今回はぼくの記事史上でも最高に分かりづらい好みを綴ったものだと思う。でも「こういうのいいよなー!」って心底思うので、世界にひとりだけでもいいから同好の士を探したい。 きっとひとりはいると思うんだ「線路沿いの道が終わる場所」好きが。
今回はぼくの記事史上でも最高に分かりづらい好みを綴ったものだと思う。でも「こういうのいいよなー!」って心底思うので、世界にひとりだけでもいいから同好の士を探したい。 きっとひとりはいると思うんだ「線路沿いの道が終わる場所」好きが。
東京湾と相模湾が同時に見られ、また富士山はおろか南アルプスまでも眺められる山があるらしい。 そんな眺望要素が盛り沢山ごった煮的な山がどこにあるのかと言うと、神奈川県の南東部にぴょっこり飛び出た三浦半島、その最高峰の大楠山(おおぐすやま)である。 最高峰、とは言っても標高242メートルの低山ではあるが、周囲に大きな山が無いので視界を遮るものがなく、眺めがすこぶる良いのだそうだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:ウォシュレットの強さ調べ > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 去年足首の手術した私は、しばら
北アルプスのど真ん中を貫く黒部峡谷。切り立った山々によって囲まれた険しい地形の為、明治時代に入るまでほとんど人が立ち入らなかったという、まさに日本の秘境というべき場所である。 黒部峡谷を紅葉の時期に歩きたい。そう思い立ち、旅行の計画を立てたのが3年前の事だ。しかし黒部はあまりに遠かった。一昨年は仕事に追われて時間が取れず、去年は行く直前になって崖崩れが起きてしまい道が閉鎖されてしまった。 その3年越しの願いが今年ついに叶ったのだ。喜び勇んで向かった黒部峡谷は、あらゆる意味で凄かった。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前
東京の町を歩いていて、ここの町並みちょっと雰囲気あるなーと感じることがある。 後で調べると戦災を逃れた町だったことが分かったりする。そう感じるほどに、逆にほとんどの場所が焼けてしまったということだろう。 たまに聞く、焼け野原にならなかった町。それらはどこにあって、今どういう雰囲気なのか?いくつかめぐってみました。
知ってるはずなのに分からない面白さ 先日、Fotopediaというサイトで、主に海外の人が撮った東京の写真を見ていた。 すると、よく知っている東京のはずなのに、どこからどこを見たものなのかがよく分からないものが結構あって面白かった。そのひとつがこれ。 "Tokyo Skyline" by Christopher Veenstra リンクをクリックするとFotopediaのページが開きますが、簡単のため、推理した場所をもとに似せた写真を撮ってきました。 Tokyoっていうんだから、東京なんだろう。でも、東京タワーとか新宿の高層ビル群とか、分かりやすい目印がない。いったいどこなんだ? それで、つらつら考えた。緑地が見えるから、皇居とか代々木公園とかなんだろう。あの煙突みたいなのは池袋かなあ。いや違うか。などなど。 そしてついに右下の緑地が何なのか分かったときに、他のものについても連鎖的に合点が
2005年、のと鉄道能登線、という第三セクター鉄道が廃線となった。 地域で唯一の鉄道路線であり、何を隠そう高校時代の私が通学に使っていた路線である。それが、この世からなくなってしまったのだ。 廃線になって丸6年が経った。 私の高校生活を支えてくれたのと鉄道。誰も訪れなくなったであろうあの駅たちは、今どうなっているのだろう。人々に忘れ去られてぼろぼろの廃墟と化しているのか、それとも……。 行ってこの目で確かめてみたい。
先日、群馬県の板倉町を訪れた。板倉町は群馬県、栃木県、埼玉県の境界に位置する町で、利根川と渡良瀬川の合流点付近に位置する、水の郷だ。 私はそこで、なんとも不思議な光景を見た。両岸に延々と堤防が連なっているのに、その間に川が無く、田んぼになっているのである。しかも、そこが群馬県と埼玉県の境であると知って、より興奮した。 今回は、そんな板倉町で見かけた、ささやかなリリカルをお伝えしたい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:うどん食べて大師のもとへ~遍路日記まとめ~ > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 私が
いわゆる近代建築というのだろうか、戦前の建物に、コンビニが入居しているケースがある。 西洋風の荘厳な意匠にまったくもってミスマッチなコンビニの看板が組み合わさっているのが、皮肉でもなんでもなく、純粋にかっこいいと思うのだ。 (工藤 考浩) なくなってた 僕が最初にその手の、歴史的価値がありそうな建物に、ズボッと現代消費社会の表象であるコンビニエンスストアが挟まってしまっている奇妙さに惹かれたのが、横浜スタジアムの脇にあったストロングビルだ。 「あった」と記したのは、そのビルが取り壊されてしまったからである。 ストロングビルにはampmが入居していて(ストロングビルで画像検索するとでてきます)、上京したての頃に「なんてかっこいいのだ、さすが横浜」といたく感激した。 例えはちょっと変だが、スーパーカーに乗って牛丼を食べに行くみたいな、大事にしなきゃならないものを普段使いしているかっこよさを感じ
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