医者という仕事をしていると、主治医から「これ以上は有効な治療がありません」「治癒を目標とした治療戦略を立てるのは困難です」などの病状説明を受けた患者さんやご家族、あるいは近しい方が、代替医療や補完医療の「ナントカ療法」の可能性を模索するという構図をしばしば目にすることがある。 「ナントカ療法」を模索してしまう心情は理解の範囲外のものではない。キューブラー・ロス著「死ぬ瞬間」によれば、人が死に直面した際には「否認(自分が死ぬなんて嘘だろ)」→「怒り(なぜ死ぬのが自分でなければいけないのか)」→「取引(死なずにすむ方法はないものか)」→「抑うつ(何もする気が起きない)」→「受容」のプロセスを辿るとされる。「ナントカ療法」を模索するのは文字通り「取引」のステップの一形態であり、何ら特別なことではない。 近しい人と死に際の時間を共有する経験などというものは、多くの人間にとっては極めて限定的なものだ