主にTwitterでお世話になった皆様へ:この文書は、復職後に、闘病中の記録を参照しながら少しずつ書いた体験記です。当初は書籍化を意識していましたが、長い間交流してくださった皆様への、私からの些細な恩返しになることを願い、この形で公開することにしました。 文字数は33,000字程度で、短めの小説に相当するボリュームです。個人的な体験に過ぎないとは思いますが、誰かにとっての何らかの価値を生むと良いです。季節は春に移り変わっています。春の訪れが皆様に良い風を運び、良い変化を起こすことを願っています。これまで交流していただき、ありがとうございました。 【序文】 新型コロナウイルスによって、命を落とした全ての死者に哀悼の意を表する。 【はじめに:この文書の目的】 私が新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に感染し、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)を発症したのは、2022年7月末のこ
偶然は、きらいですか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。 偶然はきらいですか、というブログタイトルを読んだ時、私は脊髄神経の早さでこう思った──「都合のいい偶然だけ持って来い」 あらゆるものを見通す弥勒菩薩の視点でみれば、この世には偶然はなく必然しかない。そういえば『HoLic』の侑子さんもそんなようなことを言っていた気がする。 しかし私たち人間は偶然に対して身構えることも、偶然をリスク回避の精神でマネジメントすることもできる。リンク先のいぬじんさんも、そうした偶然の管理に必ずしも否定的ではない。 簡単じゃないものを、できるだけ細かく分解して、なんとか制御してみようとする試みを否定する気はまったくない。 それが人類を発展させてきた。 一方で、よくわからないものを、よくわからないものとして扱って、その不確実性や偶然性を受け入れながら生きていくということも、同じくらい役に立つような気がする
ところてん @tokoroten なるほど、不安耐性とか、判断を保留する能力とか、抽象のまま取り扱って具象に落とさないでいる能力、って私が言ってるやつ、Negative Capabilityって言葉があったんだなー これが無いと、いきなり問題を解決しようとしてしまうので、問題そのものを議論できなくなる scrapbox.io/hotchemi/%E3%8… 2022-09-05 02:14:01 リンク scrapbox - hotchemi マネージャーとNegative Capability - scrapbox - hotchemi Negative Capabilityという概念を最近知った。詩人ジョン・キーツが提唱したとされている用語で「事実や理由を性急に求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」を意味する。対義語はPositive Capabilityで、所謂課題解決
ようやく弱者男性を抜け出せたかなと思っていたのだが、まったくそんなことはなかった。 俺のスペックはこんな感じ。 都内済み。35歳。彼女いない歴=年齢。高卒。年収は1000万ちょい超えくらい(給与所得&株収入)。 身長180cm。体型はマッチョや細マッチョではないが普通。顔は中の下くらい。 化粧水とかBBクリーム塗ったり、ワックスのつけ方勉強したり、それなりに容姿には気を遣ってるつもり。 20代の頃は吃音癖があったけど、矯正講座通ったり会社でしゃべる機会が増える内にだいぶ吃音も起きなくなってきた。 友達は少ないけど、長く付き合ってて定期的に連絡取り合う友人が10人くらいいる(全員男)。 個人的にはかなり努力してここまで来たつもりだったが、それでもマッチングアプリではまったくマッチしないし、マッチしても会うところまで行かない。 デートまで行けたとしても女性経験がなさすぎてエスコートがぐだぐだ。
