邪馬台国の女王、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓(はしはか)古墳近くにある奈良県桜井市の茅原大墓(ちはらおおはか)古墳。考古学マニアの間でもあまり知られていない古墳が、邪馬台国の末路にかかわるカギを握るとして、近年の発掘で脚光を浴びている。一帯は3世紀後半の最古級の前方後円墳が多いが、茅原大墓古墳だけはなぜか4世紀末と飛び抜けて新しい。ヤマト王権は4世紀末に大阪平野に移動したため、王権発祥の地は一気に衰退したが、茅原大墓古墳は「卑弥呼の末裔(まつえい)」として最後の輝きを見せた。
邪馬台国の女王、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓(はしはか)古墳近くにある奈良県桜井市の茅原大墓(ちはらおおはか)古墳。考古学マニアの間でもあまり知られていない古墳が、邪馬台国の末路にかかわるカギを握るとして、近年の発掘で脚光を浴びている。一帯は3世紀後半の最古級の前方後円墳が多いが、茅原大墓古墳だけはなぜか4世紀末と飛び抜けて新しい。ヤマト王権は4世紀末に大阪平野に移動したため、王権発祥の地は一気に衰退したが、茅原大墓古墳は「卑弥呼の末裔(まつえい)」として最後の輝きを見せた。
印刷 13世紀の元寇(げんこう)で沈んだ元の軍船とみられる船体が発見された長崎県松浦市鷹島沖の海底(約38万4千平方メートル)について、文化庁が、文化財保護法に基づく国史跡指定を文化審議会文化財分科会に諮問したことが20日、わかった。諮問は同日付で、早ければ2月に答申が出る見込み。諮問通り、指定の答申が出される可能性は高く、指定が決まれば海底遺跡として初めての国史跡になる。 鷹島沖海域では昨年10月、琉球大の調査チームが元の軍船とみられる船体を発見したと発表し、話題を呼んだ。発見された船体は、船底の背骨に当たる木材の竜骨(キール)が確認されるなど、構造がはっきり分かる状態だった。 元寇は、鎌倉時代、中国を支配していたモンゴル(元)軍による日本侵攻。北部九州が主戦場だった。 朝日新聞デジタルでは、以下のような関連記事も読めます。登録はこちら新潟・佐渡金銀山の石切場跡、国史跡に追加指定関
印刷 劣化して文様の下部がはがれ落ちた千足古墳石室の石障=2010年10月撮影、岡山市教委提供石障取り出しの手順 岡山市北区の国史跡、千足(せんぞく)古墳(5世紀)の石室が、年内にも一部解体されることが決まった。文様を施した石障(せきしょう=仕切り石)が雨水につかって劣化し、取り外しを余儀なくされたからだ。古墳石室の解体は、極彩色壁画で知られる高松塚古墳(奈良県明日香村)に次ぐ事態。その教訓はなぜ、生かされなかったのか。 石障の劣化が発覚したのは2009年9月。岡山大考古学研究室(新納泉教授)が石室内部の3次元計測のために調査に入り、石室内にたまっていた水とヘドロを抜き取ったところ、直弧文(ちょっこもん)が描かれた砂岩製の石障(高さ53センチ、幅162センチ、厚さ13センチ)の下部3分の1がはがれ落ちていた。 その後、保存の手法などを検討する岡山市教委の保存整備委員会が組織され、考古
ピラミッド17基発見=衛星画像で米研究者解析−エジプト ピラミッド17基発見=衛星画像で米研究者解析−エジプト 【カイロ時事】英BBC放送(電子版)は26日までに、米航空宇宙局(NASA)の衛星が写したエジプトの赤外線画像を米研究者が解析し、首都カイロ南方サッカラなどで古代エジプトの未発見のピラミッド17基を特定したと報じた。既に発掘調査が行われ、うち2基については存在が確認されたという。 米アラバマ大学バーミングハム校のエジプト学者サラ・パーカク博士が調査を手掛けたもので、ピラミッドのほか、1000カ所以上の墓所や約3000カ所の住居跡も見つかった。(2011/05/27-05:46)
