土) 22:34:20.67 ID:YjM.1pYo それから1ヶ月か2ヶ月ちょっとは、山の中で生活していたんだ。 フォーチャにはもう戻れないから、結構離れた山中で静かにしていたんだ。 幸運な事にさ、一緒に脱出した人の中に、ミジュヴィナからついてきてくれた 青年の一人が居て、薬とかを時々歩いて5時間くらいかけた所にあるらしい集落に 取りに行ってくれていたんだ。 39 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage] :2010/05/22(土) 22:40:05.25 ID:YjM.1pYo ただ、料は毎回のように貰いに行くわけにはいかなかった。 なぜなら、それで俺達の存在がスルツキの人々に知られてしまう可能性があったんだ。 だから、この山中での生活は、べ物が少なくて辛かった。 べられそうなものは何でもべたんだ。葉

    Nahoo
    Nahoo 2010/06/11
    お願いだから釣りであってくれ
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