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議論に関するbhikkhuのブックマーク (35)

  • 執拗な発言者の存在のためコメントを承認制にします - NATROMのブログ

    1月19日よりコメントを承認制にします。書き込まれたコメントは私が承認後に公開されます。コメントを禁止にした人物より執拗にコメントされて管理が困難になったためです*1。粛々とコメントを不可視化していましたが、さすがに相手をしきれなくなりました。その人物は「365日24時間監視できますか?我々は可能です」などと書いており、放置していれば大量のコメントが投稿されることが予想されます。実際に日だけでも30件近くのコメントが投稿されました。 投稿の一部 大量の投稿は単に読み難いというだけではありません。はてな日記の仕様として、最近のコメントの一覧が表示される機能がありますが(左のサイドバーに表示されています)、大量の投稿があると古いコメントが流れてしまい、新しい投稿に気付けません。 コメントを承認制にするデメリット(これもけっこう大きいと思う)と、管理しきれないコメントがあふれるデメリットを勘案

    執拗な発言者の存在のためコメントを承認制にします - NATROMのブログ
  • twitterリフレ派ツール「対デフレ派テンプレ」

    *日々「また同じ説明をせにゃあかんのか」と砂を噛むような思いをしている リフレ派のためのテンプレート。 *たかが140字とはいえ毎度毎度文章を考えるのも大変ですので、 さくっとコピペかRTですましてしまいましょう。 * @do_motoまでリクエストいただければテンプレートに追加していきます。 続きを読む

    twitterリフレ派ツール「対デフレ派テンプレ」
  • 藁人形と戦う前に「最適」の意味を理解せよ - 吾輩は馬鹿である

    コメント欄延長以外の記事をもう書かないつもりだったが、何度も同じことを説明させられることにもはや我慢が限界に達した。 あまりにも幼稚な話だが、ここに書かせていただく。今後、このような高校生レベルのことを再度説明させられることのないように望む。 「権力の力学」は物理学ではない 学問の世界と日常生活では言葉の使い方が異なる。学問の世界には「力」「情報」など、日常用語に由来を持つ専門用語が存在する。しかし、これらの言葉の持つ意味は、学問の世界と日常用語の間では異なる。学問の世界において、言葉の意味の範囲は日常語よりもずっと狭く、ずっと厳密だ。 たとえば、物理学では「力」の質を追究する。しかし、ここでいう「力」は、日常でいう「力」とは別物である。「力の強い者の意見が通る」というときの「力」は物理学の対象にはならない。「流体力学」「量子力学」は物理学の理論だが、「権力の力学」は物理学ではない。 な

    藁人形と戦う前に「最適」の意味を理解せよ - 吾輩は馬鹿である
  • モトケンの小倉秀夫ヲッチング

    冒頭追記 このエントリは、「ブログタイトルを変更しました。」というタイトルで ※ 以下を書いたのですが、小倉弁護士は、下記の「空気の変化」を完全に誤解したようです。 そして、その誤解によって、実は空気はまったく変わっていなかったことが明らかになってしまいました。 続きはこちら:

    bhikkhu
    bhikkhu 2008/08/17
    いつの間に。
  • 吾輩は馬鹿である

    私は生物学については高校レベルの知識も怪しいので特に言及する気はなかったのだが、一部で言及されたのでそれにのみ応答しておく。 哲学的な発想や芸術的な感想は自由に研究へ活かせばよろしい b:id:kurahito ソーカリアン突撃はよ>「哲学的な発想や芸術的な観察を自由に研究へ生かせます」 はてなブックマーク - 【万能細胞】STAP細胞作製の成功の小保方さんにRikejoが過去に取材していました! | 理系女子応援サービス Rikejo [リケジョ] なぜ私が「突撃」しなければならないのかわからない。私は、当該分野の人間に馴染みのない議論でハッタリをかますとか、他分野の専門用語や基礎知識をろくに理解しようともせずいちゃもんを付けるといった動きを批判したまでであり、個々の人間がどういうところから着想を得ようとそんなことは知ったことではない。 小保方氏が自身の論文に向けられた批判について「哲学

