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社会主義と思想史に関するhhasegawaのブックマーク (10)

  • ナチスの思想家を尊敬する中国の「御用学者」たち─習近平の「独裁」を全力応援 | 香港の「国家安全法」施行でも暗躍

    北京航空航天大学法学院の准教授、田飛龍(37)。香港国家安全維持法を支持する体制派で中国政府の「御用学者」のひとり Photo: Giulia Marchi / The New York Times

    ナチスの思想家を尊敬する中国の「御用学者」たち─習近平の「独裁」を全力応援 | 香港の「国家安全法」施行でも暗躍
    hhasegawa
    hhasegawa 2020/09/06
    いまどきシュミットを単に「ナチスの思想家」と言ってしまう日本版タイトルの問題。彼の戦後の毛沢東評価(『パルチザンの理論』)やマオイストとの交際からして、中国共産党に歓迎されない方がおかしいともいえる。
  • アントニオ・グラムシを知っていますか(「加瀬英明のコラム」) - 東アジア歴史文化研究会

    平成の最後となる新しい年が、明けた。 いつものように、八百万千万様(やおろずちよろずさま)に感謝したうえで、屠蘇を酌みながら、色鮮やかな御節にしばしみとれた。 このような親から子へ受け継がれてきた慣習が、日を日たらしめてきた。 祖母や父母が、初(はつ)明り、元旦の空の色を初茜(はつあかね)、年が明けて初めてべるものを初物(はつもの)、はじめての入浴を初湯(はつゆ)、はじめて見る雀を初雀、鳥の声を「あ、初声(はつごえ)だ」や、初買いといったものだった。 母が初化粧、初髪、はじめて着物に袖を通すのを初袷(はつあわせ)というたびに、子供心にすべてが改まるのだと思って、心が引き締まった。 三賀日には、友人たちが家にいても退屈なのか、年賀に訪れてくれた。それでも、年が改まってはじめて会う初会(はつえ)だから、清々(すがすが)しい。 もう3、40年になるか、このところ新年が新年らしくなくなった。

    アントニオ・グラムシを知っていますか(「加瀬英明のコラム」) - 東アジア歴史文化研究会
    hhasegawa
    hhasegawa 2019/06/19
    「歴史戦」で有名な日本会議代表委員の重要な指摘。拙訳書の読者ならピンとくるはず。「グラムシは、トランプ政権の『アメリカ・ファースト』、アンチ・グローバリズムのイデオローグの教本となっているといわれる」
  • 言説の土壌 - 過ぎ去ろうとしない過去

    「安倍政権を倒したいならば、左派は経済を語れ」 これが、ネット上において国政野党に票を集めようとする運動のスローガンになって久しい。もちろん、野党が経済政策を充実させ、活発に支持を訴えることについては、大いにやればよいと思う。しかし2点ほど引っかかることはある。まず1つ目は、野党および左派はすでに経済について語っているということである。その状況についてこうしたスローガンをとなえるのは、左派は経済的に無策であるという右派・与党のプロパガンダへの加担ではないか。これは、すでに参議院選挙の1人区での一化など野党共闘が進んでいるにも関わらず「野党はバラバラ」だと批判する野党支持者にもいえる。 2つ目は、そもそも与党も経済を語ってはいないのではないか、ということである。与党は、財界や資産家や投資家を喜ばせるような政策について語っている。しかしそれは経済を語っていることにはならない。2012年の政権

    言説の土壌 - 過ぎ去ろうとしない過去
    hhasegawa
    hhasegawa 2019/06/18
    左派は短絡的な支持の獲得に躍起になるより「陣地戦(グラムシ)」=「メタ政治(欧州新右翼)」に学んで有利な政治的土壌を長いスパンで醸成せよ、という議論。付言すれば、日本会議の成功要因もそこにあったはず。
  • 「富」なき時代の資本主義 マルクス『資本論』を読み直す (いま読む!名著) 書評|沖 公祐( 現代書館)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

