韓国・ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像。慰安婦は性奴隷ではないという主張が増えている(写真:YONHAP NEWS/アフロ) (李宇衍:『反日種族主義』共同執筆者) ※「性奴隷説を否定した米論文にぐうの音も出ない韓国」から読む どの社会においても売春婦の性労働は大変であり、自己に対する社会的評価を大きく傷つけるものである。だからこそ、彼女たちは高い収入を得る。アジア太平洋戦争以前に日本の遊廓で働いていた売春婦も、戦時中の日本軍慰安婦も同じであった。 このような事情は、遊廓や慰安所の業者と結んだ契約にも表れている。ラムザイヤー教授の論文を見れば一目瞭然である。事業主と売春婦または慰安婦の契約を年季奉公として把握し、その契約の構造を説明している。 論文によると契約書の中身は、(1)就職前に売春婦ㆍ軍慰安婦に渡される前借金、(2)女性たちが労働する年数を規定した契約期間(年季)、(3)売
【「慰安婦」問題の現在】 慰安婦は性奴隷だと信じる人たちは、性奴隷否定者に容赦ないバッシングをする。韓国では、大学教授が慰安婦の前で土下座させられ、裁判で訴えられる。現在のターゲットは、米ハーバード大学ロースクールのジョン・マーク・ラムザイヤー教授だ。 ラムザイヤー教授は、慰安婦は売春婦であったとして、性奴隷説に異を唱える論文「太平洋戦争における性サービスの契約」を発表した。これが学術誌に掲載されると報道されたとたん、韓国メディアに火が付いた。 執拗(しつよう)な攻撃は米国まで飛び火し、ハーバード大学では韓国系学生と市民団体が抗議の声を挙げた。韓国系団体が慰安婦像計画を進めるフィラデルフィアでは、市議会が論文非難の決議を採択した。 それでも収まらず、今は日本を含む、国内外の性奴隷説の学者が大結束している。歴史修正主義のラムザイヤー論文を撤回しろと、国際的な非難活動を展開している。
『機動戦士ガンダム』で1980年代に一大ブームを巻き起こした安彦良和さんだが、自作の不振と世界史の激変を受けて89年、きっぱりとアニメ界を去ることになる。「歴史は動く。でも人間は変わらない」。挫折のなかで新たに得た認識を手がかりに、歴史漫画の道に進んだ。 >>インタビュー前編からつづく 「日本はどこで間違ったのか」 歴史に挑む 専業漫画家になって安彦さんが取り組んだのは、古事記に登場する神々や神話上の人物を生き生きと描いた『ナムジ 大國主』『神武』や、日清戦争や日露戦争に材を取った『王道の狗』『天の血脈』など、日本の古代史と近代史に焦点を当てた作品群だ。 いずれも、東アジアの融和を目指す者と覇道を唱える者の対立構図が仕組まれ、理想主義の挫折も主題になっている。アムロ・レイのように弱さや矛盾をはらんだ人間臭いキャラクターたちが交錯する歴史群像劇としての物語は、ガンダム同様、勧善懲悪とは程遠い
ア.オリエント世界オリエント中東メソポタミア肥沃な三日月地帯ティグリス・ユーフラテス川メソポタミア文明 イ.シュメール人の都市国家青銅器シュメール人ギルガメッシュ叙事詩シュメール文化都市国家ウルウルの軍旗ウルクラガシュアッカド人サルゴン1世セム語系ウル第3王朝シュメール法典 ウ.メソポタミアの統一と周辺地域の動向アムル人バビロニアバビロン第一王朝バビロンハンムラビ王ハンムラビ法典民族移動インド=ヨーロッパ語族ヒッタイト小アジア/アナトリア鉄器ハットゥシャ(ボアズキョイ)カッシートミタンニエラム人イラン高原多神教マルドゥク神ジッグラト楔形文字占星術太陰暦1週7日制太陰太陽暦 エ.エジプトの統一王朝エジプトハム語系エジプト文明ナイル川ノモスファラオ古王国メンフィスクフ王ピラミッド中王国テーベヒクソスエジプト新王国トトメス3世アメンホテプ4世(アメンヘテプ4世)/イクナートン(アクエンアテン)テ
