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増田とdaysに関するwhaleboneのブックマーク (11)

  • 自分の生きた証の残すためにノートに日記を書いている。

    俺は36歳の障碍者雇用で働く低賃金軽労働者だ。 当然、友達も恋人もいないので、自分が死んだ後は何も残らないだろうし、それでせいせいすると思っている。 しかし、それと同時に自分が死んだ後に何も残らないというのはなんともつまらない話だなという矛盾した感情もある。 なので、おととしのコロナ禍という歴史的出来事もあったので、2020年からノートに日記を書く事にした。今の時代は紙に個人的記録を書く事がほぼないので、後世になってから今の時代の個人的記録はかなり希少な存在になるのではと思っている。だからノートに日記を書く事は後世の歴史家にとって多少は有難い事になるのではないか。(ブログなどのデジタル媒体はいつまでサービスが続くかわからないので) ある種、自分の人生を献体として使われたらいいかなと考えている。よく死んだ後に自分の日記が見られるのが恥ずかしいとあるが、死んだら恥ずかしいと思う存在が無くなるの

    自分の生きた証の残すためにノートに日記を書いている。
  • お前ら母の日に何やるの?

    社会人になってから5年間くらい毎年カーネーションの造花を贈っていたのだけど 実家に帰るたびに至る所に飾ってあって捨てる気配もなく家の中で邪魔になりつつあるなと感じている 今年は花はやめようと思ったのだけど、そう決めたら今度は何がいいのか全然分からん 高島屋とかにいって適当に決めて贈るのもいいのだけど それじゃ全く感謝の気持ちも籠らない気がしてな お前らはどうすんの?池江批判でそれどころじゃないか?

    お前ら母の日に何やるの?
  • 悪くない人生だった

    36歳男。 今朝、死ぬ夢を見た。 路上で倒れて俯瞰視点になって誰も助けてくれない。 目が覚めてから走馬灯のように人生を振り返った。 結婚もしてないし女性とお付き合いした経験もない。学生時代の栄光もなければ仕事で活躍したりもしてない。そして今コロナで職場を追われその日暮らしをしているが、それでも悪くはないなと思えることも多かった。 幼少時に両親が離婚し、母親に育てられた。 2年の時だったか、「お父さんの仕事についてお話を聞いてきましょう」という宿題が出て、俺は母親に聞くしかなかったからそれを発表したら「何でお母さんなの?」みたいになって、教師の大したフォローもなく大泣きしながらそのまま帰った。 その日から不登校になったが、あの宿題の出来は結構良かった記憶。 文化祭のタイミングで教師がうちに来て、文化祭は来ような、みたいな感じになって「ふじまる」という相撲取りの役をやった。あれはイマイチだった

    悪くない人生だった
  • さすがに来年は今年よりいい年になるよな

    ってCMで言っていた そうだといいいいなぁ 女1人で入る勇気がなくて、いつか行こう、いつか行こうと考えていたラーメン屋の前を通りかかったらその店は3日前に閉店していた。 年が明けたら訪れる予定だったカフェは店主の体調が芳しくないらしく無期限で店を閉めていた。 こんなことはもう珍しい話ではなくて 今年私はこんな出来事を何度も経験している。 なぜ「いつまでもある」と思っていたのだろう その度自分の愚かさを嘆くのだ。 人間だって同じだ、人はいつまでもいない。 そんな至極当然なことを私は今年一年で嫌と言うほど知った。 ガランとした店の前で足を止める かつて沢山の人間が出入りしていた扉は閉じられていて、代わりに閉店の知らせが掲示されていた。多くの客がいつも列を作っていた店先の様子が思い出される。 そこには年内で店を閉める旨とこれまでの感謝が丁寧な文字で綴られていた。この感謝の中に自分がいないことが悔

    さすがに来年は今年よりいい年になるよな
  • 職場と家の往復の日々

    毎日学校と家の往復だけ、職場と家の往復だけで、あまり遊びを知らずに生きてきた。 けっこう、「みんなそんなもんだよ」と言うけど、当にそんななのだろうか? 私は、東京に住むアラフォーだけど、ディズニーランドに行ったことがない。 富士急もない。 武道館もない。 東京ドームもビックサイトもお台場もない。 東京タワーもスカイツリーも近くを通ったことしかない。 銀座も乗り換えでしか行ったことがない。 私基準では、一度でもディズニーランドに行ったことがある人はリア充だ。 ウェーイ系だ。 追記 恋人とはお家デートばかりです

    職場と家の往復の日々
  • 夏休みだねえ

    今窓を網戸にしてビール飲んでいて、テレビから高校野球のダイジェストが流れてて、夏休みを感じた。 ラジオ体操とか、その後朝飯ってから昼飯まで5時間あるとか、線香の匂いと終わんねえ宴会とかさー、始まるときの何でもできる気持ちと盆過ぎの暗澹たる気持ちとか、そういういろいろな夏休みの手触りがよみがえってきてなんか随分年ったなと思う。 そんで、こういうこと思い出すと決まって帰りたいなあってばっかり思ってたんだけどさ、なんか今日は、そうじゃなくてなんてんだろ、戻れないけどまあここにもあるじゃんて感慨がやってきた。なんかいい気分なんだ。うまく伝わんないと思うけどちょっと誰かに言いたかったんでここに書いとく。

    夏休みだねえ
  • 自分は魔法使い。職場は魔法省の地方支部。最近限りがあるらしいと判明し..

