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blogに関するbhikkhuのブックマーク (503)

  • パパと私|伊藤亜和

    パパと会わなくなって7年経った。 死んでしまったわけではない。パパは私が住む家から歩いて1分ほどの場所に住んでいる。でも会わない。 喧嘩をしたからだ。 私が18になったとき、私とパパは警察が来るほどの大喧嘩をして、それ以来いちども顔を合わせていない。 私のパパはセネガル人だ。アフリカの西の、イスラムの国の人間だ。 私の名には苗字がふたつ付いていて(戸籍上片方の苗字は名前扱いになっているけど)、パパの家系の苗字はセネガルの由緒ある聖人の家系の印として付けられているらしい。 パパが言ったことなので当かは分からない。でも実際、時々知らないセネガル人から「ごきげんようプリンセス」とメッセージが届く。くるしゅうないぞ。 今でこそ横浜の片田舎で祖母の作った鯛のあら汁を啜るどこにでもいるプリンセスこと私だが、パパと暮らしていた幼いころの家の様子はやはり他とは異なるものだった。 壁いっぱいに飾られた教

    パパと私|伊藤亜和
  • 父がひとりで死んでいた|如月サラ

    1月半ばに、独り暮らしだった父(84)が遠く離れた実家の自室で倒れて亡くなっているのが見つかった。死後1週間経っていた。 1週間前から嫌な予感がしていた。朝方目を覚ますと、寝室のドアが大きく開いて廊下の電気がついていたことがあったのだ。大寒の最中、ドアを閉めずに寝ることなどあり得ない。寒い空気がひんやりと寝室に流れ込んでいた。誰が開けたんだろう。この家には私しかいないのに。 その時にもう私の心は父の死を知っていたように思う。 父は名にちなんで自分のモノに「chika」と書いていた。人をそう呼んだことはないけれど、私はSNSでユニークな父のことを書くときに「チカさん」と書いていた。それに従って、ここからは父のことをチカさんと書いていく。 2020年夏、姥捨山に私を捨てて、と母は言ったチカさんが独り暮らしになったのは、2020年夏に母(82)が熱中症で倒れてからだ。母は2020年の年初から、

    父がひとりで死んでいた|如月サラ
  • 風俗に落ちた女友達

    念のため、年齢はぼかす。創作なので俺も彼女もどこにもいないです。 俺には中学生の頃に女友達がいた。その子は低い声がコンプレックスらしくあまり人前で喋る方ではなくて、アスペルガー障害を持っていた(これは後に発覚)ので、よく周りが笑っている時に笑いどころが分からないと一人で真顔でポツンと座ってるような子だった。ストレスで上唇を噛む癖があり、パッチりとした目をした可愛い子だったが上唇がいつもボロボロだった。それでも2,3人の女の子グループにいつもいて、ぎこちなく笑いを浮かべて過ごしてはいた。 その子も俺もよく休みがちだった。俺は情報量が多い学校生活を送っていると脳と体が疲弊しきるので、周りと比較することを覚えた小4あたりから社会生活を諦めていた。布団に入って教育テレビを見ながら疲弊と不安で泣いてることが多かった。 彼女と同じクラスになったのは中1の頃で、席替えの時に隣の席になった。とある授業で前

    風俗に落ちた女友達
  • おかん死去 - 悠久バプテスマ

    11月30日0時ごろに、おかん死去。 死因は肺高血圧症と間質性肺炎ということだった。もともと、指定難病である強皮症という病気にかかっており、そう診断されたのが約8年前。強皮症自体の5年後生存率は、ググると90%台という情報もあり、そんなに低くないようだが、さらに条件付けがあるとガラリと変わるようで、医者には5年後生存率は約半分と言われていたようだ。死因となったような病変を持っていることによって、予後が著しく悪化するらしい。8年ならよく頑張った方だという。 俺は高校卒業からずっと地元から遠く離れて生活を送っており、父とおかんと6つ下の弟が実家でずっと暮らしていた。俺が小学生のころに、両親が身の丈にあわない持ち家を購入した。それは、仮にローンを完済するまで順調にいったとしても、父が定年退職した後も高額の返済が続くことになっており、明らかに俺や弟の将来的な稼ぎに手を突っ込んだ計画になっていた。俺

