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教育と社会に関するUDONCHANのブックマーク (4)

  • 毒親というやつ

    前からわかってはいた。母親の仕掛けてくるあれこれに翻弄されて心を病みながらもそれを認められずに生きてきて、去年の夏やっと病名がついた。ほっとしたというよりも恐怖だった。 医者がずいぶん前からかかっていたようだと言った時正直やっぱりなと思うのと同時に安堵した。よく頑張って普通の生活を送ってきましたね、ともいわれた。考えてみれば心を病みながらも大学入試を乗り越え、大学を卒業しようとしているのだから心の病にかかってるとは言い難いのかもしれない。自分ではよくわからない。ただ、母親の存在が自分の毒になっているということがはっきりしたことだけが嬉しかった。 考えてみれば、母親とはまともな会話をしたことがない。いつも物の置き方や歩き方、扉の締め方で機嫌を伺っていた。突然スイッチが入るのだ。それは例えば、あのころはまだ小さかった妹が粗相をしたとか、皿を割ったとか、あるいは父親がへまをしたとかそういう負の原

    毒親というやつ
  • 今の小学校では調べ物学習をさせられない - Attribute=51

    ちょっと前に小学校時代の同窓会がありまして。 小学校5、6年のときの恩師と再会し、「今の小学校ってどうなんですか?」と聞いたのです。 ところが、聞かされた今の6年生の話がショッキングだったというか、残念な気持ちになったというか。 と同時に、自分たちは恵まれてたんだなーと思ったのです。 子ども達の質が変わった 「表面上は違うかもしれないけど、子どもというのはいつの時代も質的には同じでは」なんて、 個人的には漠然と思っていたのですよ。 なんだかんだ言って素直だったり、未知のモノに好奇心を示したり、大人に甘えたり、そういう部分は変わらないと。 しかし、自分らが小学生の頃と比べると「質的に違うと言わざるを得ない」と先生は言います。 一番にあるのが、とにかくとにかくとにかく、疲れている。 口癖は「疲れたー」「めんどくさい」「やりたくない」「まだ教わってない」。 朝のチャイムが鳴って教室に入らな

    今の小学校では調べ物学習をさせられない - Attribute=51
  • 講義ノートを買うレベルの「勉強」すらしなくなっているのでは | 5号館を出て

    実際に見たことはありませんが、「講義ノート屋」という商売があった(ある)ようです。それが、顧客の現象から廃業が相次いでいるというニュースがありました。 朝日コム 「講義ノート屋」氷河期 京阪神の大学で「閉店」続出 タイトルとは違って、記事は立命館大学の近くにある繁盛している講義ノート屋さんの話から始まります。大学の自粛要請にもかかわらず繁盛しているようです。しかし、このようなところはむしろ例外なのだそうで、講義ノート屋は 関西では数十年前から存在し、印刷会社などが営んでいた。「関関同立」「産近甲龍」と言われる有力私大の周辺にはどこにもあったのに、近畿大(大阪東大阪市)は5年ほど前、それより前に関西大(同吹田市)、甲南大(神戸市東灘区)で姿を消した。関西学院大(兵庫県西宮市)でも2年ほど前になくなった。いまも残っているのは、立命館大、同志社大(京都市上京区)、京都産業大(同北区)、龍谷大(

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  • フィルタリングより肝なネット時代の自助教育 - 雑種路線でいこう

    審議日程を踏まえると交渉は今週前半が山場で、様々なところが再び声を上げている。できれば民主党案に沿った決着を、それが難しければ時間切れになることを期待している。これはわたしやネット業界に限らず、この件に関わっている関係者の多くも似たような想いではないか。 問題は民間自主管理を原則とした場合に、どういった政策目標を設定すべきかだ。そこで考えさせられたのは、子ども達をいじめや犯罪被害から防ぎたいというのと、児童間の人間関係がネットに広がって教師から把握できず学級運営に支障を来す、親として情報の制限を通じて子ども達の逸脱行動を防ぎたいというのは、かなり違う政策需要ではないかということだ。前者は国民あまねく共有する一方、後者はかなり個別的な教育方針とも関係してくる。 例えばわたしの高校時代の先輩は、兄弟の二人暮らしで時々母親が部屋の掃除に来ていたのだが、掃除の度に漫画は没収するけれどもエロは没収

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