大阪府立弥生文化博物館 事務スタッフ募集案内 ≪募集職種及び採用予定人員≫ 弥生文化博物館 事務スタッフ 1名 ≪雇用期間≫ 平成23年3月1日から平成24年3月31日 ≪職務内容≫ 事務スタッフの業務 ①企画管理課における広報、庶務全般にかかる業務 ②博物館の施設の管理にかかる業務 ≪勤務場所≫ 大阪府和泉市池上町4丁目8-27 JR阪和線「信太山」駅下車、西へ約600m又は、南海本線「松ノ浜」駅下車、東へ1,500m ≪勤務条件≫ ①勤務時間 9時00分~17時30分(うち休憩時間45分) ② 勤 務 日 休館日(基本的に月曜日)を除く週5日のローテーション勤務 ※土曜日・日曜日・祝日も勤務日に含まれます。 ③賃 金 基本時間給 840円 通勤手当有り ④保 険 健康保険、厚生年金保険、雇用保険、労災保険適用 ≪応募資格≫ ①高校卒業以上又はそれと同等の能力を有する人 ②博物館
茅原大墓古墳から出土した国内最古の人物をかたどった「盾持ち人埴輪」。枠は推定される盾の形=奈良県桜井市で2011年2月24日、後藤由耶撮影 奈良県桜井市の国史跡「茅原大墓(ちはらおおはか)古墳」で、盾に人の頭を乗せた4世紀末ごろの「盾持(たても)ち人(びと)埴輪(はにわ)」が見つかった。24日発表した同市教委によると、人物をかたどった埴輪としては国内最古となる。 埴輪は、円筒の上に三角のかぶとをかぶった人の頭(縦17センチ、横16センチ)を乗せ、前面に盾(縦47センチ、横50センチ)を張り付けた構造。全体の高さは1メートル以上と推測される。顔は平たんで赤色顔料が塗られ、目と口の穴が開いている。鼻と眉は粘土を張って作られたが失われ、口の下には線刻で入れ墨が入っていた。 埴輪は、墳丘東側の濠(ほり)でばらばらになって見つかり、墳丘上から転落したとみられる。 これまで最古の盾持ち人埴輪は、古市古
発見された石引道路の遺構=皇居 宮内庁は10日、皇居の石垣改修工事中に見つかった石引道路の遺構を報道陣に公開した。石引(いしびき)道路は、江戸城建設や改修の際に石垣用の石を運ぶのに使われたという。 遺構は、皇居東側の桔梗濠(ききょうぼり)付近にある。幅が約3.9メートルほどで、当時敷かれていた木材の痕跡も残っていた。宮内庁によると、道路は、元禄16年(1703年)ごろまで使われていたとみられ、船で運ばれきた石をここから城内に木製のそりで引き入れたという。 今回の遺構は、排水施設の工事に伴って石垣を解体した際に発見された。同庁は、調査をした上で、工事終了後に埋め戻す予定だという。
考古学で国内最大の学会、日本考古学協会(東京、菊池徹夫会長)が所蔵している遺跡発掘報告書など約5万6千冊の蔵書について、保管コスト高などを理由に英国の研究所に一括寄贈することを決めたことが14日、分かった。弥生時代の生活ぶりの解明につながった登呂遺跡(静岡市)の報告書など戦後60年以上にわたって蓄積された貴重な蔵書がそろい、会員からは「海外流出は文化資産の損失」と反発する声がある。協会は急遽(きゅうきょ)、16日に兵庫県で臨時総会を開き会員の意見を聞くが、紛糾が予想される。 考古学協会は昭和23年に設立され、大学教授や自治体の教育委員会の発掘担当者ら約4200人が会員。 蔵書は当初、都内の協会事務所で保管していたが、手狭になり、30年ほど前から千葉県市川市の市川考古博物館や都内の倉庫で保管。現在は一括して埼玉県所沢市内の倉庫に置かれている。 蔵書の利用は、市川考古博物館に保管していた
倭国女王・卑弥呼(2世紀末〜3世紀前半)がいたともいわれる纒(まき)向(むく)遺跡(奈良県桜井市)の大型建物の“軒先”に掘られた穴から、ザクザクと出土したモモの種。古来、不老長寿の薬効や魔除けの呪力(じゅりょく)を持つと信じられた果実だけに、専門家たちは2千個という数の多さに驚きを隠さない。「国家的規模の祭(さい)祀(し)を示す」との見方で一致し、「鬼(き)道(どう)に事(つか)え、能(よ)く衆を惑わす」と中国の歴史書「魏志倭人伝」に描かれた卑弥呼の呪術に迫る発見だとの声も上がっている。 金原正明・奈良教育大教授(植物考古学)によると、モモは弥生時代に稲作とともに国内に入ってきた。現在の大きなモモは明治時代に日本に入った種類で、江戸時代まではスモモかウメほどの大きさだったという。 金原氏は「1カ所から出るモモの種は多くても数十個ほど。千個単位は全国に例がない」と驚く。「天皇による新(にい)