    吾輩は馬鹿である
  • 魔法の言葉「仮説に過ぎない」 - 誰がログ

    魔法の言葉、ってのは言いすぎかな…a-geminiさんの以下の記事を読んで。 http://a-gemini.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/vs_1_59e5.html 以下引用(引用の中の引用部分は福岡伸一氏の発言)。以下の話では福岡氏の主張そのものには踏み込みません、念のため。 もっともダーウィンの説もあくまで仮説に過ぎず、五指が私たちの形質になった真の理由を証明できるわけじやありません。たしかに四指族と六指族がいて、その間で五指族が生き残ったという物的証拠は何もないわけですから。 「ダーウィンの説もあくまで仮説に過ぎない」というのも妙な言い草だ。 「仮説」だから正しいとは限らない、とほのめかしたいのだろうか。 もう「に過ぎない」という表現を使用している時点でなんとなくその意図は伝わってくる気がしますが、結構良く聞くフレーズだと思います、この「仮

    魔法の言葉「仮説に過ぎない」 - 誰がログ
    bhikkhu
    bhikkhu 2008/07/25
    「仮説」という言葉を都合良く使う人ってたまにいる。
  • on claimability - おおやにき

    すいません、テキトーなこと書きました(挨拶)。いやよく考えたらNHK事件に関する判断の根拠は放送法3条に定められた編集の自由であり、同3条の2にある公正中立義務などを守るために被取材者の期待に応えられない可能性があることを被取材者も当然に知っている[はず|べき]であるというのが論拠の一つであるところ、同法はもちろん映画には適用されないので『靖国』事例においては被取材者の期待をより強く保護すべきという主張はあり得るのでした。もちろん根的なのは放送にせよ映画にせよ表現の自由との対立であって、被取材者には取材に応じるかどうかの選択の自由がある以上その期待を過剰に保護すべきでないという考え方のスジは共通であり、私自身は映画についても最高裁判決の論旨でいいのかなあと思うところではあるが、保護可能性の主張を全面的に排斥した点は誤りであったかと思う。でもApeman氏がツッコむのはそこじゃないのね。

  • http://twitter.com/tsuda/statuses/838525970

    http://twitter.com/tsuda/statuses/838525970
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

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    bhikkhu
    bhikkhu 2008/01/19
    議論が白熱すると完全な演繹推論しか認めなくなる人は結構いるような。
  • 一本足の蛸 - 論争的な文章を書くときには

    自分の言いたいことをどうやったら反駁できるか考えてみて、いくつか反論のパターンを用意しておくといいと思う。もし、有効な反論が見つからなかったなら、 自説に拘るあまり状況がよく見えていないか、 反論しようもないほど瑣末なことしか言っていないか、 どちらかの公算が大きい。どちらにしても、公表を控えておいたほうが身のためだ。 自分の主張への有効な反論が二つか三つくらい見つかったらしめたもの。論敵に衝かれる前に理論武装を整えておくことができるのだから。予想される反論を先につぶしておくのもよし、わざと誘いの隙を見せて逆襲するもよし。 では、反論は見つかったが再反論の方法が思いつかない場合はどうしたらいいか? なに、簡単なことだ。 考えを改めればいい。 追記 上の文章を書いたときに念頭に置いていた「自分の主張への有効な反論」というのは、それなりの根拠がある合理的な反論のことだったのだけど、REVの日記

    一本足の蛸 - 論争的な文章を書くときには
  • GIGAZINEさんは商売としてアクセスを集める文章を起草しているわけで… - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    何か話が飛んでいってしまって、なんだかなと思っていたら、またbewaadのwebmaster氏が釣りを楽しんでおられる状況であります。 まず、整理すると、たけくまさんのところで話が出た著作権の非親告罪化の話が発端であります。もちろん、いろんな絡みはあるものの、現段階では単なる杞憂、というかガセネタの範疇です。三十年後とか遠い将来のことは分からんけど。 http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_b72f.html 内容的にも、牧歌的な政府不信というか、警察不信みたいなものが漠然と中核を占めているだけであって、当然のことながら同人業界がどうという話は件の主眼なわけもなく、モノの判断がつかない馬鹿が煽られる良くあるタイプのネット芸術が織り成す一風景で終わるのかな、と思っていました。 その後、GIGAZINEさん登場。 http://