    おかん死去 - 悠久バプテスマ
    bhikkhu
    bhikkhu 2020/12/03
    “おかんはもう消え去って、概念と化した。まどかかよ”
  • 防犯カメラの死角を必死で探したことがある

    実家に帰ってきて親のいない茶の間で水ようかんをべていたら、この家でこんなにしずかな時間を過ごすのは久しぶりだと気づいた。 それは両親が旅行(といっても彼らも私も都民なので県をまたいだ移動をするのは悩ましく、近場のホテルをとって普段よりすこし贅沢みたいなことをしている)で不在にしているのはもちろん、私が人との同棲結婚離婚を経てひさびさにひとりになったからというのもある。 10代後半から20代前半にかけては、親の不在期間はそのまま、好きな男の子を家にこっそり連れ込むためのタイミングだった。 いま、ひどいときには収入が5ケタになるような弱小フリーランスの私とはちがい、両親は当時から地に足のついた仕事をしており、なおかつ良くも悪くもバブル世代的な人たちだった。10年ほど前、実家の駐車スペースには黒くでかいベンツと流線形の銀色の外車が並んで置かれていて、家族である私から見てもそれらは笑ってしま

    防犯カメラの死角を必死で探したことがある
  • 俺にもまだ人間の心が残っていた [追記あり]

    昨年4月、うつ病を発症した。 某大手電機メーカーの孫会社のアフターサービス部門に転職して2年目だった俺は、 常に月100時間程度の残業をしていて、ちょっときついなぁと言う感じは自分でも分かっていた。 お客様先の都合により早朝からの勤務や夜間待機も有り、一日の大半の時間は社用車の運転に費やされる。 一日中自社のコールセンターから社用携帯に指示が飛んできて、基的にはその日の内に指示を処理しなければならない。 部材の入荷状況や指示の処理具合によっては翌日以降に持ち越す事も出来るが、持ち越した日が苦しくなるだけだ。 諸先輩方も同様な労働形態で十数年やってきたと言われていたので、 今は苦しいが自分もいつか慣れる事が出来るだろうと漠然と考えていたが甘かった。 その日は突然やってきたのである。 朝、起きれなくなって会社に行けなくなってしまった。 幸いなことに、翌日には心療内科の予約が取れてうつ病で有る

    俺にもまだ人間の心が残っていた [追記あり]
  • 見せない時間が消える前に|角尾 舞 | Mai Tsunoo

    シェアの時代だという。誰も疑わないと思う。 一応書くと、シェアリングエコノミーの話題ではない。主にSNSでの発信について考えている。 多くの人が文章を書けばFacebookやnoteにあげ、写真を撮ればinstagramに投稿する。日常のなかの小さな非日常は共有が前提で、もはやそれが行為の主体になることもある。 わたし自身も重度のSNS依存であることは理解しているので、まったくそれを否定できない。観てよかった展示があれば、写真と感想とともにツイートしたり、インスタに上げたりしている。140文字にどうおさめるか、どこを切り取って共有するかまで考えながら観ている気すらする。写真禁止の展示があると、もはや安心するレベルである。 自分がそんな状態だから、ときどき「日記をつけている」とか「フォトアルバムを作った」とかと聞くと、なんとも言えないうらやましさがある。 文章に関していえば、「日記」と「手紙

    見せない時間が消える前に|角尾 舞 | Mai Tsunoo
  • デリヘル嬢に説教されるから生き方を変えたい

    風俗嬢に説教するおじさんというのがいるらしいけど、客に説教する風俗嬢というのも確かにいる。 仕事論から人生論へと話は続き、プレイ時間のほとんどが説教で占められる。 60分を90分にしたところでチンコをいじられる時間は変わらず、説教が延びるだけ。 昔から私は口下手で、聞き役にまわることが多かった。 学生時代やってたパート先でも先輩パートタイマーから仕事論や人生論を延々と語られた。 仕事終わりに先輩の奢りで飲み屋で聞かされるなら喜んで聞いただろう。 けれど仕事中にされていたからかなり迷惑だった。 話の内容は先輩がこれまで酷い目に逢ってきたこと、そしてこの先君も酷い目に遭うだろう、君は俺みたくなるなよという内容で、聞いていて辛かった。 先輩が“40代”で、“男性”ってところと私が“年下”だからこの関係になってしまったのだと思っていた。 しかしこれが40代女性に変わっても同じことが起こる。 雑談で

