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読み物とwhoamiに関するwhaleboneのブックマーク (4)

  • いつか怪物になるわたしへ|おかき大明神|note

    女子高生と山月記 「虎になる」というフレーズが流行った。 高校時代の話だ。かつて鬼才と呼ばれた男が、己の心に潜む獣に振り回されて虎になる話を習った。重い題材なのにどうにも心にひっかかる上、人間が虎になるという衝撃的展開に驚いた。加えて「尊大な羞恥心」だとか「臆病な自尊心」とかいう妙に語呂の良いワードが登場することから、わたしたちは授業が終わってもこの話を忘れられず、結果「虎になる」というフレーズを局地的に流行らせた。 わたしたちは虎になった。主に葛藤してどうしようもない時や人間関係が煩わしい時、そして自分が嫌いになった時に。具体的に言うならテスト前や恋愛にまつわる他者とのいざこざ、理想と現実の狭間でもがいた時に、現状の気怠さを「ほんと虎になるわあ」と溜息交じりに吐き出したのだ。 仲のいいグループだけで使う暗号のような、気怠さの共有コードのような使い方をしていたのに、いつしか他のグループにも

    いつか怪物になるわたしへ|おかき大明神|note
    whalebone
    whalebone 2019/07/14
    『哀れで醜い、と言われる側に立った時、わたしは何を見ているだろう』
  • 「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト

    オーストラリアに生まれ、日に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。

    「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト
    whalebone
    whalebone 2015/03/12
    『自分は何者なのか。それがわからないと人は彷徨う。』『人は悲惨なできごとを忘れないと明日へ向かって生きていけないんです。』『許せないのは、原発を建てるために過去の津波被害を過小評価してきたこと。』
  • どこまでを自己と認識する社会なのか。 - 旧 はてブついでに覚書。

    自分の物理的な(自分以外のものとの)境界というのはこの身ひとつなわけだけど、 社会的に、概念的に、どこまでを「自己」とするかは、 人は適宜決めている。 学問的にどういう言い方をするのか知らないけど、 精神は自由であるので、「自己」というその定義を、 自分の物理的な境界を越えて、他者や家族や組織やコミュニティに 結構フレキシブルに拡張している。 自己の拡張、というと説明しづらいので、もうちょい大きい、 家族という概念の拡張について例をいうと、 いわゆる血の繋がっていたり戸籍が繋がっている家族以外に ある部族が丸ごと大家族という認識だったり、 田舎のある地域が家族同然だったり、 社員はみんな家族だという認識の社長がいたり。 人がほかの人を単なる他人ではなく「家族」という認識をした場合に 何が起こるかというと、 まず心を許す。 親しき仲にも礼儀ありなんて恐ろしい心の構えがなくなる。 損得の勘定を

    どこまでを自己と認識する社会なのか。 - 旧 はてブついでに覚書。
    whalebone
    whalebone 2009/10/26
    「「自分」が自分だけだと、結構生き辛い」
  • 「住宅都市整理公団」別棟 : 「自分探し禁止!」大森〜大井町ワークショップ

    2009年05月13日01:32 カテゴリワークショップ 「自分探し禁止!」大森〜大井町ワークショップTweet 【第2回、第3回の開催が決定しました】 ---- カルカル名義で行ったワークショップ、すごかったです。なにがすごいって、参加者のみなさんの開眼っぷりが。開眼というか、もともとそういう気のある人が参加しただけという可能性もぬぐいきれないけれど。 今回のワークショップ、「ワークショップ」とは銘打ちましたが写真の技法には一切何も触れていません。というか、写真技法なんてぼくが教えてもらいたいわ。 そうじゃなくて、「しつこく同じものを見続けると自分の中で不思議なことが起こる」境地にカメラというツールを使うことでてっとりばやく到達して、その感覚を共有したい、という趣旨。つまり、ぼくがデイリーポータルZでやっているようなことをみんなにもやってもらいたかった、ということ。 みんなに撮る「モノ」

    whalebone
    whalebone 2009/05/13
    「アイディアには価値ない」「みんなで撮って、みんなで鑑賞すると、その時点で価値が生まれる」
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