    〝変わったタイトルの〟というのが第一印象だった。資主義は、富の分配には問題を抱えるものの、富を次から次へと生み出すシステムであることは、あまり疑われることがない。それが「「富」なき時代」と形容されるのはどういうことなのか。書を読み進めていくと、資主義と富の関係は、そこまで単純でないことに少しずつ気づかされていく。 書によれば、「『資論』は「富」に対する透徹した眼差しに貫かれた書物である」(二三頁)。富と言えば、経済学の古典としてはむしろ、アダム・スミスの『国富論』が思い浮かぶ。そこで書は、両書を対比し、富の概念の輪郭を切り出していく。 スミスの富は、日々消費されていく日用品に代表される。そして、余分なものが出ない社会を、スミスは理想状態として描いた。これは、貨幣をはじめとする貯えを富とみた、当時の重商主義に対するアンチテーゼとなっている。それに対してマルクスはそれを再転換し、

    「富」なき時代の資本主義 マルクス『資本論』を読み直す (いま読む!名著) 書評|沖 公祐( 現代書館)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
    hhasegawa
    hhasegawa 2019/03/25
    江原慶氏の沖公祐『「富」なき時代の資本主義』書評。「現代資本主義の根本的な問題は、富の分配ではなく、資本が富を生み出せないところに求められる。」肩書が「マルクス経済学者」ではなく「翻訳家」の理由は謎。
  • 第1回 躁転したマーク・フィッシャーとしてのオルタナライト

    左翼が来持っていたダイナミズムが失われて久しい。いまや自壊した左翼は「大同団結」を唱え、そのための合言葉を探すだけの存在になってしまった。怠惰な団結をきれいに分離し、硬直した知性に見切りをつけ、横断的なつながりを模索すること。革命の精神を見失った左翼に代わって、別の左翼(オルタナレフト)を生み出すこと。それがヘイト、分断、格差にまみれた世界に生きる我々の急務ではないか。いま起きているあまたの政治的、思想的、社会的事象から、あたらしい左翼の可能性をさぐる連載評論。 「資主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい」[1]とマーク・フィッシャーは書いた。 いまや資主義だけが唯一可能な政治・経済的制度だとみなされ、それに代わるオルタナティブは想像することすらできない。そのために深刻な無力感と文化政治的な不毛さが広がり、わたしたちは「再帰的無能感」[2]に襲われている。うつ病をはじ

    第1回 躁転したマーク・フィッシャーとしてのオルタナライト
    hhasegawa
    hhasegawa 2019/02/19
    「資本主義を加速させれば、資本主義は終わることになる。ゴーン、と鐘が鳴るわけだ」資本主義の果てに黙示録的な世界を待望するオルタナライトを否定的媒介に「オルタナレフト」を目指す新連載だそう。今後に期待。
  • 浅田彰と資本主義 赤い文化英雄(前編) - 批評集団「大失敗」

    トリックスターとは、あるコミュニティにおいて、「中⼼」的な地点が弱体化した際に、それを盛り上げるものとして登場する「周縁⼈」のことである(⼭⼝昌男「⽂化と両義性」)。中⼼と周縁の関係は常に両義的で、周縁という他者がいることによって、⾃⼰としての中⼼が確⽴する。⼀⽅で「異⼈」としての周縁⼈もまた、中⼼が存在しなければ「異⼈」たりうることはない。浅⽥彰は、この意味で正しく「トリックスター」であった。 周知のことだが「トリックスター」を定義した山口昌男は思想的に新左翼のイデオローグであった津村喬と似た立場に立っていた存在である。山口昌男の思想的なバックボーンを見たとき、そこにあるのは林達夫の精神史的なモチーフから遡行して作り出される新左翼の文化闘争である。その山口に影響を受けたバブル期のトリックスター=文化英雄というべき浅田彰もまた、かかる左翼の思想史を前提にした存在であると考えるべきであろう。

    浅田彰と資本主義 赤い文化英雄(前編) - 批評集団「大失敗」
    hhasegawa
    hhasegawa 2018/10/18
    ここで分析される共産主義への態度は、文学史的にはロマン派的なもので(彼が否定的意味で「ロマン主義」と言うのは自己韜晦であろう)、川村二郎や種村季弘ら独文学者を高評価する姿勢にもつながるように思われる。
  • <ポスト68年>と私たち 書評|市田 良彦(平凡社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

    一九六八年を五〇年後の今日において懐古することに何の意味もない。しかし、そこで生起した思想的あるいは運動的な事件が、今なおどのように現在を規定しているかを考えることには、それ相当の意味がある。書は二〇一一年に京大人文研を共同研究拠点として始まった「ヨーロッパ現代思想と政治プロジェクトの成果である前著『現代思想と政治――資主義・精神分析・哲学』(二〇一六年)を承け、同じ編者によって、その続編として刊行された。言うまでもなく、前著あるいは書のなかでも用いられる「現代思想」とは、いわゆる「六八年の思想」とも言われるものである。 二著を貫くモティベーションを端的に象徴するのは、書のタイトル「〈ポスト68年〉と私たち」が示しているように、その共同研究がおおむねポスト68年世代に属する、アカデミックな研究者たる「私たち」によって担われているということだが、同時に、日の六八年にも多大な影響を

