ウィーン、と小さく声に出してみると、それだけで華やかな響きがある。「音楽の都」とか、「芸術の都」とか、そうした枕詞が好まれる古都。 間違いではない。それらはウィーンの明白なアイデンティティだ。 しかし、百年単位で歴史をさかのぼると、べつの一面もたちあがる。 ウィーンは、セックスの都(ヨーロッパで最初に売春が公認され、王家や貴族もよく性病に罹患した。⇒加藤雅彦「図説 ハプスブルク帝国」 p.103)であり、犯罪の都(バラバラ殺人、偽札づくり、爆弾魔による無差別テロなどが横行した)であった。ガイドブック等では熱心に紹介されない出来事が、ここにはたしかに存在した。 要すれば往時のウィーンは、瘴気に満ちた不健全都市であった。でもそのおかげでエゴン・シーレのような天才が育った。無菌室から芸術は生まれないのだ。 「死の都」が掲げるウィーン中央墓地 ウィーンはまた、死の都でもあった。 シュテファン大聖堂