新田次郎の小説「聖職の碑(いしぶみ)」で知られる1913(大正2)年8月の中央アルプス駒ケ岳遭難事故で、生還した2人が風雨をしのいだとみられる岩穴を、中ア地区山岳遭難防止対策協会の堺沢清人さん(75)=駒ケ根市中割=が探し当てた。岩穴の前方に別の岩があり、風をよけられる。堺沢さんは、雨にぬれても風をよけたことで、体温が奪われなかったとみている。 事故は、中箕輪尋常高等小学校(現・上伊那郡箕輪町箕輪中)の学校登山で生徒や教師ら37人が暴風雨に遭い、11人が死亡。生還者のうち2人は岩陰で難を逃れた。生還者は既に全員が他界し、岩の正確な場所は不明だった。 小説や上伊那教育会の記録、箕輪中部小の100年誌などによると、2人が一夜を明かしたのは、駒ケ岳と将棊頭(しょうぎがしら)山のほぼ中間にある「濃ケ池」(標高約2600メートル)付近。「一、二人が入れる大きさだった」「朝目が覚めると東側に太陽が
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