    デリヘル嬢に説教されるから生き方を変えたい
  • 人間の皮が剥げそうだ - シロクマの屑籠

    仕事が忙しくなり、社会的立場にもとづいて行動する場面が重なってくると、私は人間の皮が剥げて、来の姿が現れてきそうになる。 世の中には、ほとんど呼吸をするように「人間をやれる」人間と、そうでない人間がいる。 前者は生まれながら、正真正銘の人間といってもいい。最近は正常な人間と書くと誰かに怒られて定型発達と書くのが政治的に正しいのだそうだが、いわゆる発達障害抜きにしても、確かに定型的な人間というか、人間として振る舞う際や、社会的立場にもとづいて行動する際にペナルティ的なストレスやコストを支払う必要のない人というのは、いると思う。 言い換えれば、人間として振る舞う・社会的立場にもとづいて行動することに要するストレスやコストが少なめの人というか。 一方、私のようなそうでない人間もいる。人間らしく、現代人らしく振舞うためには努力が要る。ごく自然に人間をやっているのでなく意識的に人間をやっているとも

    人間の皮が剥げそうだ - シロクマの屑籠
  • 忘れられない初恋の人の名前を検索した話

    もう10年以上も前の話。 中学三年生の私には好きな人がいた。 発表が得意で、面白おかしく、周りの様子を伺ってはクラスの雰囲気を盛り上げようとする、そんな人を私は好きになった。 なんとなく、向こうから好意を感じる時もあったけれど、思春期真っ只中の私は何か行動に出るわけでもなく、ただただ席替えで近くになることを祈っていた。 サマースクールの話題で盛り上がる夏休み前、彼の口からはちょっと頭が良い学校の名前が聞こえてきた。 怠け者な私の内申点では厳しかった。同じ学校に通えそうになかった。 残念に思ったけど、進路で別れてしまうのは分かっていたから、悲しくはなかった。 特に行きたい学校がなかった私も、サマースクールに参加したことで、入学したい学校、入りたい部活を見つけることができた。 その学校はそこそこなレベルだったけれど、当時の私の実力では乗り越えなければならないハードルがいくつもあった。 夏休み後

    忘れられない初恋の人の名前を検索した話
    bhikkhu
    bhikkhu 2019/09/14
    ちょっと綺麗にまとまり過ぎなのでもっと鬱要素入れて欲しい所存
  • レンタル射精しない人|山下素童

    ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 『はじめまして。Twitterのプロフィールを見て連絡させて頂きました。レンタルさん...、とお呼びすればよいでしょうか? 美大で日画を専攻しております、ハルカと申します。突然、こんなことをお願いするのは大変恐縮ですが、ただいま大学のデッサンの課題でpenisを描きたいなと思っていまして、レンタルさんが自らのpenisを手で動かしているところを実際に会って見せて頂きたいのです。。。レンタルさんは、そういったお願いも受け入れて頂けますでしょうか? もし不快な思いをさせてしまったらごめんなさい。もちろん、謝礼はお支払い致します。お返事、お待ちしております。』 ハルカはベッドの上で布団にくるまりながら『レンタル射精しない人』というサービスをしている男性にTwitterでDMを送った。このお願い

