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記憶に関するmurashitのブックマーク (8)

  • (59)ウェンディもそうする - キッチンに入るな

  • アニメと記憶の考古学 - オネミリエ

    17年ぶりくらいに最終兵器彼女を読み返した。たぶん前に読んだのはエロゲーを始めたか始めないかの頃くらいで、キスやエッチの描写がまだ物珍しくてドキドキしたことを覚えているが、話はだいぶ忘れてしまっており、細かい部分などをあれこれ楽しみながら再読した。後書きを読むと作者は奥さんとの恋愛を自伝的な要素して取り入れたように見受けられ、それがちせとシュウジの繊細で瑞々しいやりとりの描写につながっているのかなと思った。後半の「星」がどうたらといって大きすぎる話になってしまうのはさすがに実感をもって読むことができないが、ちせがいうと星という言葉も可愛らしく響いてしまい、仕方ないかなと説得されてしまう。二人の逃避行は、イリヤの空で中学校2年生の浅羽とイリヤがやろうとしたことを高校3年生のシュウジとちせがもう少し先まで頑張ってみたものであり、海辺の町の漁港とラーメン屋で働くつかのまでぎりぎりの生活さえも懐か

    アニメと記憶の考古学 - オネミリエ
  • 記憶・認識・まぼろし - ゲームへたおじさんドットコム

    こないだの『Space Fury』について書いたエントリで音声合成に触れたが、 その流れでYouTubeのこれを見ていた。 初期のアーケードゲーム音声合成やファミコンの粗いサンプリング音声、格ゲーブーム~PS/SS次世代機戦争の頃のゲーム会社社員による素人吹替、近年のものではマーケティング優先の声優ではない有名人起用やローカライズがうまくいってなくて変なことになっている日語吹替……などなどゲーム中で耳にして違和感がある音声についてまとめた動画だ。前編後編で計80分以上の力作。各タイトルごとに短いが的確な解説が入っている。特に近年のものについては「当時のネット界隈では “ひどい吹替” という評価が優勢だったがそれは表面的な切り取りによる判断ではないか」という再評価の提言が入っているのも丁寧だ。 ファミコン時代の小学生だった俺にとってもゲームから聞こえてくる音声には妙な魅力があった。ノイズ

    記憶・認識・まぼろし - ゲームへたおじさんドットコム
  • 「死ぬまでに行きたい海」とカチューシャの記憶 - イチニクス遊覧日記

    佐知子さんのエッセイ集「死ぬまでに行きたい海」を昨年末に読んだ。 自分も知っている場所の話がでてきくるのも楽しいし、行ったことのない場所も、気になっていた場所である率が高く(YRP野比や海芝浦など)、さらに田舎の思い出(丹波篠山)などは、自分が幼い頃に行った父方の田舎である広島の記憶と混じり合うような感じがして面白かった。 それはおそらく、自分の中の「田舎の引きだし」を参照しながら読んでいるからなのだろう。文章を読むということは、純粋な想像だけでは難しく、往々にして自分の知識や記憶を参照しながら読むものだ。そうして、普段の生活ではなかなか触れることのない記憶に触れるとき、私は気持ちが良いと感じる。 死ぬまでに行きたい海 作者:岸 佐知子発売日: 2020/12/01メディア: 単行 書籍のサイトには「岸佐知子とつくる“些細な記憶”の地図」というものも作られていて、いろんな人の「些

    「死ぬまでに行きたい海」とカチューシャの記憶 - イチニクス遊覧日記
  • Drawing Motoring Logos from Memory | Van Monster

    Motors by Memory How accurately can the British public draw car logos from memory? Whether you are a driver or a pedestrian, doing the school run or drooling over your dream motor, it is fair to say that most of the population are surrounded by cars and adverts for cars most days of their lives. Manufacturers spend a lot of time and money creating brand identities that are intended to be easily re

    murashit
    murashit 2020/04/22
    うけるな
  • ポール・オースター『内面からの報告書』(2013) - キッチンに入るな

  • 心停止した時の体験談 - I/O BLOG;

    2015/5/22 に《心室細動》が起こり、心停止し、意識を取り戻すまでの体験談を書こうと思う。多くの人には無関係な体験談だが、それは、逆に「限った人にしか起こらない」ということなので、それなりに希少価値がある気もする。 《心室細動》は前触れ無く突然に 2015/5/22 仕事の休み時間中に記憶がぷっつりと途絶えた。 *1 僕は、2015年の4月から6月にかけて新入社員研修の講師を担当していた。 内容はITに関わること。例えばプログラミングやバージョン管理の方法、要件定義、詳細設計などソフトウェア開発に関する網羅的な内容について、新入社員向けの研修講師を担当していた。 そして、その日は、受講生がグループの分かれて開発演習に入る日だった。 午前中の演習の説明を終え、じゃあお昼取りましょう、という時に記憶が途絶えた。 それは《心室細動》によって心肺停止になったからだ。*2 蘇生後は薄気味悪い夢

    心停止した時の体験談 - I/O BLOG;
  • リディア・デイヴィス『話の終わり』(1995) - キッチンに入るな

    《もしも誰かにこの小説のテーマは何かと訊ねられれば、いなくなった男の話だと私は答える。》p12 《そういう景色も気候も私には目新しかったので、熱心に観察した。》p34 大学教師であり、翻訳の仕事もしている「私」が、何年もまえに付き合って別れた男、「彼」とのあいだの話を、小説として書こうとしている。 当時の「彼」は学生で、「私」と年齢に12歳のひらきがあった。交通事故のような恋愛のはじまりから、唐突な終わりまで――その後「私」が終わりを受け入れるまで――の小さな出来事の数かずと心の動きの連なりを、できる限り正確に文章化するのが「私」の目標であるようだ。 いつ、どこで、何があったのか。起きたことを正確に描くには、周囲の様子も詳細に書き込まねばならない。どう考え、どんな感情が生じたか。昂揚、冷めた思い。うねる疑心、期待と嫉妬。「私」は当時の揺れる自分をピンセットでつまみあげ、明かりに照らしてしげ

    murashit
    murashit 2011/01/01
    思い出すことを突き詰めると必然的に偏執狂的になってゆくことは誰もが経験することで、それをこれまた精確に思い出すと……という構造か。
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