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フミコフミオと怒りに関するneofreudianのブックマーク (7)

  • 猫がいなくなった。 - Everything you've ever Dreamed

    がいなくなった。ノラだ。近所の道路や駐車場を歩いていたり、近隣の家の庭や僕の車の下で昼寝をする姿を見かけたオスのキジトラで、尻尾が短くて丸くてお団子みたいだったので、勝手に「ダンゴ」と名付けて呼んでいた。初めて見かけたのは2015年の春先だ。隣家の自家用車の屋根の上にいて、出勤中の僕と目が合ったのだ。口もとが真っ白なのが印象的な、子だった。それからは毎日のように姿を見かけるようになった。何日か見かけないときはさんと「今日はお出かけかね」「は自由でいいよね」なんて話をしたものだ。台風の日や雪の日は「あの子大丈夫かな」と心配した。ダンゴは鈴や首輪もしていなかったけれど、毛並みも綺麗で少し太り気味だったのでどこかのウチでゴハンをもらっていたのだと思う。さいわい、といってしまっていいのかわからないけれど、我が家の周りも高齢化の直撃を受けていて、毎日サンデー状態のおじさんたちが日中ぶらぶら

    猫がいなくなった。 - Everything you've ever Dreamed
    neofreudian
    neofreudian 2022/09/05
    「勝手」なモノを責める気持ちから解放される日がフミコさんに訪れることを願う。
  • 20年間引きこもっている友人から家にこもることの厳しさを教えられた。 - Everything you've ever Dreamed

    在宅勤務の気分転換のつもりで散歩へ出掛けたら、友人Fとばったり会った。Fは近所に住む幼馴染で僕と同じ46才、小中高12年間同じ学校に通っていたが、クラスや部活で一緒になったことはない。それでも仲が良かったのは、ピアノを弾いている、という共通項があったからだ。普通科県立高校でピアノ男子というのは珍しい存在で、放課後にピアノで遊んだことは、僕の人生のなかでも美しい思い出になっている。残念ながらFは大学卒業後に入った会社で心身を壊してしまい、そのまま自宅に引きこもっている。夏を思わせる強い日差しのなかにいるFは、白く、細長く、バースデーケーキのローソクのように溶けてしまいそうに見えた。 「引きこもりも散歩するのか」「散歩は昼間。朝と夕方より知っている人間に会う確率が低いから」声に、なんでお前がいるんだよ、という非難の気配があった。僕ら40代の男が真昼間に近所で顔を合わせることは少ない。だが、それ

    20年間引きこもっている友人から家にこもることの厳しさを教えられた。 - Everything you've ever Dreamed
    neofreudian
    neofreudian 2020/05/02
    ビル・エヴァンスの背中を追う高校生の悲哀はエールを誤解されることだ。と感じた。友人Fはフミコさんのオルター・エゴですね
  • 水曜日、午後4時、喫茶店にて。 - Everything you've ever Dreamed

    その喫茶店に入ったときに覚えた違和感の正体は、注文するときに分かった。注文を取りに来た店員の男の子は、ニット帽、ダボダボのジーンズ、クマの顔が描かれたエプロンという格好をしていたので、僕は勝手に10代の男の子だと思っていた。だが、彼は、20代後半か、もしかしたら30代前半の立派な青年だった。彼は「ブレンドコーヒーですね。ブレンドコーヒーですね」と場違いな大声で注文を繰り返した。そのとき僕は彼に障がいがあることを知った。 市役所の近くにある喫茶店。店内には子供が描いたような水彩画がいくつもかけられている。カウンター席には僕のあとに入ってきた老婦人。奥のテーブル席で、流れてくるバート・バカラックを聴きながらコーヒーを待っていると、ドアの開閉を知らせるベルが鳴った。若い母親と保育園児くらいの男の子の二人連れが、入口そばのテーブル席に腰をおろした。 「ブレンドお待たせしました」店員の彼がコーヒー

    水曜日、午後4時、喫茶店にて。 - Everything you've ever Dreamed
    neofreudian
    neofreudian 2020/03/19
    「無益な暴力はおやめなさい」とバカなオトナを諭す「カシコさ」ではなく「そんなにミルクがイヤなら僕が貰ってあげるよ」という「愛」の魔法だと思った
  • 運転免許を更新できなかった。 - Everything you've ever Dreamed

    運転免許の更新を、警察から送られてきたハガキで知った。世の中は変わっても、ハガキっつう更新お知らせの方法は変わっていない。数年に一度送られてくる変わり映えのないハガキが「生きてきたなあ」という実感を僕にもたらし、その実感は年々強くなっている。免許の有効期間を生きてきたという実感。たとえそれが、ただ、ぼんやり、何もしていないような、冴えない人生であってもだ。 二十数年前、免許更新ハガキを持った父が「明日の午前中、警察署まで送ってくれよ」と声をかけてきたのを僕は覚えている。だが、僕がどんな返事をしたのか、さっぱり思い出せない。「わかった」「めんどくさいなあ」たぶんそんな感じだ。僕の返事を受けた記憶の中の父の表情は、解像度の落ちたモヤモヤの影になってしまって、もうわからない。父が自分で運転していかないのが不思議でならなかった。運転手じゃないぞーという軽いムカつきもあった。免許の更新とは、明日の自

