『Virtua Unlimited Project』のリリース日が4月25日に決定。『ロックマンゼロ』に影響を受けた横スクACT
ホーム ニュース 『龍が如く』の英題はなぜ「Yakuza」から「Like a Dragon」に改題されたのか。セガに訊いた セガは先月9月14日、『龍が如く7外伝 名を消した男』と『龍が如く8』、そして『龍が如く 維新! 極』の3作を発表した。外伝とリメイクと続編を一挙にお披露目するど派手な告知となった。さらに興味深いのは『龍が如く』シリーズはこれまで英語圏では「Yakuza」として展開されてきた。しかしながら新作3作では「Like a Dragon」として題されている。『龍が如く7外伝』は『Like a Dragon Gaiden』、『龍が如く8』は『Like a Dragon 8』、『Like a Dragon: Ishin!』。いずれの作品も「Yakuza」と冠されていない。一体なぜなのだろうか。龍が如くスタジオ代表で制作総指揮を担当する横山昌義氏に理由を訊いた。 横山氏によると、そ
セガサミーホールディングス(HD)は、エピックゲームズの人気ゲーム「フォートナイト」のような世界的ヒットの創出を目指し、巨額の予算を投じて過去の人気タイトルである「クレイジータクシー」と「ジェットセットラジオ」の新作を開発している。この計画に詳しい関係者が明らかにした。 実現すれば、これら2つのタイトルは同社が1年前に発表した「スーパーゲーム」構想の最初の作品となるだろう。同社は2024年3月期までの中期計画の中で、この構想について既存の知的財産(IP)を使ったグローバルブランド化による収益基盤の強化や、オンラインコミュニティーの構築を目指す取り組みだと説明した。 同社が手本とするのは「フォートナイト」の手法だ。プレーは無料でどのプラットフォームかも問わず、ときに大々的な競技大会を開催する。そこでは通常のバトルだけではなく、ソーシャルイベントなどの開催や、乗り物や建物など追加アイテム販売で
「SEGA」ブランドで運営している全国のゲームセンターの名称が「GiGO」(ギーゴ)ブランドに変わる。運営元のGENDA SEGA Entertainmentが1月28日に発表した。商号もGENDA GiGO Entertainmentへと変更されたことで、今後はSEGAブランドがゲームセンターから失われていくことになる。 そんなニュースに昔からのゲームファンの中には、少しセンチメンタルな気分になった人もいたようだ。ネットでは、セガがとうとうゲームセンターというフォーマットを諦め、撤退するかのような落日の寂しさを語る声も散見された。 もっともSEGAブランドを主語に語るのであれば、その本体であるセガサミーホールディングスは、2020年末時点でGENDA SEGA Entertainmentからほとんどの出資を引き上げており、セガ(セガサミー)はゲームセンターから事実上撤退していた。 今回の
アミューズメント事業を展開するGENDA(東京都大田区)は1月28日、ゲームセンターを運営するGENDA SEGA Entertainment(旧セガ エンタテインメント、GSE)の全株式を取得したと発表した。セガグループはゲームセンター事業から完全撤退することになる。 GENDAがセガからGSE株14.9%を取得し、持ち株比率が100%になった。取締役会からはセガサミーグループ所属の吉澤秀男氏が退任。社名はGENDA GiGO Entertainment(GGE)とし、SEGAブランドで運営しているゲームセンターの店舗名は「GiGO」に変更する。 セガエンタテインメントはセガサミーホールディングスの完全子会社としてゲームセンター事業とゲーム機の開発製造を手掛けていたが、コロナ禍でゲームセンターの経営が悪化。2020年11月には株式85.1%をGENDAに売却していた。 セガはゲームセンタ
セガのゲームを愛するひとりとして、ときどき心配してしまうことがある。「セガのゲームは100年後も遊ばれるのだろうか」と。もちろん、100年後のことは誰にもわからない。だが、人類がこのまま生き残る限り、これだけは断言できるだろう「人々は任天堂の作ったゲームを忘れない」と。 約100年前、日本には多くの文豪がいた。だが、今なお読まれ続けているのは夏目漱石や森鴎外に芥川龍之介とそのほんの一握りと言えるだろう。 80年代後半から90年代にかけて、日本はゲーム大国だった。「マリオ」、「ゼルダ」、「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」、「ストリートファイター」、「メタルギアソリッド」など、この業界のアイコニックなフランチャイズの数々が生み出された。当時のゲームに詳しい人であれば、そこに「ソニック」や「バーチャファイター」に「スペースハリアー」といったセガのゲームも含めるはずだ。 ところが、黄
「パンツァードラグーンVoyage Record」誕生秘話。一人の若者はいかにして会社を作り,「自らパンツァードラグーンを売る」ことになったのか ライター:西田宗千佳 「パンツァードラグーン」というIPにとって,2020年は特別な年になる。久しぶりに「現行のハードウェアで“新作”が楽しめる」からだ。 同シリーズはセガサターンというハードウェアにとって特別なものであるだけでなく,1990年代中盤から後半に発売された第5世代家庭用ゲーム機,要は「CDとポリゴンの革命の時代」を象徴する作品だ。 一方,種々の事情もあって(その一端は本稿の中で解説する),2002年末の「パンツァードラグーン オルタ」以来,シリーズ作品の系譜は途絶えており,移植やリメイクにも恵まれているとは言えないIPでもあった。 ……という話から始まると,4月2日に発売されたNintendo Switch版「パンツァードラグーン:
