タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

コミュニケーションに関するs_hiiragiのブックマーク (3)

  • なぜ「事実」と「意見」を区別して話せない人がいるのか。

    ちょっとまえ、面白い記事をツイッターで拝見した。 企業の採用担当が、面接時に見ているポイントを端的に表現したものだ。 曰く、「事実と意見を分けて説明できるかは圧倒的に重要で、これができない人はかなり厳しい。」とのこと。 クローズな勉強会などで話をしたら好評だったのでブログに書きました / 面接時に見ているポイント – VOYAGE GROUP techlog https://t.co/64ehNAYLAi — Masanori KOGA (@makoga) October 29, 2019 彼がこれを重視する理由としては 「事実と意見を分けて説明するのがうまい人が書いた障害報告書は読みやすい」とある。 確かに読みやすい文章を書く人は、知的能力が高い事が多いので、採用の精度は良いのではないかと推測する。 ただ、この文章を読んで感じるのは、 「なぜ「事実」と「意見」を区別して話せない人がいるの

    なぜ「事実」と「意見」を区別して話せない人がいるのか。
  • 社内の人に軽々しく謝罪しないでほしい|qsona

    たとえば、管理ツールのオペレーションのミスが起こった時に、再発を起こしたくないという理由で、どういう手順で起きたのか、管理ツールに問題があるなら改善したいから言って欲しいというようなことを伝える。 あるいは、期待したアウトプットと違った時に、せっかくやってくれたことはありがたいが、ズレがあったことを伝えて、その目的からすり合わせようとする。 のようなケースで、自分としては、相手を責めるつもりなど一切なくて、とはいえそう捉えられないようにその目的から伝える努力をしているつもりなのだけれども、 ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。以後このようなことがないよう徹底いたします。 みたいな反応をされてしまうと、それ以上の発展は望めないし、ああ僕はこの人を謝らせてしまったんだなとなり惨めな気持ちになる。 確かにこういうのは大概他の部署の方とのコミュニケーションだし、事前に信頼関係が出来ているわけ

    社内の人に軽々しく謝罪しないでほしい|qsona
  • 言語を「その場に応じたことを言うゲーム」だと思っている人がいる

    友人が死んだ。母からメールが来たとき、「彼の分まで生きて」などと言われた。全く意味がわからなかったし、失意の息子を励ます言葉としては意味が通らないように感じられた。 「の分まで生きて」と言う言葉がフィクションでよく登場することは知っていた。だが、それはその物語の中で、意味が通る状況で使われていると思っていた。現実で使われる場合でも、やはり意味が通らなければならないと思っていた。「こんにちは」のような、文字通りの意味が失われている言葉とは違うだろう。 母に意味を聞いたら、「よく言うから言ったのだ」と言う。つまり、意味なんかなかったのだ。母にとって、言葉とは、似た状況でよく言われる言葉を言うゲームに過ぎないのだろう。 似たことは当時付き合っていた女性との間でもあった。私は彼女のある発言をとって「偽善だ」と言った。そうしたら彼女が言い返したことは「でも、こう言う時はこう言うんだよ」と言う。つまり

    言語を「その場に応じたことを言うゲーム」だと思っている人がいる
  • 1