最新版更新しました el-snow.hatenablog.com お久しぶりです Twitterでは生きていたのですが、体調が優れなくてBlogを書くまでに至りませんでしたが無事復活!! 今回はちょっとTwitterでなんとなくつぶやいた同じイヤホンの感想でも人によって異なる感想になる下記の件について補遺しておきたいと思います(ちょっと日本語変なのは気にしないでw) 同じイヤホンでも感想が違って聴こえる理由(仮説) ・接続するアンプ特性の違い ・聴く音楽の違い ・耳の形状(深さ、幅、凹凸、質感、毛)の違い ・イヤホンの個体差 ・ボリューム差 ・f特性形状の非線形性 ・聴覚の個性 ・イヤーピースの装着方法 ・聴く前の音の影響 ・体勢 ・雰囲気 ・気分、緊張— すのー🐈ゆるふわオーディオ™️ (@snow_el) 2021年2月28日 基本的には今までの経験をまとめただけなのですがある程度は
DTM、コンピューター音楽、デジタル音楽、ミックスに関する記事です。 今回は「上下と前後の定位」の話です。 私はこの領域については「本当に真剣に興味があるならやってみれば良いんじゃないかな?」「もう無意味だという結論になりつつあるけど。」という程度のものとしてしか扱っていません。 (picture: http://people.eku.edu/ritchisong/birdbrain2.html) (2023年8月13日更新) ■追記。三次元定位の未来 ■「俺は上下定位作れるよ」派のみなさまへ ■上下と前後の定位は半分オカルト ・語彙の問題 ・そもそも人間の耳は上下認知が弱い ・多スピーカーでは明確に定位して当然 ・前後定位 ・2人のトランペット奏者 ・表現の相対性 ・昔の遠近法メソッド ・映像、絵画の遠近法 ・錯視 ・強烈な錯覚 ■バイノーラルの限界 ・なんちゃってバイノーラル ・ダミー
だから仏教嫌いなんだよな 脅しなんだよな。そして語ってる奴がたいていウエメセ。 「私は知っている」という立場で話すから。 「俺、この世の仕組み見抜いちゃってるんで」って奴 だから説法垂れたり、掲示板に言葉書いちゃったりする 座禅で肩を棒で殴ったりもする なんなんあの人たち 世の中の役に立ってる面もあるけど、証明できないものを信じてる時点でヤバい奴らなんだよな そんなのに頼ってどうすんだって感じ 仏教をほわっと信じてる奴が多い日本で言ってもたたかれるだけなんだけどさ 仏教は害悪だと思ってるよ 49日なんてないよ、根拠ないじゃん 戒名も意味不明 原始仏教もなんだあれ、なんであれを集団でやるんだって感じ 徒党を組まずに1人でやるか、せめてサークルみたいに軽くやれよと思うわ 俺も自分の中に仏教的な教えが小さい頃に組み込まれちまってるから、大人になっても困ってるんだわ 洗脳だよこれ 宗教二世どころか
時折、うちのインターネットの観測範囲内には「風呂と戦っている」「風呂との戦いに勝利した」といったメッセージが流れてくる。世間で「風呂は命の洗濯」などといわれるのをよそに、風呂を戦いの対象とみなし、一定の労力というかヨッコラショ感を伴ったかたちで風呂に臨む人たちが存在している。 入浴のできるできないは、一応、精神医療とも関係のある問題ではある。 たとえばうつ病や統合失調症など、精神疾患が一定以上に具合が悪くなると、それまでは楽しみにしていた入浴が億劫になったり後回しになったりすることがある。もともと入浴に抵抗が無かった人が入浴困難になっている時には、なんらか精神疾患が伴っていて、それも結構な具合の悪さになっていることを疑ってみてもいいと思う。 しかし入浴できない人=精神疾患がめちゃくちゃ具合が悪くなっている人、と決めつけるのも早合点だ。実際、そういうわけじゃないのに入浴が苦手な人も世間にはい
