この本が、架空の本の序文集という変わった形式で出たことは、ある意味で不幸だった。ある意味で幸福だった。不幸というのは、この形式についての話題ばかりが先走って、その中身についてはあまり話題にならなかったこと。幸福というのは、この本の形式だけ見て喜んでいるバカでも、その形式につられて一応はこの本に目を通したこと。とはいえ、どうせ目を通してもわからないなら同じことかな。 形式だけ見て喜んでいる典型が、本書の日本語版にしようもない序文をつけている梅草甚一。「あるだけ」外郭団体の中でも最右翼の日本挨拶学協会(でも虎ノ門七丁目のオフィスと受付ねいちゃんはゴージャスでいーぞ)の、「いるだけ」役職最右翼たる会長などという、空気以下の存在に甘んじている人物に何を期待してもアレだが、あなたたちはこれを読んで、本気で「言葉遊びの側面」などというくだらないことしか読みとれなかったのか。そりゃ訳者は苦労しただろう。