タグ

文化と雑学と江戸に関するblueribbonのブックマーク (5)

  • なぜ江戸幕府はオランダの高性能な消火ポンプを導入しなかったのか?(フレデリック・クレインス)

    いよいよ年の瀬。皆様にとって今年はどんな1年でしたでしょうか? 来年はオリパラもあり、大変にぎやかな年になりそうです。講談社現代新書も、変わらず「おもしろくて、ためになる」新書作りに邁進して参ります。 2019年最後の記事は『江戸の災害』を上梓されたフレデリック・クレインス氏による「江戸と消火ポンプ」についての解説です。消火ポンプは17世紀にオランダで開発され、江戸幕府に持ち込まれました。しかし、幕府はこれを拒みます。その理由とは? さあ、年末年始は火の用心! 私が日で経験した火事 2017年冬のある日曜日の早朝、私は自転車で出かけた。自宅は京都の路地街にある。大きな通りに出るまではいくつかの狭い小道を通り抜けなければならない。進むにつれて、次第に濃い煙りに囲まれるようになり、目の前がまったく見えなくなった。 「これは霧ではない。火事かもしれない」。そう考えて、来た道を折り返した。しばら

    なぜ江戸幕府はオランダの高性能な消火ポンプを導入しなかったのか?(フレデリック・クレインス)
    blueribbon
    blueribbon 2019/12/31
    「火消しは武士の名誉の文化を形成していた。町人のほうでも、火消しは皆の憧れだった。大名の火消しにとって、火との戦いは一つの戦闘行為として捉えられ、将軍への神聖なサービスでもあった。」
  • 江戸時代に「男女混浴」が平気だった理由 『欧米人の見た開国期日本』 | BOOKウォッチ

    ただちに類書がいくつか思い浮かぶ読者もいるだろう。『欧米人の見た開国期日――異文化としての庶民生活』 (角川ソフィア文庫)。幕末から明治初期にかけての日が、欧米人の目にどう映ったかを報じたものだ。 著者の石川榮吉さん(1925~2005)は人類学者。専攻は社会人類学。京都大卒。東京都立大で長く教え、『南太平洋物語―キャプテン・クックは何を見たか―』で毎日出版文化賞受賞。日民族学会会長(現・日文化人類学会)も務めた。書はかつて風響社から刊行された単行の文庫化だ。 テーマごとに再構成 類書と異なる大きな特徴は、書が上手な「まとめ」だということ。外国人が開国期間の日に関して記した体験記録は多数ある。書はそれらを軸に、「庶民生活」という視点から、テーマごとに再構成したところが新しい。 加えて著者自身が「文化人類学者」というのもユニークだ。オセアニアなど南太平洋を中心にフィールド

    江戸時代に「男女混浴」が平気だった理由 『欧米人の見た開国期日本』 | BOOKウォッチ
    blueribbon
    blueribbon 2019/10/15
    「1791年には、江戸での混浴禁止の町触れが出ているが、実効なし。改めて1869(明治2)年に東京で男女混浴が禁止され、90年に、数えで七歳以上の混浴禁止が布告されて、ようやくピリオドが打たれた。」
  • 江戸時代の物価表

    ※ 江戸時代の前・中・後期頃と平均貨幣価値の物価基準に基づいて換算します。 金 1両 = 金・銀 4分 = 金・銀 16朱 = 銀 60匁 = 寛永通寶 4千文 = 天保通寶 40枚 明治政府 旧金 1両 = 新 1円 = 金 1.5g ( 慶長大判 金 1両の 1/10 金含有量 )

  • 江戸時代って本当に良い時代だったのか?

    194 名前: カンパニュラ・サキシフラガ(愛知県):2009/06/04(木) 11:49:37.69 ID:IodiVF2m 落語聴いてるとかなり楽しそうに思えるから困る 3 名前: タツタナデシコ(愛知県):2009/06/04(木) 10:43:45.09 ID:SLK2sdKo エロゲーも2chも出来ない時代が良い時代な訳ねーだろ 8 名前: トリアシスミレ(三重県):2009/06/04(木) 10:44:32.56 ID:wnucw/u6 炉利嫁ができるだけで満足です。 461 名前: メギ(岡山県):2009/06/04(木) 14:07:00.67 ID:qRn6CIbq 総人口どれぐらいだったの 465 名前: タンポポ(九州):2009/06/04(木) 14:08:36.46 ID:F3jA6cwJ >>461 約三千万 13 名前: タツタナデシコ(東京都):20

    blueribbon
    blueribbon 2009/06/14
    「江戸時代のすごいところは完全リサイクル社会だったところ。人が消費したもののほとんどは再利用されてた。生ゴミ・糞便は畑の肥やしに、かまどの灰はアルカリ溶液として…」
  • 江戸散歩 混浴だった江戸の湯屋で「間違い」は起こらなかった?

    江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日が」始まった時代といっていい。 「日文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。 江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。 江戸時代には、庶民の暮らした貧乏長屋はもちろん、かなりのお屋敷に住む町民や下級武士の家にも、たいてい内風呂はなかった。自宅に風呂場をつくろうとすれば、専用の湯殿と井戸が必要だったが、江戸の町はもともと井戸水の出が悪かった。そのため、京や大坂に比べて江戸には湯屋が多く、江戸時代末期になると町内に一軒はあり、なかなか繁盛していた。 当時の湯屋は混浴で、町人や下級武士の娘も、職人たちと一緒の風呂に入っていた。混浴というと今では驚きだが、やはり江戸時代にも風紀上問題があるとして、寛政3年(1791年)には、いったん男女の浴場が分けられる。しかしその後は、

    blueribbon
    blueribbon 2008/08/31
    「板で囲まれた浴槽は、灯油皿に火が一つ灯っているだけで薄暗く、チカンが出るのも、もっぱらこの浴槽のなかだった。わざわざ手足を伸ばし、女性の肌に触れようとする男もいれば、 ... 」
  • 1