男の生きづらさについて考えてみる 今日は男の生きづらさについて考えてみようと思う。有り体に言えばそんなことはぜんぜん考えたくない。なぜかというと、女たちはすでに散々考えさせられているからだ。 女が「女の生きづらさ」について話していると「男だって辛いんだ!!」と突撃してくるヤツが必ず現れる。え? いま男の話なんてしてないんですけど? 女の話をしているんですけど??? なんで女が女の生きづらさについて話していると男の生きづらさについても当然語られねばならないと思っているのか? 国際女性デーで「女ばっかり!! 国際男性デーはないのか!!」と突撃してきた男が「ありますけど? 11月19日ですけど?」と返されている光景はもはや春の季語みたいな感じになってきているけど、でも私が空恐ろしさを感じるのは肝心の国際男性デーで男たちがあまりにもシーンとしているところ。男が「男の生きづらさ」を語るとき、「女の生
その喫茶店に入ったときに覚えた違和感の正体は、注文するときに分かった。注文を取りに来た店員の男の子は、ニット帽、ダボダボのジーンズ、クマの顔が描かれたエプロンという格好をしていたので、僕は勝手に10代の男の子だと思っていた。だが、彼は、20代後半か、もしかしたら30代前半の立派な青年だった。彼は「ブレンドコーヒーですね。ブレンドコーヒーですね」と場違いな大声で注文を繰り返した。そのとき僕は彼に障がいがあることを知った。 市役所の近くにある喫茶店。店内には子供が描いたような水彩画がいくつもかけられている。カウンター席には僕のあとに入ってきた老婦人。奥のテーブル席で、流れてくるバート・バカラックを聴きながらコーヒーを待っていると、ドアの開閉を知らせるベルが鳴った。若い母親と保育園児くらいの男の子の二人連れが、入口そばのテーブル席に腰をおろした。 「ブレンドお待たせしました」店員の彼がコーヒーを
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