7月15日、ニューヨークの世界貿易センター跡地で、少なくとも200年前の船が出土したことが分かった。写真は出土した船を調べる考古学者(2010年 ロイター/Lucas Jackson) [拡大写真] [ニューヨーク 15日 ロイター] 米ニューヨークにある世界貿易センター(WTC)跡の再開発エリアで、数世紀前の腐敗した船が出土したことが分かった。マンハッタンの歴史を垣間見ることができるとして、考古学者らの注目を集めている。 考古学者マイケル・パッパラード氏の説明によると、マンハッタン南部には、2001年9月11日の米同時多発攻撃で崩壊したツインタワーがあった場所を含め、急発展に伴いハドソン川をごみやがれきなどで埋め立てた地域もあるという。 13日に見つかった船は、長さは約9.7メートル。パッパラード氏は、少なくとも200年前のものである可能性が高いと話している。
初期大和王権の大王級の墓とされる奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳(3世紀末〜4世紀初め)で、石室内の木棺に大量の銅が含まれていることが、県森林技術センター(高取町)などの調査でわかり、26日に関西大学(大阪府吹田市)で開かれた日本文化財科学会で報告された。 石室に納められた銅鏡から、抗菌作用がある銅の成分が溶け出し、「防腐剤」になったとみられ、同センターは「木棺が約1700年間も残る一因になった」としている。 木棺はコウヤマキ製で、長さ4・89メートル、幅0・75メートル、重さ264キロ。劣化が懸念されたため、昨年10月、県立橿原考古学研究所が石室から搬出後、採取した六つの木片(5〜10ミリ角)を蛍光エックス線分析装置で調べた。 自然界の木材や土壌に含まれる銅は平均で数ppm以下だが、すべての試料で100〜800ppmを検出。石室には少なくとも81面の銅鏡を副葬したとみられることが、これまでの
コナベ古墳の立体画像。3段に築造された墳丘の様子や周辺に複数の小さな古墳がくっきりと浮かぶ(奈良県立橿原考古学研究所提供) 奈良県立橿原考古学研究所と測量会社「アジア航測」(本社・東京)は、宮内庁管理の陵墓参考地で奈良市の「コナベ古墳」(5世紀前半)と、堺市の「御廟山(ごびょうやま)古墳」(5世紀中頃)で航空レーザー計測による3次元画像を作製し、26日に大阪府吹田市の関西大で開かれた日本文化財科学会で報告した。 立ち入り制限が厳しい陵墓などの精密な墳形がわかり、「大型古墳を研究する上で画期的な手法」としている。 上空からレーザー光を照射し、地表の様子を測るシステムで、活断層調査などにも使われている。レーザー光は樹木の葉のすき間から地盤に当たり、木が生い茂っていても利用できる。昨年12月と今年2月、全長約200メートルの両古墳を計測。上空500〜650メートルからコナベ古墳は約100万点、御
奈良時代の平城京(710〜784)で、政治の中枢だった平城宮(奈良市)の役人が牛や豚の肉を食べていたことが、便槽の遺構に残る便の分析から確認された。奈良文化財研究所が17日、発表した。牛や豚の肉を食べると感染する寄生虫の卵の遺物が見つかった。当時の肉食が科学的に裏付けられたのは初めて。 殺生を禁じる仏教を尊んで肉食禁止令が出ていたにもかかわらず、食べていたらしい。当時の日本人は殺生、肉食を忌避していたと考えられていた。 宮内警備にあたった「衛府(えふ)」などがあった官庁街の推定地で、人の便を埋めて処理したとみられる七つの穴(直径約50〜70センチ、深さ約20〜80センチ)が出土し、排便後にお尻をぬぐうために使った細長く割った板「籌木(ちゅうぎ)」や便の固まりが見つかった。便を顕微鏡で分析したところ、牛肉や豚肉に特有の寄生虫の卵を確認した。 古来、日本人はイノシシやシカなどの肉を食べて