    GIGAZINEさんは商売としてアクセスを集める文章を起草しているわけで… - やまもといちろうBLOG(ブログ)
  • 「城尾哲弥=白正哲」説のネタ元は、やはり「nikaidou.com」だったようだ - kojitakenの日記

    「城尾哲弥=白正哲」説のネタ元は、やはり「nikaidou.com」だったようだ。2ちゃんねるや「博士の独り言」は、ここからパクったものなのではないか。 ■ 確たる証拠とは 「長崎市長銃撃事件の白尾が白正哲だという証拠を見せよ」と騒いでいるバカがいた。証拠なんて出せるわけないじゃないか。帰化しているなら「戸籍を取得し人が認めた」という一連の動きを全部掲載するしか「確たる証拠」なんてものはない。確たる証拠というのがなんなのかわかってないバカが多くて困る。報道は裁判じゃない。ましてや、うちのサイトはプロバガンダサイトだ、と公言している。「真実は自分で探せ」と言っているのだ。信じなければ信じないでいいし、信じるものは信じればいい。ただそれだけだ。人の記事に文句を言うのはいいが、自分で情報源でもコネでも見つけて取材すればいいではないか。自分でそういうルートを作れない無能のクズがガタガタ文句を言う

    「城尾哲弥=白正哲」説のネタ元は、やはり「nikaidou.com」だったようだ - kojitakenの日記
    bhikkhu
    bhikkhu 2007/04/28
    「後は読者が判断」メソッド、あるいは「自分で考えろ」メソッド。正統派のプロパガンダだな。
  • ララビアータ:ジルベルトの黒い瞳 - livedoor Blog(ブログ)

    善の価値判断に当たっては、我々は理由を示して説得ができなければならない(説得が成功するかどうかはともかく)。単に、そう思うから、そう感じるから、というのであってはならない。 この際、われわれが列挙する理由は、われわれの「善の理論」(または、その原理からの演繹)ではないだろう。むしろ、その判断対象、その行為の細部を示して、それがなぜそうした価値判断にふさわしいのか説得するのである。マクダウエルは、善の価値判断を恐怖心の場合と類比して、恐怖心を対象の危険性を示して説明する説得と比べている(Mind,Value,Reality p-143~144)。恐怖心の場合も、対象が危険であるゆえんを説得する事で、それが恐怖心をもつに値するゆえんを説明(説得)出来るのである。恐怖心を感じるのはある意味で主観的であるが、対象の有様に対する態度としてふさわしい(またはふさわしくない)態度として、批判的評価の対象

  • 【日記】「2ちゃんねるは議論できる場所ではない」 - Atahualpa

    「2ちゃんねるは議論できる場所ではない」 こういった批判を耳にすることは少なくない。その最大の要因として挙げられるのが、書き込みの追跡が不可能な点である。ある意見の持ち主を論破しようとしても、匿名であるためすぐに逃亡する。それだけならまだしも、他人のふりをして擁護意見を書き込む。過去の発言をなかったことにして都合良く立場を変える。ID制の導入により多少状況は変わったとはいえ、匿名掲示板は基的にこういった詐術がまかり通る空間である。対面のディスカッションに慣れた人が、こういった「責任の不在」を致命的な欠陥と考えるのも無理はないだろう。 しかし、僕のように2ちゃんねるでばかり議論をしてきて、2ちゃんねるで議論の仕方を学んだような人間にとっては、むしろブログやmixiといった非匿名環境における議論の方がはるかに不自由に感じられる。なぜなら、名前が明かされているということは、自分が何者であるのか

    【日記】「2ちゃんねるは議論できる場所ではない」 - Atahualpa
    bhikkhu
    bhikkhu 2006/08/13
    2chの議論ってバトルロワイヤルだよね。完全勝利した論者がいるスレは沈黙しちゃうの。「果たし合い」みたいな議論は確かに成立し難いと思う。死して屍拾うもの無し。なむー。
  • 事実認定について - rna fragments

