タグ

AppleとCanonに関するraimon49のブックマーク (2)

  • 「平成」デジカメ栄枯盛衰史

    デジカメは平成の時代に生まれた。アップル「QuickTake100」に始まり、多くのメーカーから特徴的なデジカメが登場した。めったにない改元の機会なので振り返ってみよう。 せっかく改元の機会なのだから、昔話でもしようかと思ってしまったのである。 カシオが元祖コンデジともいえる「QV-10」を出したのが平成6年なんだけど、話はもうちょっと遡って1992年から。平成4年ですな。 この年、何があったか。コダックが「PhotoCD」を始めたのである。 平成4年(1992年):PhotoCD PhotoCD……これ知ってる人はかなり昔から写真のデジタル化に手を出してた人くらいじゃなかろうか。 現像したフィルムをCDに焼いてくれるサービス。 CD-ROM1枚につき写真100枚。 値段は覚えてないけど、1枚フルに写真を詰め込むと1万円くらいかかったんじゃなかろうか。「高いなあ」と思った記憶ある。 これが

    「平成」デジカメ栄枯盛衰史
  • 「何よりも大事なことは情熱」――ジョブズ氏の師が語る“スティーブの素顔”

    エリオット スティーブとは1980年に出会い、その後、6年間アップルにいた。アップルを辞めた後、ネクストやピクサーの時代にも付き合いがあった。 私がアップルを辞めたのはスティーブが辞めた1年後だ。その後はいくつかの事業を始めたが、スティーブとの交流は蘇ったり、途絶えたりを繰り返していた。彼の基調講演にも何度か出向いたことがあるよ。 ただ、アップルにいた6年間は、ほぼ毎日、1日24時間、週に7日、彼とともにいたようなものだね。 ―― 彼とはどのようにして出会ったんですか? エリオット 私は当時、ロスガトスに住んでいて、スティーブもそこに住んでいた。私は近くにあるメキシコ料理のレストランにいて、ラウンジエリアでを待っていた。はちょっと遅れていたんだ。 ラウンジで私は少し落ち込んでいた。IBMを辞めてインテルに行ったものの、アンディー・グローブとは気が合わず、インテルも好きになれなかった。半

    「何よりも大事なことは情熱」――ジョブズ氏の師が語る“スティーブの素顔”
  • 1