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映画とキリスト教に関するh5dhn9kのブックマーク (2)

  • 映画「沈黙 サイレンス」に便乗してキリスト教入門を語ってみる

    映画「沈黙‐サイレンス‐」がそこそこ流行っているみたいなので、便乗して「映画を見に行きたいけどキリスト教については何にも知らねーよ」という人に向けた「キリスト教とは」みたいな文章を書いてみたいと思う。 私自身は某プロテスタントの家庭に育った人間なので、どうしてもその宗派に寄った解釈というかバイアスは避けられないと思うけど、今回は可能な限りキリスト教の最大公約数を目指して当たり障りのない範囲で解説をしていきたい。 ちなみにタイトルは半ば釣り。「沈黙」はカトリックがベースの話なので、どこまで私の話が参考になるかは分からない。 私自身、原作は読んだことがあるけれど、まだ映画館には足を運べていないので、その点は事前に了承しておいてもらいたい。 ポイント1 神様が世界をすべて作ったキリスト教の神様は全知全能。ミスも犯さないし、世界のすべてを知っているし、できないことも何もない。で、そんな神様が「光あ

    映画「沈黙 サイレンス」に便乗してキリスト教入門を語ってみる
  • 映画「沈黙」はノンクリスチャンにとってどんな意味を持つのか

    前回は、クリスチャンにとってこの「沈黙」をどう受け止めるべきかについて解説した。今回はその続きで、ではほとんどキリスト教的素養のない方々、すなわちノンクリスチャンにとってこの映画は、そして遠藤の作品はどのような意味を持つのだろうか。 まず何といっても、巨匠マーティン・スコセッシの最新作というだけで心踊る方が多いと思う。バイオレンスと宗教性を見事にミックスさせるその手法は、数々の映画賞がそのレベルの高さを証明している。確かに2時間40分、全く飽きることなく画面に吸いつけられる体験は、至福のひとときと言えよう。 また、日の俳優たちのプロフェッショナルな演技も見ものである。特にイッセー尾形!こんな暗く重苦しい作品の中で、最も邪悪な役人を演じながら、場内からは彼の言動に笑いが漏れていた。笑わせておいて、ドスンと重たいセリフを吐くその芸達者ぶりは、もしかしたら当にアカデミー助演男優賞をゲットする

    映画「沈黙」はノンクリスチャンにとってどんな意味を持つのか
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