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ブックマーク / note.com/enami_mitunori (2)

  • 劇光仮面の所感vol.1:劇しい光とフォリ・ア・ドゥ|江波光則

    まだ連載中のものの感想をまとめるのもどうかと思うのだが、まあ、今のところの所感を急に書きたくなったので書く。vol.1とは銘打っているがすぐに続きを書くわけでもなく長いから分けるというでもなく、まあ先々また書くかもねという余白を残してのタイトルであることにご留意いただきたい。 フォリ・ア・ドゥというよくワカラン単語を知ったのは「第三世界の長井」(ながいけん著)という作品でなので他作品を引用するのも気が引けるがそれは置く。要するに一人の狂気が伝染して周囲の人間を巻き込んで、一般社会、もしくは当然の判断(腹が減ったら何かべようとかそのていど)から逸脱してしまう現象のことである。 集団ヒステリーではない。 あくまで、精々、数人の話だ。 集団ヒステリーという多数を巻き込んでしまったら、それは一般常識や世界観のありようすら変わってしまう。 言うなれば「なんだあの変わった人たちは」という扱いで済まさ

    劇光仮面の所感vol.1:劇しい光とフォリ・ア・ドゥ|江波光則
  • 「窓ぎわのトットちゃん」と1%の寓話|江波光則

    こんな話がある。 某バイクメーカーが「あなたのところのオートバイユーザーは【悪い人たち】ばかりが乗っている」と言われた。それにバイクメーカーはこう返した。 「そういう【悪い人たち】はユーザー全体の1%に過ぎない」 それを知った【悪い人たち】は自らを「1%er(ワンパーセンター)」と称して、そういうパッチを造り、メーカーへの面当てとして背中に貼ったりした。【悪い人たち】なりの意趣返しであり諧謔を含んだ皮肉である。 1%という言葉に、統計的な意味は無い。 そもそも統計など取っていないだろうし、取れない。 【悪い人たち】の線引きが判らないからだ。 だからといって迂闊な線引きをすれば差別とも受け取られかねない。というかもう、これは露骨さを回避しただけの「差別」の領域だろう。 メーカー側がユーザーをこのように「差別」するのは、当に【悪い人たち】の占有率が高く、ブランドイメージの払拭・反論として「1

    「窓ぎわのトットちゃん」と1%の寓話|江波光則
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