EAを去る同社重役は彼のセガでの日々を振り返り,日本企業がどのようにゲーム業界の動乱の予感を見過ごしていたのかを語った。 2月末,正確にはGame Developers Conferenceの中盤にEAのチーフコンペティションオフィサーであるピーター・ムーア氏が同社を離れ,6月に氏にとっては夢の職業である※ Liverpool Football ClubのCEOに就任することが発表された(関連英文記事)。ドリームキャストやXbox 360のローンチ監督やEAブランドの構築への貢献などを含む20年間にわたるゲームビジネスのあと,業界のベテランはGlixelに氏の業界での長年にわたる経験について率直に語っていた(参考URL)。 ※ムーア氏はリバプール生まれで,サッカー選手としてアメリカに移住した経歴を持つ。4Gamerの氏へのインタビューでは毎回サッカーの話題で盛り上がっていたりした ムーア氏
セガマニアにはもうおなじみ。彼が帰ってきた! そう、ソニックが好きすぎて、初代『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』を勝手にリメイクし、セガ公式ゲームにしてしまったChristian Whiteheadだ → ソニックが好きすぎる男、初代ソニックを勝手にリメイク 幾度かセガと仕事をした後、彼はソニック3を勝手にリメイクしようとして許諾をとることに失敗し、セガとの関係はそこで終わったかに見えていた。 だが、彼は帰ってきた。『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』25周年を記念ゲーム、『ソニックマニア』のPVに開発担当として。 リメイクではない。彼はついにソニック新作の開発を許されたのだ! 新作、『SONIC MANIA』の動画はこちら。 そして、ゲームPVにちらりと表示される「Christian Whitehead」のロゴ。生きとったんか、ワレぇ! 重度のソニックマニアで、ソニックファン納得のリメイクを繰り返
ホーム 全記事 ニュース 『ぷよぷよ』のe-Sports化をうたう『Magical Stone』が正式発表、PC向けにベータテスト開始【UPDATE】 【UPDATE 2016/3/30 18:30】 セガの広報担当者はAUTOMATONの取材にて、今回の発表に合わせてTwitchで語られたようなセガ側のコメントが事実かという問い合わせに対し、事実確認はできていないと返答した。「事実関係の確認はできておりません。また、セガの広報部門からは発表しておりません」。またセガ側が『Magical Stone』に関してどのように捉えているのかを問い合わせたところ、「コンテンツにつきましては、セガのものではございませんので、コメントを差し控えさせていただきたく存じます」と答えている。 ――れそ氏の配信中発言で御社の方のコメントもいくつか出ていますが、こちらは広報から実際にこういった発言があったという事
ふたたび“革新者(Game Changer)”を目指す新生セガが誕生 2015年4月に実施されたセガグループの組織再編および新会社設立によって、コンシューマー事業を中心とするセガと、スマートフォン用アプリなどを手掛けるセガネットワークスが合併し、新会社“セガゲームス”が誕生した。 この組織再編は、どういったコンセプトで行われたのか。そして、ゲーム市場が日々変化を遂げるなか、セガブランドはどう変わっていくのか――。セガゲームス代表取締役社長CEOに就任した里見治紀氏に、同社設立の意図や、見据える将来像を訊いた。(聞き手:週刊ファミ通編集長 林克彦) ※本インタビューは、週刊ファミ通2015年7月23日号(2015年7月9日発売)に掲載されたものです。 ――4月からセガゲームスが始動しました。改めて、設立の経緯をお聞かせください。 里見 私は昨年11月から事業構造改革を担当していて、そのひとつ
1990年代初期、スーパーファミコンとメガドライブという2つの巨人が優位性を巡って争っていた。しかし時は経ち、現在ではセガはかつての栄光だけの会社になってしまった。どうしてこうなってしまったのだろうか?(Slashdot記事「Is Sega The Next Atari?、元ネタのgamesindustry.biz記事)。 当時(セガの米国法人である)Sega of AmericaでCEOを務めていたTom Kalinske氏は、「セガは20年間に渡って大きな間違いを犯し続けている」と述べ、セガの凋落の原因として、1990年代にソニーとの協業を拒否し、プレイステーションとセガサターンとの全面対決に至った点を挙げている。同氏はもし20年前にソニーと協力してハードを出していれば、、セガのハードウェア事業からの撤退は回避できたとも述べている。 セガの「ブランド」についても、「ブランドは不滅ではな
この記事は日経エレクトロニクス Digital会員限定ですが、 2014年08月31日までは特別に誰でも閲覧できるようにしています。 大平貴之氏は、100万を優に超える数の星を投影できるプラネタリウム「MEGASTAR(メガスター)」を独力で作り上げた。実は当時、同氏はソニーの社員であり、その後ソニー社内でその技術に基づくプラネタリウムを事業化する話が持ち上がったが製品化までは至らなかった。ソニーの計画はどうして成就しなかったのか。ことの顛末を振り返る大平氏の言葉は、今後増えるであろう「メイカーズ」と企業のあるべき協働関係に、深い洞察を与える。Facebookで同氏が公開した文章を再録した。(本誌) 僕がソニーを退職して独立したのは2003年。もう11年が過ぎました。怒涛のように駆け抜けた10年余りでした。最近ソニーの話題が良く出ます。報道等で業績不振が指摘され、僕のことも時々、引き合い
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