    一昨日の日記のコメント欄。 # w 『メモの「私」=「昭和天皇」であるという根拠をrnaさんは何一つ呈示してないわけですが。これから楽しみにしてます』 残念ながらお楽しみいただけないかもしれません。 「私」が昭和天皇であるというのはメモを実際見た人たちや昭和史の専門家などの一致した見解であり、2chらーが画像から解読した未公開部分の内容との不整合も見られないわけで、オーソドックスな読み方なわけです。それ以上の積極的な根拠を求めているのでしたら、メモを直接見たわけでもなく専門家以上の見識があるわけでもない僕には無理です。 というか、w さんは、どういう根拠があれば納得するのでしょうか? こういう歴史的事実については「より少ない仮定で合理的に説明できる説」を事実と見るしかなく、数学の定理を論理的に証明したり、物理法則を実験と観察で証明したりするのとは話が違います。相手は普遍的な法則ではなく一度

    事実認定について - rna fragments
  • ララビアータ:左翼の言語戦略(2) - livedoor Blog(ブログ)

    (つづき) (以下、左翼の言語戦略論のつづきを、続けようと思っていたが、思いがけぬ懇切な批評を稲葉振一郎氏とやまがた氏からいただいた。二氏の論点の中には、この続編の論点に密接に関わるところがあると考え、当初発表しようとしていたそのままの形で急遽公表し、更なるご批評に待ちたいと考える。二氏のご批判を受け止めて私論を変更する必要が出てきた場合には、そのときにあらためてその点を公表したい。とりあえず、たたき台として、当初のままで公表するという事であるが、それは諸氏のご批判を、わたくしが無視してよいと考えているからではない。その点ご理解いただきたい。) (質流出説) さて、しかしこのような一種、知識社会学的な言語戦略は、すべての言説をその実存的・社会的基底に還元する「基底還元主義」と同一視されてはならない。「基底」をめぐる言説にも、既に不可避に政治的闘争と敵対性が内包されているのに、それを自明の

  • bewaad institute@kasumigaseki(2006-06-22) - 福井総裁辞任論への批判的検討は立身出世主義者による「エリート秘密クラブ」への媚態だそうで。

    bhikkhu
    bhikkhu 2006/06/22
    珍しくお怒りのご様子。
  • インタラクティヴ読書ノート別館の別館:『コルナイ自伝』

    http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/50505045.html 『読む哲学事典』「保守主義と左翼」がよい論点を提起しているだけに、気になるエントリなのだが……ハイデガーの「来性」の批判的検討をしている辺りまではよいのだが……福井総裁の話を始めてからがいけません。 一般の人々は、日銀総裁の行動に疑惑を持ちながらも、テクニカルな問題にまで立ち入って判断するのが難しい。しかし、それが法規違反、ないしは日銀の内規違反とまで言えるかどうかにかかわらず、「敵」を鮮明に指定することによって、一般の人々を政治的に動員することが可能になるのである。政治的結集には、テクニカルな厳密さよりも、迅速さと明確さが必要なのは言うまでもない。 この辺まではいいです。それがプラグマティズムというものです。クルーグマンもそのような意味において、マイケル・ムーアの『華氏9

    インタラクティヴ読書ノート別館の別館:『コルナイ自伝』
  • ララビアータ:左翼の言語戦略(1)

    拙著『読む哲学事典』(「保守主義と左翼」p−206)で、左翼と右翼の対立点を、主張内容の違いではなく、政治的対立についてのメタ認識の違いとして規定した。つまり、たとえば税制で、直間比率をどうすべきかとか、労働雇用契約で、労働市場の流動性を重視すべきか、それとも雇用の安定を重視すべきか、などの実質的内容の違いではなく、そのような対立を、政治共同体にとって外的なものと見るか、それともいかなる共同体にとっても何らかの対立が不可避のもの・内在的なものであると見るかの対立であると規定した。 すると今や、左翼にとって、その言語戦略を明らかにする事が、きわめて重要なものとなる。左右の違いは、何よりもそれぞれの言説戦略の形式の違いに鮮明に現われるからである。 (Heideggerを少々) 左翼の論争が、しばしば人格攻撃に及び、それが論争の基盤自体を構成する信頼関係を掘り崩してしまう結果、繰り返し不毛な分派

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