    運転免許を更新できなかった。 - Everything you've ever Dreamed
    neofreudian
    neofreudian 2020/02/07
    はがきの呪いが本当に20年の月日を経て激励と賞賛に変わったのならばそれもアリなのかもしれない。私ならば速攻で燃やしてしまっただろう
  • 「大して儲からないブログ」を16年も続けるワケ 「わかってくれる人に届けばいい」

    YouTubeなどネットでの情報発信でお金を稼ぐ人が増えている。その一方、お金儲けを意識せず、ただ文章を発表するだけのブロガーもいる。月間100万PVを誇る人気の会社員ブロガー、フミコフミオもその一人だ。なぜブログでお金儲けをしようとしないのか――。 「ブログはオワコンなのか?」議論に終止符を打つ 最近、ブログを読んでくれる人が増えたこともあって 「なぜ、ブログを書き始めたのか」 「なぜ、ブログを書き続けているのか」 と質問される機会がふえた。 僕は「はてなブログ」を主戦場に、長いことブログを書き続けている。 「ブログなんてオワコン」とおっしゃる人も見かけるように、noteやYouTubeのようなホットで、マネーにつながるメディアもあるなかで、僕がお金にならないブログを主戦場にして文章を書き続けているのが不思議でならない人がいるらしい。 あらためて、そのような指摘に考えをめぐらせてみると、

    「大して儲からないブログ」を16年も続けるワケ 「わかってくれる人に届けばいい」
    neofreudian
    neofreudian 2020/01/07
    フミコさんの本のタイトルには私が8−16歳くらいの時に感じていた「今でも死ぬ程退屈なのにこの先少なくとも50年生きるなんて耐えられない」という受動的希死念慮を彷彿とする
  • 死ぬ気でやれよ。死ぬから。  - いばや通信

    残り五日。私に定期的な収入はないから「どうやって生きているのですか?」と、結構聞かれる。自分でもそう思う。なぜ、俺は生きているのだろう。普通、なにかと引き換えにお金を得る。時間を売ったり、商品を売ったり。だが、私はなにも売っていない。ただ、時折「お前みたいな人間は、もっと生きろ」という感じで、お金や兵糧的なサムシングをいただく。売るとか買うとかじゃない、あげる・もらうの関係性で生きている気がする。そのために、大事なものが純度だと思っている。 日は恐怖政治なんだな。喜びの為より、怒られない為、落ちこぼれない為、無難に生き延びる為の労働なんだな。それ、生きてて楽しいのか?そんなもんだって諦めるのか?保身に走ると心が死滅しないか? 君はどこにでも行けるのに、どうしてそこにいるんだい。 - いばや通信 https://t.co/iAwV02vtUT— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume)

    死ぬ気でやれよ。死ぬから。  - いばや通信
    neofreudian
    neofreudian 2019/12/27
    「自分の中にいる自分を総動員」するために、「居なかったことにされた自分」を見つけるためにフロイト教授は「自由連想」を編み出したと思う。何者にもなれなかったと悲嘆にくれる人は自分を見失った人だ。
  • 「身の丈」発言してきた。 - Everything you've ever Dreamed

    英語試験延期で自民に賛否 「身の丈」発言の萩生田氏に怒りの声も - 産経ニュース 萩生田文科相の「身の丈」発言が大きな話題になっている。僕は英語試験問題とは違うところでごく個人的な経験からこの発言に憤りを覚えた。 現実であれ、ネットであれ、誰かに対して「身の丈にあったことをしていろよ」と言いたくなるようなときでも、その言いたい気持ちを押し殺して、代わりに「頑張ってほしい」と言うようにしている。なぜか。かつて「身の丈」と言われたときの怒りが僕のなかにまだ残っているからだ。「身の丈にあった生活をしろ」と言われたとき僕はまだ可能性のある10代の若者で、偉ぶってる年長者に噛みつくエネルギーに溢れていたことは認めるけれども、もし、あのときすでに今のような可能性のない枯れ切った45才中年であっても同じように憤っていただろう。 父親が首を吊ってしまってその葬式をとりおこなったあと、不味い寿司をべながら

    「身の丈」発言してきた。 - Everything you've ever Dreamed
    neofreudian
    neofreudian 2019/11/02
    「リベンジという名の料理は冷めてからが美味しい」という言葉を思い出しました。身の丈おじさんは大切なモノを助けることも守ることもできない、てぃんが欠如したオヤジです
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