こんにちは、ego@離婚協議中(@ego_929)です。 義実家バトル編③の続きです。前編で「義父がやばい」とたくさんの方に言っていただき、やっぱりやばかったんだなと実感しました。引き続きイライラする話ですが、どうぞよろしくお願いします。 (1番最初の話:発覚の経緯から読まれる方はこちらからどうぞ!) ありがたい説教実家を奇襲すると言い出したり、離婚の期限を定めてみたり、証拠を消すように命令したりと言いたい放題の義父は、話を続ける内にだんだんヒートアップしてきていた。 しかし、ぶち上がるテンションとは裏腹に、事件についてしっかり調べていない故に手札がどんどんなくなってきたようで、「えーと、えーと、あれだよあれ!」と繰り返しながら私を言い負かすネタを探しており、私は黙ってそれを聞いていた。そして、義父はついに不倫ネタを諦め、私の人格を否定する説教モードに突入していったのだ。 義父「あのねえ、
こんにちは。ライターの斎藤充博です。国家資格をもった指圧師でもあります。 実は最近引越しをしたばかりなのですが、引越しって本当に大変ですよね。 荷造りから始まり、当日の立ち合いや移動、引越し後の荷解き……どれも結構な重労働です。 引越し当日の運搬作業は引越しスタッフの方が行ってくれるとはいえ、その他の作業は、荷造り・荷解きを任せるプランを選ばない限り、基本的には自分たちで行うことになります。これでは、せっかくの新居で新しい生活が始まるというのに、ワクワクするよりもまず体がくたびれてしまう人も多いはず。 そこで今回は「体が疲れにくい引越しのコツ」をイラストで紹介したいと思います。僕は指圧師として「体が疲れにくい動き」を指導したり、本にまとめたりしていますが、その「引越し版」です。 これから引越しを控えている人も近い将来に引越しを考えている人も、ぜひ参考にしてみてください。 まずは荷造りの中で
https://anond.hatelabo.jp/20220720134218 この増田に対する反応を見て思ったのだけど、みんな子供の性欲について真面目に考えているのだろうか? そもそもエロ漫画の問題なのかまず気になったのはエロ漫画以外で同様の事が起こった場合をどう考えているのだろう?と言う事だ。 仮面ライダーや戦隊ものや鬼滅の刃等の真似をして暴力を振るう子供が居た場合、同じリアクションなんだろうか?(つまり、仮面ライダーや戦隊ものや鬼滅の刃をゾーニングまたは規制しろ、と?) もしそうなら徹底しているし一貫性が有ると思うが、残念ながらそういう意見はあまり見ない。 という事は大多数は この程度の被害(被害者にとっては甚大)は仕方ないとして擁護 するのだろうか? 当たり前だけど、そういう暴力も性的な嫌がらせ同様、被害者にトラウマや精神的なダメージを残す。それらを「仕方ない」と思うのか、まずは
ゆうべ、文章をなにも書かなくなった夢を見た。無気力な、何をすればいいのかわからなくなった未来の自分が、消極的に、もっと本業に取り組むかと呟いているのが物悲しかった。もちろんこんなのは本業に精力的に取り組む人々には当てはまらない、私の文脈内部にしか当てはまらない物悲しさだ。私は人生の半分以上、文章を書きながら生きてきた。だからなにも書かなくなった自分とは、人生の荷物の大事な部分を落としてきた自分のように思える。 年を取るということがわからなくて、年を取るということを少しでも知って、うまく立ち回りたくて、不安を軽減させたくて、私は努めてきたつもりだった。だというのに今の私は書くことがわからず、年を取ることもわからなくなっている。精神疾患になっているとは思わないが、いつ頃からか、迷いの季節に突入したな、と思う。 思えば30代後半〜40代前半は、自分の立ち位置と立ち回りのうえで便利な時期だった。も
統一教会ネタにいっちょ噛みしたいのでプロテスタント系大学での統一教会の扱いについて説明するよ。 https://anond.hatelabo.jp/20220710130132 因みに日本のミッションスクールはイエズス会の作った上智大などの少数を除いて、殆どがプロテスタント系だ。これはプロテスタントの方が伝道師の資格が得やすいというのと、アメリカの影響を受けているからだ。 プロテスタント校では統一教会は絶対敵認定 日本の多くのプロテスタント教会は統一教会と戦っているので、そのミッション校である大学では統一教会の活動ははっきりと禁止されている。「信教の自由」みたいな微温的な言い分には完全に聞く耳を持たない。 特にピリピリしているのが学内での勧誘や原理研の偽装サークルを通じたオルグで、入学時のオリエンテーションでかなりの時間を掛けて注意を受ける。 もし学内での勧誘が発覚したらかならずこうする、