    レンタル射精しない人|山下素童
  • 新婚旅行から帰った夜

    1週間ほどハワイ旅行に行ってきた。新婚旅行だ。 時差は19時間だが、実用的には5時間違うと思っておいて良い。 ハワイから日に戻るときは、5時間だけ昼間が長くなる。 飛行機の中では時差ボケ解消のために寝ずに起きていて、夕方に日についた。 余分な年休は取らずに明日から仕事だ。 新婚旅行に行かない/行けないカップルがいるのも知っている。行けるだけありがたいと思っている。 金はともかく、休みをもらえたのは当にありがたかった。 休みの間は、上司が代わりに働いてくれることになった。 「休みの間は一切仕事を忘れていいから」と言ってくれた。ありがとう上司。 行先は嫁の希望で決まった。 嫁は英語が一切わからないというので、多少なりとも日語が通じる場所が良かったらしい。 テレビでハワイのおすすめスポット紹介みたいなのを見るたびに、 どーせ楽しんでるのは撮影してるお前らだけじゃねーか、とかよく分からない

    新婚旅行から帰った夜
  • 下着を売っていたJKのブスが前向きになった話

    私の家で友達とお菓子を作った。2月13日、バレンタイン前日のことである。 もう夏だって?うるせえ書き溜めてたメモを発見したからいま投稿すんだよ。 私を入れて4人、その中の2人は数ヶ月前に彼氏ができたばかりだった。一人をAとしよう。 クリスマスイブに告白され、なんやかんやで後日付き合い、バレンタイン当日に彼氏の家に泊まりに行くというAとその彼氏を「イベントに乗っかりすぎじゃね?」とからかった。 私たちのグループはとても下品で、よく下ネタを話していた。ちなみに全員処女である。Aに彼氏ができてからはよく彼氏の下半身の話をよくした。まあ、有り体にいうとち◯このことだ。 わたし「一人で致す時でさえ指二も入らんのに、ちんこなんか入るのか?」 A「いやほんまにそれすぎる……しかもあいつ(彼氏)のブツはかなりでかいっぽいしどうしたらいい?」 わたし「普段でそれだと臨戦体勢になったらどうなるんや……」 身

    下着を売っていたJKのブスが前向きになった話
  • 喪女が死にものぐるいで恋活してホステスになった

    誰かから好きになってもらえたことが 一度もなく、 22歳で、処女だった。 当に当に当に焦っていた。 この年齢で処女であることに当に焦っていた。 当時、大学4年生の22歳で処女だった。 17歳くらいから「実はこの間彼氏と…」という報告を友達からされるようになり、 22歳になるころには当たり前に女子会でセックスの話題になることが増えた。 自分だけが知らない話題が頻繁に出ることに疎外感を覚えた。 自分自身はクソブスのインキャだけど、 友達とか所属してるゼミとかサークルとかバイト先とかの人は可愛い子ばっかりで 自分の親しい子の中には一人も処女がいなかった。 「えっ!?まだしたことないの?」 「22歳で処女は重いよ、早く卒業しちゃいなよ」 「初めては大事にしなよ」 たくさんの人から色々な意見をもらった。 セックスを経験している同い年の子や後輩が、自分よりずっとずっと大人に見えた。 「彼氏とH

    喪女が死にものぐるいで恋活してホステスになった
    bhikkhu
    bhikkhu 2019/06/17
    (一人の人生をちゃんと書いているので)なげぇ
  • 12年前に別れた彼女へ

    ウエエエエエエイ!!!!!!!!!! ウヒョウヒョヒヒョーーー!!!!!!!!!!!!! マジで嬉しいから書くわ! 34歳にもなって独身の俺だが、実は12年前の22歳のときに彼女という幻の存在がいたことがあるんだ。 お相手はマホちゃん(20)。当時入ってたよさこいサークルの後輩でタレ目で黒髪ロングで巨乳という童貞俺にとっては夢のような女の子! とくに好きだったのが暗い表情だ。 この世の終わりを23回は見ているに違いないというぐらい暗い。言葉の端からは「こいつは私より幸福だ」というふいんきがダラダラ溢れ出ていた。 俺は完全に一目惚れしてしまった。 ベラベラ過去を喋っていたところ、実はお互い両親に虐待されて児童相談所から養護施設にぶち込まれていたという過去まで一致! 意気投合してなんだかんだで付き合うことになった。あれほど施設送りの過去に感謝したこともなかったな。 当時、マホちゃんはいわゆるメ

