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ブックマーク / note.com/yonahajun (1)

  • なぜ人文学者は、遠からずChatGPTに置き換わるのか|Yonaha Jun

    これまでもお世話になってきた『表現者クライテリオン』誌(隔月刊)で、連載「在野の「知」を歩く」を始めることになりました。今月刊の5月号での第1回ゲストは、批評家の綿野恵太さん。以前ご案内した2月の対談イベントを基にしつつ、大幅に増補した内容になっています。 「在官」すなわち大学のアカデミズムと、一般の読者の印象・感想とのあいだを繋いできた「批評」とはなんだったのか? それは今も機能しているのか? 批評的な中間知がなくなるとき、学問もまた社会で孤立し、無価値になってしまうのでは?……といった問いを「忖度なし」で議論しています。ぜひ、手に取ってもらえたら嬉しいです。 チラ見せしますと、僕の発言のうち特に大事だと思っている箇所がこちらです。 構造主義の記号論が流行したとき、「隠喩」(メタファー)と「換喩」(メトニミー)という区別がよく使われましたよね。有名な教え方が、「隠喩とは白雪姫、換喩とは赤

    なぜ人文学者は、遠からずChatGPTに置き換わるのか|Yonaha Jun
    babi1234567890
    babi1234567890 2024/04/25
    「解雇しろとは書いてない」「じゃあどういう意味なのだ?」「(無視)」みたいな。言論じゃなくて敵の寛容と敵失に頼った訴訟対策の要素が大きいと思う
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