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2013年2月) 士農工商(しのうこうしょう)または四民(しみん)は「国中のすべての人びと」といった意味合いの儒学的表現である[1]。日本では、近代になり江戸時代の身分制度を意味すると捉えられるようになったがこれは誤りであり、1990年代頃から実証的研究が進み、同時代的に現実に施行された制度ではないと理解されるようになった[2]。 概要[編集] 士農工商(四民)は、古代中国から用いられた言葉で、紀元前1000年頃には既に見られる[注 1]。意味としては、『漢書』食貨志上「士農工商、四民に業あり(士農工商、四民有業)」とあるように、「民」の職業は4種類に大別されるということになる。そして、これを連続して表記することで、「老若男女」のように、あらゆる
● 電話の向こうで、いつも会う時よりも少しだけ低い、でもやはり心地よい太さのあの声が響いていた。 「●●●●君、悪いけどそれはダメだ。できませんよ」 20分くらい、いや、もしかしたら30分以上、受話器を握っていたかも知れない。この世代の年長者に対してまずは長電話と言っていいやりとりの中、型通りの無沙汰のわびから近況などのとりとめないやりとりをさしはさみながら、折りを見て何度も繰り返すこちらのお願いごとに対して網野善彦は、そこだけ声をはげますようにして応えていた。こちらのいつにない執拗さに呼応して、同じく何度も何度も。 「君とだったらいくらでも話をしたいし、直接顔をあわせて尋ねてみたいこともたくさんあるんだ。それだったら僕はいつでも時間をとるけれども……」 それは僕だってそうですよ、網野さん。僕が生来のおっちょこちょいでお祭り好きなすっとこどっこいなのはもうよくご存じでしょうけど、でも、伊達
七社共同宣言(朝日新聞1960年6月17日付) 安保報道(あんぽほうどう)とは、戦後日本の安全保障問題に関するマスコミ報道。特に安保闘争における報道を指す。 概要[編集] 第二次世界大戦後、報道機関は戦時中の反省から権力とは一定の距離を置く方針を取った。日米安全保障条約の改定を巡る報道においても、岸内閣が衆議院に警官隊を導入して強行採決を行ったことを批判、人々の大衆行動を加速させた。 ところが、1960年6月15日に全学連をはじめとするデモ隊が国会議事堂に突入して機動隊と衝突し、その混乱の中で樺美智子が死亡するという事件が発生すると、報道各社は態度を一変させ、6月17日に東京に本拠を持つ朝日新聞・毎日新聞・読売新聞・産経新聞・日本経済新聞・東京新聞・東京タイムズ[1]の主要紙7社が「暴力を排し議会主義を守れ」と題する共同宣言を発表した。暴力から議会主義を守ることは民主主義を守ることであると
2012年08月29日22:25 カテゴリ大局観、テーマ、見識[edit] 利益確定売りを見過ごし、その後の損切もできなかった:日清戦争後の失政 6月からアジアの政治史、戦争史を調査している。 当然のようにたどり着く疑問、、、何故日本は、中国との泥沼の戦争にはまり込んでしまったのか? 3か月でぼんやりと到達した私なりの結論、その他感じた事を一回まとめておきたい。 (1)明治維新以降の新生日本を形成してきた実力者達がほぼ同時期に死亡した。 明治維新の革命第一世代、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、西郷隆盛は、1890年以前に全員死亡した。 革命第二世代の伊藤博文(文官サイド)、山県有朋(軍部サイド)、と第一世代の生き残りの、大隈重信(議会サイド)を中心とした日本の近代化が進展する明治時代のハイライトを迎える。 しかし、第二世代と、それを継承発展させるべき第三世代の中心と嘱望された原敬、桂太郎が