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  • 胸が切なくなる増田文学5選

    増田文学の個人的な楽しみ方として、甘酸っぱい恋愛エピソードを掘り起こすというものがある。 アカウントが紐づけされてしまうSNSやブログでは小っ恥ずかしくて開陳できないようなエピソードでも、増田であれば気兼ねなく書くことができる。そのためか、何度も読み返したくなるような、読んでいてこちらまで胸が切なくなってくるような増田文学が眠っていることがある。 そこで、ブクマはそこそこ付いているもののもっと広く読まれてほしい、恋愛エピソード系の増田文学を5つ紹介したい。 評判イマイチなアニメ映画観たらピンポイント直撃をらい時が飛んだ中学生時代の切ない恋心と別れ。アニメ映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」と絡めて示される、まさかのラストエピソード。当時好きだった人をSNSを介して確認できてしまうのが現代社会。 書道教室のお姉さん書道教室に通う小学生の少年と、少し年上のお姉さんたちの関係を綴

    胸が切なくなる増田文学5選
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  • 同棲していた恋人が自殺した話 - fuwatoro2のブログ

    二年前、恋人が自殺してから私は長い長い退屈に襲われている。特に命日でも何でもないのにこの話をするのは暇だから。そしていつでも頭によぎるから。 彼が亡くなったのは8月14日。元々精神を病んでいた彼は5月に覚せい剤所持で逮捕、また6月に麻薬輸入容疑で不起訴になり二回目の出所をしてから、ずっと酷いと不眠症に悩まされていた。かかっていた精神科はヤブで有名でいまは院長がリタリン依存で自殺してなくなったと言われている黒い病院。ハルシオン、マイスリー、ロヒプノール、エリミン、ベルソムラ大量に飲んでいたけど朝まで眠れない日がよくあった。そして異常に体力がなかった。留置所で体力が落ちたって言っていたけど、の気力のなさだったんじゃないかといまでは思う。タクシー代で4万円使った日もあったし、1500円くらいのユンケルを一日最高6飲んでいた。 一番彼を追いつめていたのは2ちゃんねるだった。2ちゃんねるで叩か

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  • 超久しぶりに父と再会した。 - Everything you've ever Dreamed

    「プロダクトは消費されることが一番幸せなんだ」父がよく使っていた言葉だ。「地図に残る仕事」ほどキャッチーではないにせよ、ほとんど口癖のように言っていたものだから、僕の心に刷り込まれたようにずっとあり続けている。先日、父が書いたいくつかの論文を見つけた。40年前に「価値工学(VE)」について書かれた論文で、誰かがネット上にアーカイブしてくれたものらしい。工業デザイナーだった父は、スケッチや水彩画といった仕事に近いものだけではなく色々なことを僕に教えてくれた。サイモン&ガーファンクル、カーティス・メイフィールド、西部劇や戦争映画。それからバスキア。ピアノも学ばせてくれた。もう少しアカデミックなことを教えてくれていたら僕も大成したのではないかと恨み節のひとつでも言いたいところだ。しかし、サイモン&ガーファンクルの『いとしのセシリア』が流れていたあの書斎で、価値工学の論文をいくつも書いていたとは…

    超久しぶりに父と再会した。 - Everything you've ever Dreamed
  • REGAL2504 - ソレドコ

    文と写真 平民金子 ぼちぼち、子供が生まれて来る予定になっていて、相手は右も左も言葉すら理解出来ない未熟な存在なのであるが、「初対面の時に足元だけはきちんとお洒落しておこう」という気分になった。きっかけは特になく、近所のお好み焼き屋で焼酎を飲んでいた時に、とつぜん思いたったのだ。翌日になって、生まれて初めて百貨店の紳士売り場に行き、生まれて初めて革を買った。リーガル2504。それは発売されてから半世紀近くがたつ、何の装飾もない地味な黒いだ。昔から、履き物というのは100円で売られているイボイボのついた健康サンダルが実用的に一番だと考えていて、どこへ行くにも愛用していた身には、「革は最初にきつく感じるくらいの物を選んでおけば、そのうち自然と足に馴染んで履きやすくなっていきますよ」などという店員の言葉はまったくの異文化だった。 その日から、これまで締め付けられた事のない自由な足と、無骨

    REGAL2504 - ソレドコ