琵琶湖底にある集落遺跡「下坂浜千軒遺跡」(滋賀県長浜市)が水没した原因は、地滑りだったことが京都大防災研究所の釜井俊孝教授らの調査でわかった。湖底で幅約1キロにわたる大規模な地滑り地形を見つけた。16世紀の地震で湖岸の地層中で液状化があり、その上の地層が地滑りを起こしたらしい。釜井教授は「大きな湖の周辺では現代でも地滑りが起こりうる」と警鐘を鳴らしている。 下坂浜千軒遺跡は、1586年に起きた天正地震(震源地は岐阜県、マグニチュード8)で水没した村とされる。なぜ水没したのかについては、水位変化、地殻変動など諸説があった。 釜井教授らは音波で水深を詳細に測る調査を実施し、10センチ間隔の等深線を描いて、詳しい湖底地形を解明した。その結果、がけや小さい丘など、陸上の地滑りにそっくりな地形が見つかった。かつて湖岸に寺があり、そのために人工盛り土がなされた可能性が高いこともわかった。 地震で
今回の研究に使われたネアンデルタール人女性の骨=マックスプランク進化人類学研究所提供 現生人類(ヒト)の一部はネアンデルタール人と交雑し、その遺伝子を受け継いでいたらしい。独マックスプランク進化人類学研究所などの国際研究チームが、ネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)配列を解析し、突き止めた。7日付の米科学誌サイエンスでその概要版を発表する。 ネアンデルタール人はヒトに最も近い種の人類。約40万年前に現れ、欧州を中心に西アジアで生存、約3万年前に絶滅したとされる。約20万年前にアフリカで現れたヒトと同じ地域で生きていたが、両者の間に交雑はない、との考えが有力だった。 研究チームは、クロアチアの洞穴から発掘された4万年ほど前の3人のネアンデルタール人女性の骨片を使い、ゲノム配列を調べ、ネアンデルタール人のゲノム全体の約6割を解明した。 この情報とフランス、中国、パプアニューギニ
邪馬台国があったのは畿内か九州か、天文学の立場から論争に決着をつけられないかと、国立天文台の2人の学者が挑んでいる。 邪馬台国は3世紀ごろ、あったとされ、クニの始まりは1世紀ごろという説がある。手がかりとして、国立天文台の谷川清隆特別客員研究員と相馬充助教が2年かけて調べたのは、その間の1〜3世紀に日本付近であった皆既日食の通り道だ。 皆既日食が見られる皆既帯の場所は限られる。邪馬台国で皆既日食が見えたのではないかという推論をもとにした。 推論の根拠は日本書紀だ。天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋戸(いわやと)に隠れ、辺りが闇に包まれたという神話が描かれている。記述が具体的であることから、この描写は皆既日食を指しているという解釈がある。天照大神は卑弥呼だったのではないかとの説もあり、岩屋戸神話は邪馬台国など文明地で実際に見られた皆既日食に基づいているのではないか、と推論した。
沖縄・石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡で昨年7月に行われた調査=沖縄県提供 日本最古の約2万年前の旧石器人の骨が見つかった沖縄県・石垣島の洞穴で、化石を含む堆積(たいせき)層の大部分が壊されてしまっていると、最初に発見した人たちが訴えている。県は2年前、地上から重機で掘り起こしたが、現在は再調査がかなり難しい状態だという。洞穴は新石垣空港の建設予定地内にあり、空港建設を急ぐあまり、ずさんな調査を行ったという疑念が浮かんでいる。 人骨が見つかったのは白保竿根田原洞穴。2007年12月、元日本洞窟(どうくつ)学会副会長でNPO法人沖縄鍾乳洞協会の山内平三郎理事長(62)らが化石を含む層を確認した。08年5月にはイノシシの骨と5点の人骨が出土。同年7月にはイノシシの骨が炭素年代測定によって約1万4千年前のものと推定された。 山内さんらは化石の層の保護と再調査の必要性を繰り返し訴えた。これを受け
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