2012年09月02日20:18 カテゴリ大局観、テーマ、見識[edit] デフレから抜け出さないと円高が止まりません 超長期のドル円は、インフレ格差で決まっている。 インフレ格差とは、お札の印刷量の格差と同疑義だ。 だから、インフレとは貨幣の世界の話だと言われるのだ。 ドル円の超長期のチャートはこんな感じだ。 大きくは3期間、小さく分けると5期間に分けられる A:日本のインフレ>USのインフレを反映して、素直に円安 ②の期間は金本位制を採用していたので、固定相場になっている B:戦後の$=360円の固定の世界 C:日本のインフレ<USのインフレを反映して、素直に円高 Aの期間の日米インフレ・データだが、チャートにするような連続データが揃ったらアップしたいが、今日現在はまだ完成していない。 B&C期間、、このどこかで日米のインフレが逆転した。 得られるデータによれば、それは1977年だ。
2012年09月04日02:36 カテゴリ大局観、テーマ、見識通貨と物価[edit] 73年間で、物価が「4000倍」になった日本 (2)中篇 明治維新以降を振り返ってみれば、万年金欠病の日本政府という姿が浮かび上がる。 明治から平成を6個に区分して時代背景などを説明する。 ① 明治維新〜日清戦争 明治維新は成ったが、新政府には金が無かった。 近代化、富国強兵を目指して大量の近代的な製造業を発展させるべく、輸入が必要だった。 明治10年の西南戦争で、国家予算に匹敵する金を使ってしまった。 経常収支は、ずーっと赤字で、支払いの為に、金(世界平均より、金が銀より割安に設定されていた)が大量に流出した。 ② 下関条約(日清戦争後)〜1932年金解禁停止(金本位制離脱) 日清戦争後に清国から得た賠償金、賠償金2億テール(当時の日本の国家予算の4倍強)を得て、財政が安定し、金本位制を実施し、為替は安
2012年03月25日15:50 カテゴリ資料[edit] 昭和50年代年表 昭和50年代の年表 (クリックして拡大してご覧ください) 1 「資料」カテゴリの最新記事
2010年03月04日20:00 カテゴリ大局観、テーマ、見識[edit] 1979年と、1989年と、2009年 現代の株式市場の環境を形成しているスタート時点は1989年だと思う。 ベルリンの壁が崩壊して世界が広がった。 冷戦が終結して世界は塗り替えらた。 1989年のベルリンの壁が崩壊するまでにはいろんな前兆があった。 1979年という年が前兆を引き起こした節目になったように思う。 この年にマーガレット・サッチャーが首相になっている。 ポーランドでは「連帯」という組織につながる運動をワレサが始めている。 前年78年には鄧小平が改革開放路線を始めている。 翌年80年にはレーガンが大統領になっている。 いずれも規制、計画経済、共産主義などに対する反攻が始まった動きだった。 最近この辺の歴史を調べていて感慨深いのだが・・・ 何故、同じような時期に、同じような「こと」が、違う場所で、お互いの
2010年03月16日20:45 カテゴリ大局観、テーマ、見識[edit] 1981年5月から1983年3月のフランス・ミッテラン政権の教訓 1979年と、1989年と、2009年の続きです。 サッチャー、レーガン、鄧小平が市場経済へ舵を切った1980年代に、三巨頭とまったく反対の行動をした政治家がいる。 戦後フランスを代表する政治家、フランソワ・ミッテランだ。 1981年5月にミッテラン大統領が登場した。 ミッテラン政権は、政府が経済管理を担う姿勢を明確に宣言した。 低迷する景気を刺激するために古典的なケインズ政策を採用した。景気の呼び水として、政府支出を大幅に拡大した。 社会主義を目指す目的で、民間の主要産業が「社会党が正しいと考える企業行動」をとるよう政府の管理・調整機能を強化し、規制を強化した。 預金残高のシェアで合計96%に上る銀行を国営化した。 また、大企業の多くも国営化された
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