フランスのガブリエル・アタル教育相は27日、一部のムスリム(イスラム教徒)女性が着る、ゆるやかに全身を覆う「アバヤ」について、公立校での着用を禁止すると発表した。9月4日の新年度から規制を適用するとしている。
フランスのガブリエル・アタル教育相は27日、一部のムスリム(イスラム教徒)女性が着る、ゆるやかに全身を覆う「アバヤ」について、公立校での着用を禁止すると発表した。9月4日の新年度から規制を適用するとしている。
フランス国籍を取得した元日本国籍の女性が、フランスの県議会選挙に“極右政党”から出馬するというニュースが、今年の4月末、フランスメディア「actu.fr」などで報じられました。日本出身の女性が国籍を変えて外国で政界に挑むというだけでもびっくりしましたが、移民反対のイメージが強い「国民連合」からの出馬ということにさらに驚きました。どのような経緯で出馬に至ったのか、その思いをご本人に直接伺いました。 【写真2枚】自身が移民であるからこそ、フランスの移民政策に疑問を呈する *** 「政治には、もともと特に興味はなかったんです」 と語る女性の名は、犬飼敦子さん(58)。パリ市内の国立中学校で日本語を教える正規の教員です。出身は東京・新宿区だそうです。 「フランスに行きたいというのは、5歳くらいの頃から言っていました。でも、なぜなのかは分からないんです。親がフランスに関わる仕事をしていたわけでもない
仏パリのソルボンヌ広場で、サミュエル・パティさんの国葬の中継をみるために集まった人々(2020年10月21日撮影)。(c)Bertrand GUAY / AFP 【10月22日 AFP】イスラム教の預言者ムハンマド(Prophet Mohammed)の風刺画を授業で見せたことを理由に殺害されたフランスの歴史教師サミュエル・パティ(Samuel Paty)さん(47)の国葬が21日、パリのソルボンヌ大学(Sorbonne University)で営まれた。エマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領は弔辞で、「われわれは風刺画をやめない」と宣言した。 マクロン氏は、同国の最高勲章「レジオン・ドヌール(Legion d'Honneur)」をパティさんに授与。弔辞では、パティさんはフランス共和国の世俗的、民主的な価値観を体現したことで「臆病者たち」により殺されたと述べ、「彼は私
仏パリ近郊コンフランサントノリーヌの、教師が殺害された学校の入り口に供えられた花の前に立つ人々(2020年10月17日撮影)。(c)Bertrand GUAY / AFP 【10月18日 AFP】仏パリ郊外で16日に首を切断され殺害された歴史教師のサミュエル・パティ(Samuel Paty)さん(47)が、授業中にイスラム教預言者ムハンマド(Prophet Mohammed)の風刺画を生徒に見せたことをめぐってオンライン上で脅迫を受けていたことが分かった。同国の対テロ検察当局が17日、明らかにした。 対テロ検察官のジャンフランソワ・リカール(Jean-Francois Ricard)氏がテレビで放送された記者会見で明かしたところによると、ある女子生徒の父親は、パティさんが表現の自由に関する授業を行った後、パティさんの免職を求めオンライン上で「結集」を呼び掛けていたという。 この父親と、有名
仏パリ近郊コンフランサントノリーヌで、教師が殺害された現場近くで警備に当たる警察(2020年10月16日撮影)。(c)ABDULMONAM EASSA / AFP 【10月17日 AFP】(更新)仏パリ郊外で16日、男が男性教師の首を切断し殺害する事件があった。警察は容疑者の男を射殺。中学校の歴史教師を務めていた男性は最近の授業で、イスラム教の預言者ムハンマド(Prophet Mohammed)の風刺画を見せていた。エマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領は「イスラム過激派のテロ攻撃」だとの見解を示した。 事件は同日午後5時(日本時間17日午前0時)ごろ、パリ西郊コンフランサントノリーヌ(Conflans Saint-Honorine)の学校近くで発生。捜査関係者によると、学校付近に不審人物がうろついているとの通報を受けて出動した警察が、男性の遺体と、近くでナイフのよ
フランスのマクロン大統領は1日、2日付の風刺週刊紙シャルリー・エブドが、かつてイスラム教徒の反発を招き2015年の同紙本社襲撃テロのきっかけとなったイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を再掲載したことをめぐり「フランスには冒涜する自由がある」と表明した。 訪問先のレバノン・ベイルートで記者会見したマクロン氏は「報道の自由があり、大統領は編集の決定に判断を下さない」とした上で、会員制交流サイト(SNS)を例に挙げ「表現の自由には憎悪を唱えないようにする義務もあるが、風刺は憎悪ではない」と述べた。 シャルリー・エブドは同テロをめぐる公判開始に合わせ、デンマーク紙が05年に掲載し、シャルリエブドが06年に転載した12の漫画などを再掲載。風刺画が原因でテロが起きたことを「伝える義務」があるとして、言論の自由を貫く姿勢を訴えた。(共同)
「尊い・・・」ってなる、という記録が実際残されている。 記録を残しているのはゴベール・ティボーという準騎士で1429年三月二十二日、神学者のピエール・ド・ヴェルサイユの共としてジャンヌ・ダルクと面会したことがある人物である。彼はのちに兵士たちに率直に尋ねてみたのだそうだ。「お前らジャンヌ・ラ・ピュセルと一緒にいてムラムラしないの?」と。そしてそのやり取りを以下の通り書き残した。 「軍隊においては、彼女はいつも兵士たちと行動を共にしていた。ジャンヌと親しかった者の多くから直接聞いたことだが、彼女に対して彼らが肉欲を感じることは金輪際なかったという。それはどういうことかというと、彼らが彼女に欲情を抱くことはままあったにせよ、どうしてもそれ以上の挙に出ることはできなかったので、彼らは彼女を欲望の対象にすることは不可能だと信じこむようになっていた。仲間同士で、肉欲を満たし、快楽を刺激するような話を
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