    自分は魔法使い。職場は魔法省の地方支部。最近限りがあるらしいと判明した世界(と言うか地方の)マナの使用量を計測するのが仕事。 …ファンタジー世界で生きる自分を妄想することで現実から目を反らしている。魔法使いになることが子供の頃の夢だった。ゲームみたいな冒険がしたかった。 もう魔法使えないのが辛すぎるからいっそのことファンタジー脚色した日記を書いて気分だけでもファンタジーしたい。

    自分は魔法使い。職場は魔法省の地方支部。最近限りがあるらしいと判明し..
  • リアルがループものみたいになってる

    何も無い田舎町 単調なルーチンワーク 同じことしか言わない上司や同僚 失敗したはずの方針を繰り返す会社 俺自身もこのループシステムに取り込まれ同じことばかりしている 唯一インターネッツだけが変化する外の世界の様子を伝えていたがそれも最近怪しい この先どうなってしまうんだろうか 何も無い田舎

    リアルがループものみたいになってる
  • 遠い

    もうすぐ40になる独身・一人暮らしの自分 仕事はあまりできない 決められた時間に行ってできない部分は言葉で誤魔化したりしつつ、終わりの時間が来るまで何とか乗り切る、その繰り返し 新しいことは学ばず、古いことはだんだん忘れてゆく 生活はだらしない 掃除機かけるのもバスタオルの洗濯も、月1回もやらない、のトイレだけは2日以内に何とか掃除する 事は半分くらい安い外栄養バランスもあまり考えてない 税金払うのを忘れていてよく督促状が来るが、滞納金は発生する前に払えている こんな駄目人間だけど、それでも自分の人生の中では、今は一番ちゃんとまともに生きられている時だ 何もできない子供の時代から、カタツムリよりもゆっくりだけど、前進はしていると思う まがりなりにも自力で稼ぎ(そうできるようになれたのは、嫌がる自分に金と発破かけて受験とかさせてくれた親の力だが) まがりなりにも自分で身の周りの事を処

    遠い
  • 自転車は自由の象徴だった

    思い出した. 自転車は自由の象徴だった. いつもバスに不自由していた. 時間が限られていて,待ち時間が長くて,乗っている時間も長くて寝ているだけ. 嫌なにおい,振動,車酔い.この世の嫌なものを集めたのがバスみたいに思っていた. 高校生のころ,とても不自由した. 村の端っこから市まで1時間弱のバス. そこから乗り換えて高校までまた別のバス. これだけで往復3時間だ. バスの停留所もさみしくて,一緒に帰る友達がいなかった自分は一層さみしかった. 部活も夜遅くまでやるようなものには入れず,高校からそそくさと帰るだけだった. 友人が少ないのはバスのせい,とすら思っていたかもしれない. 待合室が苦手だった.いつも閉め切られていて風はなく,夏も冬も不愉快な環境であった. 待合室は老人たちでいっぱいで,この風が通らない空間に満足していて, ストーブがやかんをかたかた揺らす音を黙って聞いている,そんな態度

    自転車は自由の象徴だった
  • 個人史は終焉しない。続く。

    ある個人氏の終焉、と言う文章を先日読んだ。男女が出会い、子供を妊娠した、と言う話だ。 私は十代のころに子宮筋腫が出来、そして手術を受けた。不妊の傾向はあるだろう、と言う診断もその時受け、定期的に通院している。 私は子どもの頃から、よく人のことを聞く人間だった。勉強はするもので、ご飯はべるもので、部屋は綺麗にするもので、結果は収めるものである、と。自分の生の意味を考え始めたのは思春期の頃だ。大概、親のために、社会のために。上手に生きるため、に収束した。私は常に落胆した。酷く憂に毎日を暮らした。したいことは何も無かった。酒を飲み、寝て、を読んだ。しかし私は何者にもなれなかったし、ならなかった。なる事を選ぶことすらしなかった、出来なかった。 学生のころに恋人と暮らすようになった。恋人といると安心はした。しかし、恋人は私の生に意味を与えてはくれない。私はその、その人が体験する、一部の風景でし

    個人史は終焉しない。続く。
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