    <ポスト68年>と私たち 書評|市田 良彦(平凡社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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    hhasegawa 2018/06/03
    「アカデミズムや主流ジャーナリズムにおいては、六八年は、それを色濃く特徴づけていた『暴力の暗雲の向こうに別の〈68年〉を見いだそうとする』傾向」「受け継がれる市民運動の創世こそを内実とする〈68年〉」
  • カネがなくても、恋も、好きな仕事も、ぜんぜんあきらめなくていい! | 最注目の政治学者、栗原康が特別寄稿

    家庭をけとばせ、結婚制度はいらないんだ ありがたいことに、拙著『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』を紹介する機会をいただいた。 書は、100年前のアナキスト、伊藤野枝の評伝なので、かんたんに野枝がどういうひとだったのかを紹介させていただこう。 いまアナキストといったが、もしかしたらなにそれというひともいるかもしれないので、さいしょにいっておくと、アナキズムというのは、語源からいうと「いかなる支配もうけない状態」のことを意味している。 ようするに、だれにも支配なんてされないぞ、上からやいやいいってくるやつがいたら、ぶん殴ってでも、それを拒否してやるぞというのがアナキストだ。 やりたいことしかやりたくない。自分のやっていることが、国家や社会の役にたっているかどうかとか、それがカネになるかどうかとか、そういうのはまったく関係ない。 まわりの評価なんか気にせずに、おもうぞんぶん好きなことをや

    カネがなくても、恋も、好きな仕事も、ぜんぜんあきらめなくていい! | 最注目の政治学者、栗原康が特別寄稿
    hhasegawa
    hhasegawa 2016/05/16
    アナーキスト的発想への違和感を再確認した。ここで称揚されている伊藤野枝の低収入下の生活も人間関係的「有能」さ(互助・共助!)の産物であり、資本主義批判をしたつもりで親和性の高さを証明したオチになる。
  • 天皇制の隠語(すが秀実) - KAZUO NAKAJIMA 間奏

    天皇制の隠語 作者: スガ秀実出版社/メーカー: 航思社発売日: 2014/04/21メディア: 単行この商品を含むブログ (9件) を見る 一言でいえば、最近の著者は、『吉隆明の時代』、『反原発の思想史』と、(広義の)アナーキズムの蔓延に対して、ボルシェビズム、すなわち「党=普遍性」の復権を追究してきたといえるだろう。 例えば、『白水社』の連続インタビューにおいても、 http://www.hakusuisha.co.jp/topics/taisho/suga01.php 「アナに比べて、ボル的なものはどうも日に合わないのではないか」という問いに対して、著者は次のように答えている。 それは、3・11を過ぎても変わらない68年以降の「気分」ではないでしょうか。丸山眞男は、「日の思想」の「精神的雑居性」を原理的に否定し、「世界経験の論理的および価値的な整序を内面的に強制する思想」たり

    天皇制の隠語(すが秀実) - KAZUO NAKAJIMA 間奏
    hhasegawa
    hhasegawa 2014/06/09
    「ボルシェビズム、すなわち党=普遍性の復権を追求」三十年代の世界的文脈を考えると、もう一つ教会をイコールに加えた見取図が描けると思われる。例えば『魔の山』ナフタにおけるイエズス会と前衛党の奇怪な結合。
  • 真理省の仕事

    やねごん(オリンピック反対) @yanegon 大月書店で思いだしたんだけど、20年以上まえにこの出版社が出してる『共産党宣言』を買ったことがある(奥付をみると、1988年の第58刷とある)。買ってきてページをめくってみたら、へんな紙がはさまってた。 http://t.co/F9kHKIRRkH 2014-05-16 23:44:55

    真理省の仕事
    hhasegawa
    hhasegawa 2014/05/18
    「独裁」がスターリンを連想させる以上に日本語の「執権」は鎌倉北条氏を喚起するので、結局は対立者を大粛清することには変わらないというオチになり、かくして改変の結果は収斂したのであった。めでたしめでたし。
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