コロナになってから聞いた中で最も興味深かったのは潜水艦の元船長の方の話だった。ずっと家の中にいるという状況を閉鎖空間と捉えると、潜水艦の乗組員の方がそのエキスパートなのではないかと思い話を聞いた。学びがある話がとても多かった。 潜水艦は音を立てると相手に位置を特定されてしまうために、乗っている間は基本的に音を立てないように過ごすそうだ。会話もなるべく小さな声で行う。1日24時間という概念ではなく一サイクル18時間で、6時間勤務、6時間自由、6時間睡眠でグルグル回すそうだ。 一度海に出ると一ヶ月程度潜っている。ストレスを解消する上で重要だったのは食事と、それから映画だったそうで、特に映画はヘッドフォンをつけ何かに没頭する体験が精神安定を保つ上でよかったらしい。少し前の話だと言われていたから今であればゲームなども入るだろうか。 興味深かったのは、一番大切な事はそもそも潜水艦乗りに向いていない性
『NEEDY GIRL OVERDOSE』をプレイしていると、薬物や精神障害をとてもカジュアルに扱うことへの違和感が拭えなかった。一言でいうと本作の精神疾患と服薬の取り扱いは不適切で、精神疾患を患う者を見世物として描いているからだ。 見世物にされる “精神を病み、薬を飲むかわいい女の子” 『NEEDY GIRL OVERDOSE』はWindows XPを模したOS「Windose20」という疑似パソコンのデスクトップで、主人公の「あめちゃん」を “インターネットエンジェル”という超有名配信者に仕立てるべくパラメーターを管理しながら多様なコマンドを選択していく育成シミュレーションゲームだ。 本作は話題の作品だが、ただ絶賛されてよい内容ではない。違和感を持つプレイヤーも確かにいる。私自身ここまで強く感じるのも、自分が双極性障害を患っているからだ。私だけではなく、半同棲中の婚約者もまた心の病を抱
1996年にインターネットに出会ってもう25年以上経ってるってそんなことあります?(あります) 40代の自分語り(雑)、せっかくインターネット黎明期(の中では遅い方)にインターネットを始めた者としては、細々書いていきたいのです。先人がいない分野なので。役に立たなくても書き残したい。 というかこのへんの話題、観測するメンツが似てきているので、もっといろんな人の文章を読みたい。みんなどこで書いているの。自分の人生に飽きたくない - インターネットの備忘録 が、去年46歳になった時にそのあたりを書き切ってしまったのです。 toya.hatenablog.com この時に感じた清々しさは目に見える形では保管しておくことはできなかったけど、思い返すことはできる。40代半ばでもこんな気持ちになれるんだ、というのは私にとってはかなりのインパクトでした。インターネット活動をしていると、40代以降は「老害」
このあいだ編集者の人と原稿の打ち合わせをしていたのだけど、いいアイデアが全く出てこなかった。 若い頃は人生の中で面白いことやワクワクすることがたくさんあったから、感じたことをそのまま書いていけばよかった。だけど、40代に入ったくらいから、心が動くことがあまりなくなってしまった。そうすると何を書けばいいかわからなくなった。若さの終わりを感じる。もう、自分に書けることはなくなってしまったんじゃないだろうか。 そんなことを思ったままに話すと、編集のTさんは「では、そういう気持ちをそのまま書くのはどうでしょうか」と言った。 「過ぎ去った若さについて書くとしても、50代になってから書くと、もう完全に枯れきった感じの遠い目線になってしまうと思うんですよ。でも、40代初めの今ならまだみずみずしい喪失感を書けるんじゃないでしょうか」 確かに、それはそうかもしれない。それは今しか書けないことな気がする。 4
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